奈良の吉野の柿の葉寿司(かきのはずし)
奈良の寿司。塩鯖や塩鮭などとともに,柿の葉に包んだ鮨。江戸時代に,熊野灘で獲れた鯖に塩して運んでくると,ちょうど吉野の里あたりで食べごろになったという。保存のために包む柿の葉に含まれるタンニン酸は,鯖のたんぱく質を固めるので身がよく締る。すこし甘すぎる嫌いがあるのだが,やみつきになる軽さがある。塩鮭を使い出したのは,ずっと時代が下がってからのことだと思われる。皿の上に山積みにされると,ひとつ取って剥いてみて鮭だった場合は,あたかも君のため剥いたのだと装って同席の誰かに譲り,自分は鯖のほうだけを食べるようにしている。もう少し鯖が大きかったらと,いつも思いながら,飯だけで満腹になる。数がたくさんある場合は,鯖を二つ分,ひとつの寿司飯に乗っけて食べている。残った飯はどうするかというと,近所のスーパーでしめ鯖を買ってきてみたりして・・・。
月別アーカイブ: 2007年9月
京都の鯖寿司(さばずし)
京都の鯖寿司(さばずし)
鯖寿司といえば京都。京都の寿司といえば鯖寿司。これは,江戸前の握り鮨とは全くの異文化である。大阪のバッテラとも違う。脂の乗ったたっぷりとした厚みの小浜の鯖を,ひと塩にして一夜置き,表面を酢でしっかり締めて中身はレア,はんなり甘いめの寿司飯とともに棒寿司にして,竹の皮で包む。京都の家庭ごと,店ごとに色々流儀があって,それぞれに味わいが異なる。一流の京都の鯖寿司は,ただそれだけで,江戸前握り鮨のすべてに対抗する至福の極みに至る。単純にして濃厚な一本(鯖一匹の片身分)の半分も食べるとおなか一杯で大満足になる。京の都の秋祭りの日,昼下がりにただひたすら鯖寿司だけに立ち向かい,鯖の脂肪と絶妙にバランスする甘酢に,まったりと浸る。鯖寿司と宇治茶,ちょっと甘酢生姜,それだけ。他には何もいらない。窓から紅葉が一枚ひらり舞い込んで,遠くに祭囃子が聞こえる。おおきにぃ。
紀州のなれ鮨(なれずし)
紀州のなれ鮨(なれずし)
和歌山の鯖鮨。塩漬けにした鯖をご飯とともに,笹の葉で包みこむ。数日おいておくと馴れてくる(発酵してくる)。熟成が進んだものは,飯の粒を感じなくなり,発酵の酸っぱさも強くて,ちょっとマニアックな味の伝統的鮨である。一週間ほど熟成させたものを食べるが,なかには10年寝かせてドロドロになったものもある。美味さがわかるまでそれなりの年季を要するので,つまらない先入観をまず捨ててから対峙するべきである。南紀のほうに行くと,秋刀魚でなれ鮨を作る。2日ほどで食べるものを早馴れと言い,和歌山ラーメンの店にはよく置いてある。
琵琶湖の鮒鮨(ふなずし)
伝統的な鮨
諸外国で鮨というと江戸前しか知られていない。しかし,日本にはその他,江戸前の握り鮨とはまったく別の食べ物だが,江戸前握り鮨が考案される以前の,原点たる発酵した鮨と,その後の押し鮨のバリエーションが存在する。ここからは,日本の鮨を語るにおいて,欠かせないものの代表について論じていく。
琵琶湖の鮒鮨(ふなずし)
琵琶湖名物のフナの鮨。日本の伝統的な発酵食品で,熟成を重ねて作られる。子持ちのニゴロフナを1年塩で漬け込んで,飯とともに熟成に2年といった具合である。腹の卵の部分は,フランスのウォッシュチーズを超えるほど,絶妙な味わいがある。フランスの赤ワインとチーズのマリアージュは恍惚の極地であるけれども脂っこい。近江の酒とフナ鮨の婚姻は,アジアの別方向の極であり,胃にもたれない。地元の人が,伝統的な方法で漬け込んだものが絶品なのだが,近年,琵琶湖の環境破壊で本物にはあまりお目にかかれなくなってしまった。この鮒鮨と,なれ鮨のような鮨こそが,稲作文化発祥の頃からの,西アジア一帯の伝統的保存食品であり,鮨の原点である。
