ダンスパーティの夜

ダンス

ダンスパーティの夜

ここ数年,高校時代からの親友のお供で,2月になると某ダンス教室のパーティに出席している。
【ダンスパーティの夜,昨年の話はこちらをクリック】

今年も,同じように,壁の花ならぬテーブルのヌシとなり,一通りご馳走になった。各ダンス教室のお客さんが集い,プロのデモンストレーションもある。プロが踊るのを皆で観覧するのだが,やはり上手で,全国大会の試合に出た経験のあるペアたちのダンスはとても美しい。

京都の宝が池プリンスホテルは,このような大人数のパーティ料理でも,そこそこの水準を保っていて美味い。200名くらいのお客さんの料理を一度に作り,冷めないように運ぶことだけでも大変だろうに,ある程度の美味を保つのは結構難しいだろうと思う。

ダンス
ダンス

前菜
「シェフとっておきミートテリーヌ リンゴのコンポート添え 彩サラダをリースに見立てて」
写真を撮る前にナイフを入れてしまったが,ご容赦を。
どうも最近のフランス料理は,一皿一皿の命名が長く,詩的のようでまどろこっしい。テリーヌとは,肉や魚を刻んで潰して混ぜて,テリーヌという蓋つきの土鍋みたいな「器」に入れて,加熱した料理のことである。器から出して切っってしまったらパテと言うらしい。

テリーヌ

スープ
「かぶらのクリームスープ」
最近よくある,かぶら,あるいはカブのスープ。カブは各地方で様々に種類があるようで,大根と似ているが,別物である。爽やかに甘く,クリームがしっとりとまとまっていて,美味かった。

かぶらのスープ

魚料理
「鮮魚とホタテ貝,小海老のパナッシュ 彩り野菜添え」
スズキだと思われる魚とホタテ貝,どこかからの輸入の海老だが,生の胡椒で和えてあった。一般に使われる胡椒は乾燥したものを粉にしてあるが,粒のまま生を冷凍か冷蔵して運ばれてくるそれは,また別の,さわやかな香りがする。これはそれぞれ別にフライパンで焼いているのだろうから,大変な手間だろう。

魚料理

肉料理
「赤ワインでじっくり煮込んだ牛肉のシチュー 茸と野菜添え」
シチュー,というか,煮込みの肉料理は,一度に大量に作れるので,大人数のパーティにはよく出てくるものだ。これもそこそこ上手にできていた。

肉料理

デザート
「フランボワーズとホワイトチョコのムース フルーツ添え いちごアイスクリームとともに」
写真を撮るのを忘れてしまったが,小さな一切れだったが,大人には丁度良いサイズだった。

いずれも,騒ぐほど美味い訳でもないが,決してマズイわけでもなく,どれもそれなりに美味しくいただけた。メインはやはりダンスなのであるから,量もほどほどなのが良い。料理が主張し過ぎず,ダンスを楽しむことがメイン。さりとて決してマズイ訳ではなく,ほどほどに満足できる。出される酒の種類と量が少なかったのは少々不満だったが,皆さんはダンスをしに来ておられるのであり,スポーツの最中であるから,飲んでいる人は少なかった。

さて,最期の写真は,某ダンス教室の生徒さんなのだが,御歳94才だという。今回で引退されるのだそうだが,ダンスを始めたのは89歳のときだったそうだ。
このような年配の方々がダンスを楽しみ,年に一度のパーティで目一杯おしゃれして,一夜の祭りを祝う。いいもんだなと思う。

ダンス

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電磁波と化学調味料

tori

冬で鍋ものが流行っている。パックで様々な鍋の出汁が売られていて,スーパーの棚を観ていると,よく売れているようだ。そして,ホームセンターや電化製品のチェーン店をのぞくと,IH調理器といかいう電磁波のコンロ,マイクロウェーブの卓上コンロも普及しているようだ。一体,どの程度普及しているのだろうか。

