食文化

80年代,日本がバブルに向かって盛り上がっていたころから,いわゆるグルメブームが始まった。それまで食文化を論じることはどちらかというとキワモノ系であり,石毛直道の食の文化人類学などは異端中の異端であった。もうすこし遡ると,ブリア・サヴァランはもちろん,北大路 魯山人や谷崎潤一郎なども,一種のキワモノだったと言えるだろう。美食は衣食足りて礼節を知り,そしてその上での道楽であったと思う。

経済が発展し豊かになると,衣食住も贅沢になる。そして,美食の追及が大衆レベルで普及していった。しかし,実際のところ,本質的な意味で美食が蔓延してきたとは言いがたい。テレビでは本当に味がわかっているのかと疑いたくなるような若いタレントが,美味いおいしいと騒ぎ立て,紹介された食材やレストランに人々が殺到する事態が普通になったが,それらマスコミで騒がれているものは,ほぼすべてが,たいしたことないものばかりである。それに加えて,贋作インチキの類も増えた。本質は,大量消費の加速に伴って雲散霧消するものである。

看過できないのは,それで自然の資源が急速に枯渇する事態を招いているという事実である。マスコミで喧伝される言説を妄信して,圧倒的大量に消費され,自然の食材が枯渇し始めていることは,実は大変な地球環境の問題なのだ。省エネや環境問題を論じるときには,食の問題は避けられない。

大学の大衆化という言葉がある。大学に大衆が押し寄せるようになって,大学の質が低下するという議論であるが,日本における「大学の大衆化」の本質は,学問研究と関係のない社会層に,それを押し付けたという悲劇でもある。卒業後就職する人々にとって,学問研究は教養であることに疑いはないが,それは他方で,実践的な生きていく力の滅失を意味した。美食の大衆化は何を齎したか。何が結果するのか。言うまでも無く,贋作としての美食の蔓延と資源の枯渇である。

仔細は語るまい。近頃,本当に美味いものはすでに,家庭や町の裏通りに,ひっそりとしか存在しないのではないかとの疑念を持っている。常日頃から目前に供される食材を,あと何年,食べることができるのか,それら食材のうち,ケミカル,農薬,バイオテクノロジーの関係しないものがいくつあるか,意識しながら,美食を考えていきたいと思う。

新年度にあたり。

鮨,寿司,うまいすし,ラーメン,うどん,そば,美味いもの,グルメ@京都情報大学院大学

京都コンピュータ学院
京都情報大学院大学

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