巻き鮨-アメリカのカリフォルニアロール
アメリカのカリフォルニアロール
ついでに,今や国内でもアボガドが栽培されているので,それを使ったアメリカ生まれの名作であるカリフォルニアロールについても論じよう。海外の非正当派のSushiの中で,これだけは唯一,例外的に賞賛に値する。熟れたアボガドはそれだけで握りにしても,酢と調和して結構いける。そして,よく熟れたアボガドと茹でた新鮮な蟹を,海苔を内側に逆巻きにして,外側には炒った白ゴマを少々振る。海苔を内巻きにするのは良い海苔が手に入らないからかと推測するが,外側の炒りゴマがこの疑念を払拭する。熟れたアボガドが蟹と鮨飯とすべての調和をもたらすという,組み合わせの妙に感心する。従来の巻き鮨の主役である海苔を引っ込めて,ゴマを前面に出してきたところが偉い。巻き鮨としてはとても良くできていて,決して外道とは言えない。アメリカでしかるべきところで出てくるカリフォルニアロールは本当に美味いのである。
ただし,日本で食べようとは思わない自分を省みると,アメリカでこそ引き立つものなのかもしれない。カリフォルニアロールの成功に追従して,様々なバリエーション巻き鮨が発案されており,蟹のかわりに海老(オマール海老が本筋なのかもしれない)を使ったものをボストンロールという。他には,スモークサーモンの皮を焼いて細巻きにした鮨がある。アメリカ人が好んで食べていて,見ただけで??と思ったのだが,今にして思えば,これもトライしておいたほうが良かったかもしれない。
アメリカ旅行でステーキやハンバーガーに疲れたら,よほどの高級店でない限り,日本ほど値が張ることはないから,ぜひ鮨屋に行って,見たことも聞いたこともない鮨に挑戦していただきたい。自文化を客体化するきっかけになるかもしれない。
巻き鮨-太巻き
太巻き
太巻きは全国に普及していて,それぞれに地元や店のバラエティがある。江戸前では,干瓢,エビ,玉子などを入れる。また,新ワカメを入れた鳴門巻きなどというバリエーションもある。店のおまかせをそれぞれ楽しむのも良いが,それに拘らず,自分の好きなものを好きに混ぜてもらっても良いと思う。お土産に太いのを一本,持って帰ろう。飯が固くならない程度に軽く冷蔵しておいて,翌日に切って食べると,海苔の輪っかの中に,混沌における調和を希求する人類の努力を見ることができる。和をもって尊し。
巻き鮨-かっぱ
かっぱ
裏の畑でもいだばかりの美味いきゅうりと日本の海の海苔を炙ったのとで細巻きにすると,結構美味いものだということがわかるのだが,多くはしなびたきゅうりが使われるので,あまり食べない。穴きゅうといってアナゴといっしょにした細巻きもあるが,これもアナゴの出来ときゅうりの新鮮さにかなり左右される。野菜はもぎたてでなければ鮨には使えないと思う。かっぱにインスパイアされたのであろうか,しんこ巻きとかかいわれ巻きとか,挙句の果ては納豆巻きなどという邪道の細巻きがあるが,論外であると喝破しておく。
巻き鮨-干瓢巻き
干瓢巻き
これは単純で奥が深い江戸前鮨の基本の一つである。筆者はあまり食べないが,干瓢を醤油と砂糖で上手に煮て,美味い海苔できちんと巻くと,それは確かに,単純な究極である。しかし,なんとなく気分がしなびてくるので,かっぱと並んで,わざわざ注文しない鮨の筆頭でもある。日本の侘び寂びを思わせてくれる。ベジタリアンには最高かも。
各種鮨種について-玉子焼き
玉子焼き