しかし,なんかおかしくないか?あんなものを食べていいのか?という話。オヤジのボヤキに過ぎないが・・・。

1.鍋スープのパック
パックで売られている鍋の出汁は興味があったので,ほとんど試食してみた。カレー鍋,豆乳鍋,北海鍋,塩ちゃんこ,味噌ちゃんこ,色々・・・。
まあ食べれたのは某メーカーのカレー鍋だけで,後はもういい,二度と買わない。
いずれも化学調味料の渦のようで,トマト鍋を筆頭に,砂糖が多かれ少なかれ混入されていて,舌にベタつく。
カレー鍋は,カレー粉の強烈さで化学調味料の味や混入物の味がごまかされるので,まあ良しとしたが,別に鍋のスープを買わなくても,レトルトのカレーを溶いたら同程度のものはできるだろう。それで満足できなかったら,化学調味料の出汁のもとをスプーンに半分ほど入れたら良い。

鍋料理は,言うまでも無く,なんでもかんでも一緒に炊くから,様々な味が混然一体となって旨みが出る。したがって,大鍋で大量に料理するのがコツと言えばコツである。一般家庭ではそういうことも不可能なので,小規模での料理とならざるを得ない。

しかし,だからといって,あのような化学調味料の渦を食べなくても良いと思う。普通に肉や魚や野菜を一緒に煮るだけで,美味いものになる筈だ。調味料は,醤油と塩とカツオ,鳥がらなどがあれば,そこそこのものができるだろう。

2.電磁波コンロ
電子レンジと同じで,まったく不味い料理になる。肉も魚も野菜もまともに煮えないし,具材とスープとの融合ができない。卵を入れてみると,変な固まり方をするので,よくわかる筈だ。

ひところ,パソコンが普及し始めた頃に,電磁波の人体への影響を懸念して,鉛を仕込んだエプロンなどが売れていたが,最近は携帯電話の普及もあって,誰も電磁波のことを言わなくなった。

そこで,卓上電磁波コンロを使うと,周囲へ電磁波がビンビン出ている筈なのだが,どうして誰も何も言わないのだろう。電磁波に敏感な人は卓上コンロを嫌う。実際に感じるからだそうだ。

人体への悪影響は別としても,あんな不味い鍋になるなら,喰わない方がマシだと思う。
卓上のガスボンベコンロと並べて,同じ鍋を作ってみたら,どれくらい違うかわかるだろう。さらには,炭火で炊く土鍋とくらべてみたらいい。鍋で炊く,という行為の本質が理解できよう。

電磁波を大量に浴びながら,不味いものを食べなくても良いと思う。

ここにも,言説と本質の違いがある。鍋は美味い,コンロは手軽で良い,市販の鍋出汁は手軽で美味い,等々,だんだんと本質から遠ざかっていることに気づかず,腹を満たすことで満足し,それが美味いものだったと誤解する。そこに,マグロの大量捕獲や環境破壊,公害や健康被害の原因の,ほぼ大半があるのではないか。[環境と食文化]参照

技術は使い方がわからないと,役に立たないどころか,人類全体を不幸にする。電磁波コンロが人体に悪いとはいえないのかもしれないが,味覚的に話にならないことくらいは言っても良いだろう。あれは,あまりにも,不味い。ただ単に,暖かいというだけである。

冷凍・冷蔵マグロは,確かに喰える。しかし,それは獲れたてで一定時間寝かした新鮮なマグロとは,まったく異なるものだ。冷凍のマグロは,「それはマグロである」という言説抜きには成立しない,形骸に過ぎない。

そして,言説に惑わされて味覚を失うと,環境が破壊され自身が不健康になるのは事実だと思う。

「美味いものを食べて満足する」,ということと,「腹を満たして満足する」,ということは,決定的に異なるのだが,人類の多くは,まだそのことに気づいていない。それが,地球資源を徒に浪費し,自身の健康を害する一番の原因である。

きちんと火で煮た肉や魚や野菜の美味さと,化学調味料に塗れた電磁波料理の違いを,自分で比較してみたら良い。簡単なことだ。食卓で二つならべて食べ比べれば良いだけである。

言説や形骸に惑わされず,ささやかな家庭での幸せと,一口のスープの温かさを,噛み締めることができることが,グルメの本道であると思う。

本当のグルメは,地球も自身をも救うものだと思う。

本質的に美味いものを食べて,幸せな人生を暮らしたいものだ。そうする姿勢を持つだけでも,地球環境の破壊にすこしでもストップをかけることができる筈だ。

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マイケル ジャクソン THIS IS IT

マイケル ジャクソン

ここをクリック!

