ダイエット②

二週間でちょうど6kg減量した。
途中で流感になったこともあって,薬を飲んでへたばりながら,ビタミン剤とか多少のサプリメントはとりつつ,すえぴーさんの助言に従い,晩酌も止めた。
こう軽くなると,歩くのも楽になる。いったい,なぜあんな荷物を持ち歩いていたのかと,思い返す。あと3kgくらいは落としておこう。

熱も下がったので,今日あたりから,パワーの出るものを食べ始めようと思っている。すこしペースを落として,一日500gではなくて300g減量くらいを目指すとしたら,あと10日間か。あまり食べないと,機嫌が悪くなるのが自分でもよく解るので,他人に迷惑にならない程度に多少は食べながら,減量を続けようと思う。

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ダイエット

昨年からまた太りだして,年末にスキーに出かけたら,運動するとよく食べるから,さらに増えた。
それで正月2日からダイエットをしている。

基本的に,朝昼は食べない。
晩酌は日本酒で2~3合。
アテに,野菜のみそ汁や漬物。
韓国の塩辛でカプサイシンをたっぷりとる。
炭水化物はほとんど無し。これが夕食。

とは言っても,新年会だの賀詞交歓会だのと,色々会合もあるので,食べることもあるが,極力控えている。

急激なダイエットは健康に悪いとか,リバウンドが来る,とか言うけれど,面倒くさいので,イッキに減量するのが常である。太りすぎて,嫌になって,ダイエットしようという精神的発作が起こるのだろう。

筆者は基本的に代謝が良いみたいで,自動車的に言うと,燃費が悪い。一日食べないでいると,400gから500gは減る。他方,中国や韓国に出張に行って,毎日食べ続けていると,一日500gは増える。学生時代は,一日1kg増えたこともある。食べれば食べるで暴飲暴食系であり,ダイエットするときはイッキ減量である。
あまり健康にはよろしくないだろう。

今日で10日目で,4.3キロは減ったかな。メタボの腹がかなり軽くなった。この際だから,あと4キロぐらい落としておこうと思っている。

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茶色の油脂のカレー

脂っこいものを食べ過ぎたり,酒の飲み過ぎを続けたりすると胃酸過多になる。胃酸を中和するのが膵液であるから,胃酸が出過ぎると,膵臓に負担がかかり,膵臓が潰れて,膵臓炎となる。

かく言う筆者も,30歳頃に慢性の膵臓炎を患った。その後,長い間,薬を飲み続けて,それなりに治癒はしたのだが,今でも,暴飲暴食をすると膵臓が痛くなる。そして,ひどいときは,本当に発作が出る。

膵炎の発作が出ると,胃の後ろ側の背中あたりが痛くなり,全身がしんどくなり,ぐったりしたまま動けなくなる。発作がひどいときは,ぐったり寝転んだまま,意識が遠のき,そのまま睡眠に陥ってしまうのである。

胃酸過多や膵臓炎の原因の筆頭に,油脂がある。新鮮な豚肉の脂肪や,サラダオイル,オリーブオイルは,少々ではなんともないのだが,古い油は一番駄目である。これは本当に体に悪い。

飲食業界には,二番油,三番油というものが流通しているそうで,一流の天麩羅屋などでの使用後の油が,濾されて二番油として販売されるのだそうだ。それがそこらへんの廉い揚げ物屋で使用され,さらに,その使用後の油は,炒め油として再利用されたりもするらしい。また,たとえ一番のフレッシュな油でも,何日・何週間にもわたって何度も加熱し続けると,二番,三番と同様に品質が劣化する。揚げ物をしている鍋の中で,茶色くにごっているような揚げ油は,かなり古いわけだ。酸化した油は茶色く,ひどいのはどす黒い。揚げ物のコゲが浮遊しているから,というだけではなく,その油は,酸化しているのである。

そういった茶色い油で揚げたコロッケだのトンカツだのを食すると,胃酸過多になり,いずれ膵炎が起こる。揚げ物に限らず,カレーやデミグラスソース,パスタのソースなどでも,古い油で野菜を炒めて作ったものは,徹底して胃と膵臓をアタックする。

