というタイトルで話してきました。NPO花山星空ネットワークの主催する講演会です。平安の天文家~空海・晴明・定家をめぐって~という変な話です。この3人、実は天文へ多大な貢献をしているのです。京都には1000年以上も天文の歴史があることを知ってほしい。会場、京都大学百周年時計台記念館(の小ホールですが)はほぼ満席、熟年者が多いが、鴨川校の学生さんが2人(A君&Nさん)お手伝い要員に来てくれました。写真は最期のスライドです。
NPO法人 花山星空ネットワーク 第1回 講演会
月別アーカイブ: 2008年3月
楽しく高校訪問4
山口県防府市である短大を訪問しました。応対に来られたのはCG担当の若い女の先生。話は編入学からからFlash、メタセコイヤ・・・さらに、
「ところで先生の専攻は?」と尋ねると
「出身は物理で、素粒子です」そこで
「いやぁ、私は天文で・・・」
てなことで、ケプラーの法則や光の径路を視覚化する方法から、加速器、ニュートリノ、ニュートラリーノ、ダークマター・・・まで及びました。
如月の望月
ラオさん提供
今日の3時40分に満月となりました。如月の望月です。今、東南の空にまん丸お月さんが見えています。
西行はこの望月と桜花の下で死にたいと言っていましたが、実際に亡くなったのは二月十六日(現行暦では3月23日)で、いざよひ月でした。彼は清盛と同い年でエリート公家でしたが、23歳で出家し、奥州平泉から四国讃岐まで旅をしながら歌を詠み一生を過ごしました。でも勅撰集に200首以上も載せたり、頼朝に会ったりして、浮世と隔離した出家生活ではなさそうです。
桜と月と西行
chappyさんの桜のブログを見てから、外に出ると丸い月、今日は13夜です。旧暦では如月の十三日。そこで西行の歌を思い出しました。
願はくは花の下にて春死なん その如月の望月のころ
西行はこよなく桜を愛し、死ぬときはその花の下で死にたいと言っていましたが、如月の望月のころは桜はまだ早すぎる、この歌は彼の単なる願望fだと思っていました・・・しかし実際に咲いているのです。
死ぬときは何の下がいいかな??
新たな旅立へ
Google Sky
楽しく高校訪問3
高校訪問で山口県の防府に行きました。これはhoufuと読みます。他府県人はよくboufuというが間違いです。ここは律令時代は周防の国府があった由緒ある町で、日本三大天神といわれる防府天満宮があります。。1番はもちろん京都の北野、2番は筑紫の大宰府これは当然ですが、一般によくあることで、3番というのは全国いっぱいあります。ところが防府天満宮は菅原道真公が亡くなってスグにできて、前2者より古いのです。道真公が京都から筑紫へ流される途中、ここに立ち寄ったそうです。
残念ながら時間がなくて参拝はできず、この写真は駅の前で撮りました。そばの木はもちろん梅ですが、もう散っていました。
楽しく高校訪問2
籠城一揆軍3万は幕府12万の大軍に敗れて島原の乱は終わりますが、彼らは最後まで援軍を期待していたそうです。援軍とは神が仕向けたポルトガル艦隊です。へぇ~・・・。でも.援軍は来ませんでした、そのわけは
①オランダがそれをさせなかった。日本にはじめてやってきたヨーロッパ人はポルトガル人、そのとき鉄砲が伝来するわけですね。その後スペインから、両国ともキリスト教(カトリック)宣教師を伴って来ます。家康の時代になってからオランダ、イギリスからやってきますが、彼らはキリスト教は持ち込まないという約束を幕府と交わします。オランダは江戸幕府の方針に協力して、ポルトガルを日本から退去させ対日貿易を独占したというわけです。これが鎖国の実態。
②ポルトガルは援軍を検討したが日本にある鉄砲を調べたら、ポルトガルよりたくさんあることがわかり、これでは勝ち目はないとあきらめた。当時の日本は世界1の鉄砲保有国です。関が原では7万個、大坂夏の陣では10万以上の鉄砲が火を噴いたそうですから。
ホントかどうかは別にしてこんな話が高校訪問でできるとはおもわなかった。
平安の天文家3
楽しく高校訪問1
先週から高校訪問して、8月と11月に行ったSPP研修会の参加者に研修報告書を配っています。オブ脳さんは兵庫大阪方面を、castorは京都滋賀が主たる持ち場です。先日、枚方のとある高校を訪れたときその先生と話が弾んで、情報から天文さらに歴史へと及びました。なにわの天文学はレベルが高かったことから話題は進み島原の乱へ。この乱は一般にはキリシタン弾圧とか、過酷な年貢取立てに対する農民と浪人による一揆と言われていますが、果たしてその実は?籠城一揆軍3万に対して幕府は何と延べ12万の大軍を向けているのです。ナンデ関が原の戦いより多いのか?単に国内の戦乱というだけでなく、そこにはヨーロッパの複雑な国家事情が絡んでいるようです。
以下次項