今,まさに観ているのですよ,マイケル・ジャクソン THIS IS IT。仕事しながら,ですが。

マイケル・ジャクソンは偉大ですね。

ここまで凝りに凝ってステージを創っていたのかということがよくわかります。頭の良い人が大勢集まって,こだわって,最高の珠玉を創出しようと希求している姿勢がよく見えてきます。

例え一日の一限の授業という「ステージ」でも,先生と呼ばれる職業につき,学生さんのご家庭から授業料を頂いて生活の糧にしている以上は,ここまでやるべきだと思いなおしました。

これは凄い。必見!

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鍋物のコツ

干しシイタケで造る,椎茸茶の話を書いたので,ついでにというわけではないが,この冬のために。

鍋物を造るときは,ベースのダシは,別の大なべに作っておくのが良い。家族4人前を造るなら,その倍くらいは入る鍋に出汁を作っておく。

基本は,なんでもいいのだが,8人前くらいの出し汁を用意するとなると,生の大根を半分くらい,干し椎茸を三つから四つ,そして日本酒を2合ばかし入れて,あとはそのまま水炊きにするにしても,あるいは,味噌味にするにしても,昆布とかカツオとかを入れるにしても,お好みのままに。日本酒はなんでも良い。古くなったのでも良い。これを大胆に入れることがコツといえばコツである。

昆布ベース,カツオベース,など,色々鍋ものにはバリエーションがあるが,大根の甘味と干しシイタケの奥深さが加味されると,実に奥行きのある味わいになる。そして,その奥行きの深さを爽やかに引き立ててくれるのが,柚子の皮の一切れである。

たいして材料費もかからないので,ぜひお試しいただきたい。湯豆腐だけでも,野菜だけでも,冬の夜の家族の団欒のときに,あたたかい一品となろう。

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椎茸茶

椎茸茶という妙な飲み物がある。簡単なので,造ってみていただきたい。

材料
干しシイタケ 1カケラ

黒コショウ
・・・以上。

干しシイタケを,大根下ろしで下ろすなり,包丁で叩くなりして,できるだけ粉にする。シイタケ一つ分かそれ以下で良い。一人分を味噌汁碗一杯とすると,一人分としては,干しシイタケの粉・カケラを,小さじ1/4杯程度で十分である。

その粉に,熱湯をかける。塩で味付けする。黒コショウの香り高いのを一振りする。
・・・以上。

好みで柚子の皮を浮かべるのも良い。

酔いざましや,飲んだあとの〆,朝起きての一杯,夕食の味噌汁のかわり,なんでもOKである。

コツは,本当の干しシイタケを使うこと。最近は「乾燥シイタケ」もたくさん出回っている。天日に干したシイタケであるからこそ,滋味溢れるスープになるから,あくまでも,「干しシイタケ」である。あとは,黒コショウを入れること。胡椒と干椎茸は,想いの他,合う。

簡単なので,ぜひお試しあれ。

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さっぶいなあ~

京都 やきとり

・・・・さっぶいなあ~。(=寒いなあ)

景気も悪いし,,,
百貨店には人がおらんし,,,,
そやけど,その割には,休日の高速道路は渋滞や。
景気が悪いのに車が増えてる。サービスエリアは人だらけや。
高速道路の休日割引は良いけれども,それであれだけ車が走ったら,地球温暖化に拍車をかけるだけやないか。なんで誰も,そこを突かへんのやろ。そこが大事な現実や。

うちもなあ,景気が悪うなると,志願者が増える。
こっちの場合は,皆,現実を見始めるのやな。
景気が悪うなって,そこらの普通の学校行ってたところで,うだつが上がらんどころか,就職もでけんわ,リストラされるわ,やったら,手に職を付けておいたほうがええに決まってる。こっちの場合は,や。

ITっちゅうのは,人類社会のインフラになってもたもんなあ。これがないと,人間社会がなりたたへんわなー。それで,景気が悪うなると,人類社会の為になる,っちゅうワケ,や。こっちの場合は・・・。

人間っちゅうのは,勝手なもんで,景気のええときは偉そうにしてて,いざ景気が悪うなって災難が降りかかってくると,やおら真面目に人生とか将来を考え始める。ところが,景気が悪うても,廉いと思うと,ついつい,高速道路に乗ってガソリンを使って,財布はカラになる。
それで,家に帰って,財布の中身を見てみたら,明日が不安になって,仕事に役立つ勉強をしたいと思うんかな?