鮨屋に入っていちばん最初に玉子焼きを注文し,その店の腕を知るなんてことがよく言われたが,最近は卸市場でも結構美味い出来合いの玉子焼きを売っていて,自分の店で玉子を焼いている鮨屋がまず少ない。そして,もしその店の自家製であったとしても,その店主の好みでやたら甘辛く濃くしたり,あるいはすりつぶして混ぜる魚や小海老を多くして,なかば蒲鉾のように仕上げたりしているのもあり,何が良いかは百家争鳴。
玉子の味付けや焼き方と,他のネタの鮨のセンスはあまり関係がないように思う。もちろん,美味い店は玉子焼きも大抵美味いが,玉子焼きが美味くても鮨飯が駄目な店もある。筆者は醤油と砂糖と出汁だけを中心としたものが好きである。甘くて美味い玉子を焼く店では,いつも最後のお茶といっしょにデザートとして食べている。玉子焼きは,その店の主人がブレンドした,それだけで100%の一品である。醤油など付けて味を変えずに,そのまま味わう。
さて,最期に残った生姜を一片食べながら,ちょっと苦くて渋い熱々のお茶を一杯。ああご馳走さまでしたっと。その瞬間,支払いに,「おあいそ」と言うのは,お茶で一丁「上がり」になった客に最後の「愛想」を振りまけ,という職人の符牒なので,客が自ら使うのはとても変な話である。しかし,これもインチキ粉山葵を醤油に溶くのと同様に,無知で無粋な人たちが普及させてしまった悪しき習慣である。粋に行くならガリのようにビシッと辛口に,毅然として渋く一言,「勘定!」と言おう。
各種鮨種について-鮭(さけ)
鮭(さけ)
海にいる間のものに限る。いったん川に遡上してしまうと極端に不味くなる。時期はずれの5月~7月に北海道太平洋沿岸,日高の沖で獲れるのを時鮭(ときしらず), 10月~11月に,ホーツク沖で水揚げされる秋鮭の中に,数千に一匹の割合で入るのを鮭児(けいじ)といって,海で獲れる成長途上の若い鮭は珍重される。
鮭は世界中で好まれるが,臭いの強い魚で,死んだらすぐに鰓から腐臭が漂いはじめるので活き締めにすべきだと思う。ハラスと言って腹のトロの部分も最近は握り鮨になっているが,臭うものが大半である。川と海を往来する鮭には寄生虫が多いので,生食するときは必ず一度冷凍して虫を殺してから食べる。アイヌのルイベは,半分解けかかったものを生姜で食べるので美味いが,冷凍して流通したものを店で完全に解凍して,しばらく放置される魚が美味いわけがない。一度生のキングサーモンの大トロの部分を炙ってミディアムにして,レモンと塩で握ったものを食べたが,これは美味かった。しかし解凍の生では駄目である。富山の鱒のすしを真似たのかもしれないが,鱒と鮭は匂いがかなり違う。江戸前鮨としては邪道中の邪道であると思う。だいたい,一流の鮨屋で鮭など見たことはない。盛り合わせに入ってたら,できるだけ避けている。
保存食品としての塩鮭にも品質はピンからキリまである。塩してきちんと保存したものは,大変美味い。焼いた塩鮭は,お茶漬けやおにぎりや弁当のおかずには最高である。北海道の魚市場から上質の塩鮭を送ってもらって,家で焼いて比べると,スーパーに流通している多くの塩鮭が,すでに終わっているものであることが分かるだろう。鮭本来の匂いと,鮭の腐臭とは異なるのである。
上述のように活きの良いものを上手に炙ったり,きちんと熟成された上質の塩鮭なら,どうにかアレンジすれば,鮨にできるかもしれない。鮨との関係は今後の大きな課題である。筆者は恩師にアラスカの鮭釣りに連れていってもらったが,ふた夏にわたって,キング(ますのすけ),シルバー(銀鮭),レッド(紅鮭),ピンク(樺太鱒),チャム(白鮭)など,それぞれ異なる個性の何十匹を飽食して得た結論は,臭いが強く個性が強すぎて,料理方法が本質的に難しい魚だということである。