京都と江戸と山口と

先日、百万遍交差点で京大理の先生と立ち話。話題は天文から西高東低に移り、文化もそうだということになりました。「江戸」は首都ではなく、京都の機能が150年間向こうに行っているだけとか、モチロンこの人関西人です。江戸は東の京ですが、西の京はどこかというと山口なんです。またまたキョウドビイキ・・と言うなかれ。戦国時代に不動産を失った公家を引き取って面倒見たトップの大名は山口の大内氏です。山口には当時のお寺などがたくさんあります。もっともチトやりすぎで大内氏は戦国を生き残れませんでした。
 江戸と山口、京都からほぼ等距離ですね。

山口

 

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アクセスランキング

 出ましたね。1月後のランキング。 
まずは病床から健闘されたレーシングさんに脱帽。2位~5位はほとんど差はないですが、それぞれの個性がでておもしろいですね。順位にアクセクすることなく内容を充実していきましょう。

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紙といえば羊

 紙といえば羊を想いだしました。紙を食べるからではなく、西アジアからヨーロッパで紙の前に使われていた羊皮紙という記憶媒体のことです。これは耐久性はよく、再利用もできますが、とにかく高価なもので、聖書1冊のためには羊を何十匹も殺さねばならない。ヨーロッパには紙が伝わる12,13世紀までは文字文化が非常に貧弱なのもナットクです。
羊は中国北部から西アジア、ヨーロッパにかけては最もフツーの家畜で、ユダヤ教やイスラム教には頻繁に登場しますね。ところが日本ではヤギは飼っても羊を飼う習慣はなかった。明治末期に防寒具の原料を自給するためにと輸入されたのがはじめだそうです。羊を飼わなかったおかげで森が守られた・・というのはA先生からの受け売りですが。

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漢字 続々

 漢字の伝来は応神時代と言われていますが、実はもっと古いはずです。わが国最古の漢字は、志賀島(博多湾)から出土の金印に書いてある「漢委奴國王」で、1世紀半ばのことです。この王サマまさか意味も知らずに、もらって喜んだとは思えない。後漢の光武帝からみとめられたことはわかったはずです。しかし漢字を覚えるのは現在でも難しい、普及するまでには長い長い年月が必要だった。普及に貢献したのはきっと「」の伝来でしょう。この安価な記憶媒体こそ、わが国の文化向上の立役者です。聖徳太子は紙にお経の注釈、すなわち漢字で自分の考えを陳述した、を書いているというのだから、伝来はそれより百年は前でしょう。
ちなみに「かみ」という語は訓読みではなく、「簡」の「カン」という字音が転じたものというのが定説であるそうな。「紙」が中国から渡来したものであるからには、漢語が入る以前に和語が存在しないというのは当然ですね。

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漢字(続)

 オブジェさんのコメントの後で調べてみたら、漢字の訓読みが普及したのは平安時代で、一般人が使うようになったのは江戸時代になってからだそうです。漢字伝来の時期はわかりませんが、博多湾のある王サマが「倭奴国王」という漢字の書いてある金印を後漢の光武帝もらったのは1世紀のこと、ヒミコが魏の明帝に手紙を書いたのは3世紀のこと(そのころはモチロン音読みだけ)ですから、漢字を自国風に使えるまで千年以上もかかっています。ヤッパリ漢字の学習は大変のようですね。
英語でこんなことはないものか?昔,英会話教室で etc. をエトセトラと読んだら and so on と訂正されたことを思い出した。ラテン語を英語で読んでいるわけで、他にも例があるかもしれませんね。

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漢字

漢字伝来 (岩波新書)

 先月読んで非常に強く感じたことは漢字の訓読みってすごい発明なんだということです。「石」という字を「いし」と読むのはアタリマエと思っていますが、実は外国語を日本語で読んでいるのです。いわばstoneという単語を「ストーンと読んで石のこと」と言わずに、stoneをそのまま「いし」と読んでいるわけです。つまり辞書を作ったのですから、1人の天才ではできない。多分大人数で、数百年もかかって、試行錯誤の末、完成したのでしょうね。でもこれによって日本人は漢字をマスターした。漢文(外国語です)では順序を変えて日本語読みというハイパーテクニックを開発したわけですね。
現在でも、漢字を使っている民族は中国人と日本人だけ。やめてしまった民族はたくさんいます。

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8月は小の月だった

 7月8月と大の月が続くのはナゼでしょう?実はもともと偶数月はすべて小の月だったのを、ローマ初代皇帝のアウグスツスが、自分の誕生月である8月が小の月であるのが気に食わなくて、1日ふやしたそうです。そのため9月以降の大小がズレたという話です。勝手な話ですが、そのおかげで夏休みも冬休みも1日多い。
 元をいえば、ローマの暦はMartius(March)から始まっていて、閏年の調整は最終月で行っていました。その名残はSeptemberは7、Octoberは8、Novemberは9、Decemberは10に関連した言葉ですね。ローマの古暦を改訂したのはアウグスツスの伯父であるシーザーで、彼はエジプト遠征から、暦とクレオパトラを連れて帰ったそうです。

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水無月? 弥生?

 本日8月1日は旧暦では六月(水無月)十九日ですが,なぜ六月を水無月というのでしょうか?六月は梅雨の時で水は溢れてるはずなのに・・・というのは現行暦で考えるからで,旧六月とは今で言うと7月中旬~8月中旬,梅雨は明けてまさに水不足のころです。
 「さくら さくら 弥生の空は・・・」と歌っても3月ではまだ桜は咲いていません(去年は温暖化のため特別早かったが)。この「弥生」は旧暦の三月,現行暦では4月中旬以降です。こういう例はまだまだありそうですね。

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