なんでもええけど。はよ出願せんと,そろそろ締め切りの学科も出てきてるみたいやで。

さっぶいなあ~。こういうときは,やきとりで熱燗を一杯,クぃッとお~,傾けて,世の中を斜めに見ながら,自分だけでも,失敗はせんとこ~,と,しみじみ,想うわけや,誰でも。

ああ,京都はええなあ~。家から出て,ちょっと歩いたら,美味いやきとりとかおでんの食べれる,居酒屋があるもんなあ。寒いけど,京都はええなあ・・・。

また酔っぱらってしもたなあ~。さぶいし,やなあ~。

冬,やなあ・・・。

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景気悪化と失業??就職?転職?

景気悪化と失業??就職?転職?

多くの報道にあるように,景気悪化とともに,失業率が上がっており,日本社会は停滞したままである。良く言えば成熟社会なのだが,失業率や大卒の就職難などが報道されるが,抜本的な対策はなされていない。

その一方で,IT業界は10年に一度とか20年に一度などと言われるような,業界構造の再編が進んでおり,東京など首都圏では,一部分野から回復の兆しが出てきている。コンピュータ・IT分野はやはり強い。当たり前だが,ITはもはや人類社会のインフラだから,仕事は増えこそすれ,減ることは無いからである。

ところが,今なお,多くの誤解がまん延していて,いまだにIT業界は3Kだとか,それは理工系の仕事だとか思われている。これについては,声を大にして誤解を解いておきたい。

コンピュータプログラマの仕事はキツくて,徹夜も多く,若者がなりたがらないなどと言っていたのは,20世紀の最後までくらいである。ここ10年くらいは,業界も改善が進んでおり,9時5時で終わる会社も多い。もちろん,給与や年収も良い会社が多い。特に,地方のソフト会社などでは,NHKのニュースでも報道されていたように,日常は普通は9時出社の5時退社で,産休と育児休暇で合わせて3年というところもある。

また,ある会社では,深刻な人材難であるために,文系大学卒を採用し,地元の専門学校に行かせてITを学ばせているという話もあった。会社が学費を払ってくれるのだからありがたい話である。

つまり,それほど技術者を優遇しないと,企業が成り立たないくらい,人が足らない状況が継続している,ということである。

ITの分野は,現時点ですでに開発されている技術が業界に知られると,その技術が普及するまで10年程度かかるという定説がある。
携帯電話の技術自体は70年代に開発され,実際は80年代後半に実用化されたが,それが一般市民に普及したのは90年代の後半である。
この事例ひとつ見てもわかるように,現時点ですでにある技術と,それが普及するまでの時間にはタイムラグがある。今後の10年程度,というスパンで物事を見れば,次に何が起こるかが現時点でわかっていることがいくつもある。家電は今後,もっと組込みシステムが拡張すようになり,インターネットと繋がるようになる。自動車はハイブリッドから完全に電気自動車化されていくので,そこにも多くのITが必要となる。これらはすべて,今後,IT関連の技術者がもっと必要になっていくということを示している。

ITはすでに社会のインフラになっており,どの国においても,IT・コンピュータがなくては社会が成立しない。国中のコンピュータが止まると,その国が瓦解してしまうところまで普及した。

ところが,多くの教育機関で,「ITは工業の一種であり,理工系の技術者だけが専従するものだ」と,いまだに思い込んでいる。多くの大学が工学部という名で情報やITを取り上げているのがその証左だ。だから,人材難が社会問題になるのである。一般の文系大学で,「君はITは無理だ」と洗脳されきっているのではないかと疑いたくなるくらい,人々は現実を知らない。

