☆本能寺の変と日食

日蝕


 これも「宇宙からのメッセージ」(斉藤國冶著)からの話です。

 本能寺の変は天正10年(1582年)6月2日の早朝、実はこの暦日は旧暦で、西暦では6月21日です。旧暦2日といえば前日は1日・・・新月です。ひょっとしたら?そう実は日食があったのです。
6割欠ける部分食でした、といってもピンと来ないので、日食ソフトからのキャプチャ。
見にくいですが、クリック拡大で見てください。15時半ころこんな感じで見えたはずです。なのに日食の記録はない!
ある公家の日記によると、この日は雨だった、夜になってから晴れたそうです。

 ところが『天正十年具注暦』なるものには、ちゃんとこの日の日食が予告されているそうで、この暦は朝廷の陰陽師が細々と作っていたものらしいです。だからこれを見て日食を知っていた公家もいたでしょう。また晴れたら日食を見て中国出陣を延期するよう信長にアドバイスした公家もいたでしょう。信長が京都に来たのは明智光秀を従えて、毛利攻めに出発するためだたのです。
しかし迷信嫌いな信長のこと、たとえ日食を見ても人の忠告など聞かなかったでしょうね。

 本能寺の変と日食と何の関係あるんや?? 実はあるんです。

☆本能寺の変の黒幕 | ほしぞら.・古代史・コンピュータ
 

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