それで,先日,某店の茶色の油脂のカレーとコロッケを食べたら,キター!であった。疲労で舌が鈍化していたようで,食べているときは劣化した油にはイマイチ気づかなかったのだ。ストレスが重なっていると,そうやって膵炎の発作に至ることが多い。実際,しばらく忙しかったのもあって,トドメの一撃だった。食べた後に寝転んだら,そのまま,寝入ってしまった。夜中に目覚めてからしばらくは吐き気に苛まれた。薬を飲んでやっと治まったけれども,キツイ発作だった。

なお,胃酸過多で胃が痛いとき,昔から薬局で売られている胃散で中和するのはやめたほうが良い。あれは一時的な中和剤なので,胃酸過多がクセになる。常用すると間違いなく胃を壊し,やがて膵炎になる可能性が高い。最近市販が許可された「H2ブロッカー」という胃酸分泌の抑制剤を飲むほうが良い。

若いときに暴飲暴食を重ねていると内臓を潰して,あとから後悔するよ,という,アホなオヤジの説教話・・・。
あーしんどかった。

京都コンピュータ学院
京都情報大学院大学

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小津安二郎監督作品

東京物語

いきなり小津安二郎。「東京物語」,1953年の映画である。飲み屋のカウンターでの酒の飲み方は今とさほど変わらない。
酒を飲んでいるのが主人公の老夫婦の,夫の方。(フーテンの寅さん,男はつらいよ,のお寺の住職役の笠智衆が演じている。)
古き良き日本の美徳や昭和高度経済成長の初期の風景が描かれている。

尾道に住む老夫婦が,東京に出た長男と長女,そして,戦争で死んだ次男の嫁(原節子)の家を訪ねる。実の長男は東京で開業医をしており,長女は美容院を経営している。未亡人となった次男の嫁は,東京で働き,小さなアパートで独り暮らしをしている。

次男の嫁はもちろんのこと,実子の長男長女も,両親である老夫婦に敬語で話す。
そして,もうひとつ興味深かったのが,次男の嫁の原節子の台詞であった。亡夫の両親が,「息子は酒を飲んでいたか?」という意味のことを尋ねたのに答えて,嫁(原節子)が,「ええ,いただいていました」と答えていたことである。

今の嫁ならば,「(彼は)飲んでいました」,「飲んでらっしゃいました」,いくら敬語を使ったして,せいぜい「召し上がってました」等と言う程度だろう。夫婦が「一体」であって,夫婦になった後は,戦争で夫が死んで八年以上経ったときでも,亡夫の両親に対して,あたかも一体であるがごとくに,一人称で「いただいていました」と言う。そんな日本はもうすでに無い。

別のシーンでは,東京の子供達を訪れていた老夫が,実の子供達に迷惑がられたので,戦争前に尾道から東京に移った友人の家に行く。そうすると,その友人の息子が,「パチンコに行く」と言って出かけて行く。その父は,「(息子は)法科の大学に行っているが,法律など何も知らん。ちっとも勉強せず,遊んでばっかりおる。」と嘆く。

1953年に封切られた映画で,戦後新制大学の特徴が表現されている。「勉強せずに遊んでばかりいる大学生」が出現したのは,実に,戦後の新制大学の誕生のすぐ後だったのだ。戦前は大学というと七帝国大学と有力私学数校しか「大学」はなく,大学生とは勉強する「書生」であった。1949年に新制大学が制度化されて,戦争前の師範学校や専門学校が新制度の「大学」となった。そして,GHQによる戦後の新制大学化は,今も変わらない「勉強しない大学生」の出現であったのだ。

小津は1929年(昭和4年,戦争前の不況の頃)に「大学は出たけれど」という映画を作っており,一所懸命勉強して大学を出たのに,不況で就職先の無い大卒生の悲哀を描いていた。それを考えると,戦後1953年の上述の描写は,戦前との違いを明確に意識していると言えるだろう。

かつての日本の美徳が残っていたのはせいぜい終戦直後くらいまでで,その後は,かつての日本が失われていく一方であり,その兆候はすでに1950年代に,始まっていた。

そして,飲み屋での酒の飲み方は今も変わらない。

失われたもの,変わらないものと,そして,すでに50年以上前に始まっていたこと・・。

鮨,寿司特集

カレー・カレーライス特集

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下記は,京都コンピュータ学院京都情報大学院大学のイベント情報です。
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