IT分野はまだまだ人材難で,多くの仕事がある。異業種からの転職も常に歓迎されている。文系出身者でも,ある程度のITの基礎知識を持った人は歓迎される。

IT革命と言われたほぼ10年前,いやもっと前から,IT分野で必要とされるのは何も理工系の卒業生だけではない。いわゆる文系,人文系や社会科学系の人たちこそ,活躍できるITの分野がたくさんある。私立文系卒は,かつては日本の高度経済成長を支えたが,あのときは,なんでもいいから人が必要だったというだけだ。今,IT分野で人が必要なのは,まさに文系の視野でITができる人たちなのである。

プログラムを制作するのは,ある種の言語能力であり,論理構成力であるから,プログラマーもSEも,実は文系のアタマが必要なのだ。また,近年では,文章力が要求されるような仕事も増えてきている。卑近な例だと,ホームページやWebサイトを構築するのには文章力やデザインセンスなど,まさに文系のセンスが必要なことくらいはご理解いただけるだろう。それだけではない。企業の情報システムなどは,まさに社会系のセンスがあれば,理解しやすいものであることなど,他方面にわたって,「従来の人文系・社会系の知識やセンス,+プラスIT」という人材が必要となっている。

大卒の就職率の悪化や失業率の悪化など暗いニュースが多いが,私立文系を卒業して,就職がないと嘆く人たちは,大卒後,KCGで数年学んでITの基礎を知り,そういった分野の就職を目指したら良い。将来,生涯にわたって,職にあぶれる,職を失うというようなこととは無縁になるだろう。ひところ流行したダブルスクールでも良いと思う。文系大学で何かを学んで,それプラスITを身につけると,パワフルになる。

つまり,どうして大卒新卒として,就職難に喘がないといけないのか,筆者からみると,独りよがりで閉塞しているに過ぎないような気もする。せっかく文系の勉強をして知識を身につけたのだから,もうすこし視野を広げて考えてみればどうか。

大学の数が増え,大卒が増えたが,多くの大卒が,昔の高卒の仕事に従事している。大手スーパーやチェーン店の店員として大卒が就職できたと喜んでいる例もあるのは,一体,何のための大学だったのかと疑わざるを得ない。彼らは,大学の被害者なのではないかとさえ思えてくる。

大事なことは,自分が,仕事のスキルを身につけることである。残念ながら日本では,「仕事のスキルを身につけることのできる大学」は,いまだに極めて少ない。でも,そうなってしまっているなら,今からでも遅くはない,知識に加えて,スキルをゲットし,両方を得ればよいのである。

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教育の瓦解と官僚制度化社会

教育の瓦解と官僚制度化社会

戦後60年を経て,現代日本の教育は完全に瓦解している。小学校・中学校の義務教育では,クラスが成立していない学校が多い。児童や生徒が授業中に走り回り,先生の言うことを聞かなくなった,高校では中退率は2割を超え,通信制・単位制の高校が流行している。公教育が成立している例は,どちらかというと稀である。大学では,学生は単位を取る為に出席するだけで,まるで勉強しない,等々,教育の崩壊の話は枚挙に暇がない。

特に高等教育においては,大学数は増えるばかりで,学生数は減るばかりであり,私立大学の実に半数が定員割れを起こしており,大規模有名私学だけが台頭している。ところが,それらの大規模私立大学で教育が成立しているのかと問うと,世界的な研究成果など稀であるし,企業は相も変わらず,大卒者に対して,大学での学習成果など求めていない。

それらの問題を考えるために,各私立大学の現況を観察していると,新たな事実が見えてきた。

現在,関西圏の大学生の5人に1人が関関同立のいずれかに属しているという。さらに来年は関大が1000名規模の学部を新設するという。関東圏でも元気が良いのは老舗の大規模私立大学だけである。つまり,かつてなかなか入れなかった難関私学が,誰でもはいれる大学になっているのは,レベルが落ちている,少子化になっている,というだけではなくて,定員が大幅の増加しているからだ。言うまでもなく,定員が増えると,事務職員も教員も増える。

そして,それら私立大学の組織構造を見ると,社団法人的組織になった大学だけが台頭してきていることに気付くのである。言い方を変えると,「オーナー経営者のいない大学」,「創立者の思想が,建前とお題目だけになってしまった大学」,「本質的にその大学の卒業生がイニシアチブを取っていない大学」,「創立者や経営者の実体としての顔が見えない大学」,「文部官僚OBが取り仕切っている大学」などである。

