天正十年には数多くの天変が起こっています。
・3月にはオーロラが出ました。京都でも安土でも見えたという記録があります。
・5月には彗星が現れました。その記録は中国やヨーロッパにもあり、特にチコブラーエが観測しています。彼は最後最大の眼視観測者で視力は3.0(?)、彗星は気象現象ではなく天体であることを明言した人です(中国では紀元前から知られていましたがね)。
・6月には日食が、これについては既述
☆本能寺の変と日食 | ほしぞら.・古代史・コンピュータ。
本能寺の変の後にはないようです。
この年の春、武田を滅ぼして、夏には上杉・長宗我部・毛利を徹底的にたたくつもりだった信長はあっけない最期。年末になって一番得をしたのは、武田の旧領を併吞した家康ではないでしょうか。織田家の跡目争いで秀吉と勝家が争っている隙に、かつての武田領今川領を合わせた大大名になった。
本能寺の変の原因は光秀の個人的な恨みによるものとされて、真相は闇のままですが、秀吉や家康よりアヤシイ人々がいます。そこになんと暦が関係してくるのです。