何が起こっているのかというと,私立大学の「官僚制度化」である。それら私立大学に働く職員に,元公務員が増加しているのは事実である。文部官僚だけではなく,地方自治体の元職員,すなわち元地方公務員が,大学などの公益法人に,かなり増えているのだ。

東京においては,元都庁や元区役所の役人である人たちが,多くの著名私立大学の職員として大学事務に従事している。その数の統計は無いので実数はわからないのだが,大学に限らず,全国の社団法人などの公益法人には,元役人が実に多い。民間組織,私法人でありながら,実際は「官僚制度化」しているのである。

「役人が悪い」とは言うまい。「元公務員が悪い」とも言うまい。それが実際の官公庁あるいは類似団体でなく,私立大学のような「民間法人」であっても,役人や元役人,あるいは同様の思考回路の持ち主たちが跋扈する組織になってきており,そのような組織だけが巨大化・肥大化している,ということだ。「民間」とか,「民意」とか,あるいは「民営」とか「民主」などという言葉とはまるで正反対のパラダイムに,社会構造が転変していっている事実が背後にある。

官僚制度化社会が進展し,あるいは国家社会主義と言っても良いような状態が始まって,実は,かなりな年月を経てしまっているのではないのだろうか。

民主党の新政権は官僚の天下りばかりを非難しているが,もっとその背後にある,社会の官僚制度化に国民は気付くべきだろう。官公庁の定員が削減されて,一見,天下りが減ったように見えても,そこに蠢くのが官僚制度護持の思考回路であり,官僚制度的思考に侵された人々が社会を支配する状態である限り,日本に民主主義など実現するわけはない。自由主義と民主主義は,日本的官僚制度とは真っ向から対立するパラダイムである。

公益性と民営化,相対立するようにみえる昨今流行の二つの概念は,実は表裏一体の,日本的国家社会主義の兆候ではないかと思えるようになってきた。かつての国営・公営組織は,「民営化」の美名の下で,一部の人々の「私物化」への道程にある。それら私物化される組織に蠢くのは,公益性を標榜しながら実は組織的私物化を推進する,まさに官僚的な集団である。

日本では今,純然たる民間組織は勝てないようになってきている。多くの弱小私立大学,すなわち純然たる私学・民営組織が喘いでいる事実の背後にあるものは,何なのか・・。



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マグロが危ない②

マスコミで大間のマグロを食すタレントの番組が放映される。
↓↓↓
たいして味もわからないような若いタレントが,それを美味い!と連呼する。
↓↓↓
それを見た視聴者が,マグロを食べたくなる。
あるいは,グルメ漫画を読んで,マグロを食べたくなる。
↓↓↓
そして,仕事帰りの飲み屋で注文したり,近所のスーパーで冷凍マグロを買って食べ,食欲を満たす。

このロジックにある徹底的な誤謬は,マグロという名称,あるいは,マグロを食すという行為のパラダイムに残る,マグロという概念のすり替わりである。それは本当に美味いマグロなのかどうかということである。
それは,放映されたり,漫画に描かれた「美味いマグロ」なのではなく,かつてマグロであった魚肉の冷凍あるいは冷蔵の流通品に過ぎず,そこには,その本来の味覚など無い。そこにあるのは,元,マグロであった,唯の屍であり,肉汁が抜けた藁である。冷凍戻しのトロが美味いと騒がれるが,冷凍戻しの脂質に舌が反応しているだけである。

食べ物は,冷凍したり古くなると味が変わる。本来はわざわざそのようなものを食べなくても,他にもっと美味いものがあるはずなのだが,人間は言説に左右されるので,「それが美味いマグロであると信じること」と,もうひとつ,「実際に今,空腹である」ことの二つのファクターにより,古くなった,あるいは味の変化したそれを食べて,実際に満足するのである。それは,大手流通会社や大量捕獲企業が跋扈するマーケットとなる。ミシェル・フーコーの言う「パワー(権力)」であり,「言説」である。
ここに,資源枯渇の一番の原因がある。

爆発的に増加する人口の食料確保の問題と,言説に振り回される哀れな消費者の問題とは,明確に分離して考察するべきだろう。海洋資源を大量消費しているのは,人口増加に苦しむ途上国ではなくて,大量消費の国々なのだ。

人類学でも明らかなように,人間は,味覚の学習の結果,どのような食べ物にも順応する。つまり,ある文化様式の中で,それが食べ物である限り,何らかの理由でそれが食べられるようになると,その人々はそれが美味いと言うのである。

例えば,日本人の好きな梅干や納豆は,それを知らない,慣れていない外国人にとっては,信じ難い食べ物である。フランスのウォッシュチーズも,昔の日本人ならば多くは「ゲーッ?!」と言っていたのだが,今は学習した日本人が多いので,それが「美味い」ということになっている。何の栄養にもならないコンニャクなども,その証左のひとつであろう。いずれも,その文化においては,それなりに美味いものとして認知されている。

江戸時代に,それまではむしろ軽視されていたマグロを,美味く食べる方法が発明された。最初は廉く美味いものだった訳だ。
それがやがて多くの日本人にとって「ご馳走だ」ということになり,冷凍技術の進化に伴って,昭和の時代の後半には,日本国内で大量に流通するようになった。それが海外に伝播し,「マグロを食すという行為」が流行していったという,たったそれだけのことである。そこに本質的な意味でのマグロの味覚に対する認識など無い。流行したのは,「言説」だけである。

海洋資源を枯渇させているのは,美食でも味覚でも無く,ましてや人口増加のための対策事業でもない。あるのは,「言説」に過ぎず,それに乗じた営利事業だけである。元々は美味いものを冷凍したり冷蔵したり加工して不味いものに変換し,言説と学習によってそれを大量消費しているのは,実に「もったいない」と思う。

数年に一度でよいから,和歌山の勝浦や,伊豆に旅行して,新鮮なマグロを食べることができたら,それで幸せになれるのだから,仕事帰りの飲み屋や近所のスーパーの冷凍マグロなどに騙されないようにしたい。

美味いものを食べたい,美味いものを食べる,という行為と,言説に騙されてとりあえず今の空腹を満たして満足した気になるという行為の間には,徹底的な差異がある。食欲を満たす行為に観念の所産が加わり,まるでそれがグルメであり,美食であると誤解されているが,そのような消費者が増加する一方で,味覚の本質が雲散霧消していくのは,愚かな話だ。

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マグロが危ない

モナコがマグロ漁を全面禁止にすべきだと主張している。

世界一のマグロ消費国,日本にとって,迷惑千万という他ない。

日本以外の多くの国は,マグロを,その味を理解もせず大量消費をしている。国内ではシーチキンとして有名になったマグロの水煮の缶詰は,欧米の発明である。あんなものを食べるくらいなら,鯉や鱒を養殖して,同じ缶詰を作ればよい。さほど味は変わらないだろう。

合成粉ワサビを,マズイ醤油に溶いて,黒緑の液体に,冷凍マグロを戻した刺身を浸して,それを美味いだの,健康の良いだの言いながら食している海外の人々も,そんなものなど食べなくても,養殖の鯉や鱒を同様にして食する方が美味いことを学んでもらいたい。

それで,マグロの減少に歯止めがかかるどころか,増えること必定である。

「日本人がマグロを美味いと言うから」,という言説を鵜呑みにして信じ,日本人の長寿を羨みながら,マグロの本質の何たるかを知らずして大量消費しているのは,諸外国では無いのか?
「違う」,「消費する権利がある」などと言うならば,大間の黒マグロと噴火湾の黒マグロの違いや,ボストン沖の黒マグロやキハダやメバチのそれぞれ特性を指摘して説明できるなら,許してやろう。赤い身の魚だという程度の認識ならば,食べない方が良い。マグロは食物連鎖の最終に位置するので,ダイオキシンも多い。その意味では,味をわからないなら食べない方が懸命だし,味を知る者も迷惑を被らずに済むことだろう。

マグロであろうとなかろうと,「それは美味いものである」との言説を鵜呑みにして,それを食べて,それが美味いと信じながら,それぞれの違いを認識しない「幸せさ」,と,それが美味いとの言説の確かさを,文献で調べつくして,さらに様々に食べ比べながら,舌に残る記憶の再現を追い求める「愚かさ」と,どちらか資源保護のためになるか。



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