というタイトルで話してきました。NPO花山星空ネットワークの主催する講演会です。平安の天文家~空海・晴明・定家をめぐって~という変な話です。この3人、実は天文へ多大な貢献をしているのです。京都には1000年以上も天文の歴史があることを知ってほしい。会場、京都大学百周年時計台記念館(の小ホールですが)はほぼ満席、熟年者が多いが、鴨川校の学生さんが2人(A君&Nさん)お手伝い要員に来てくれました。写真は最期のスライドです。
NPO法人 花山星空ネットワーク 第1回 講演会
月別アーカイブ: 2008年3月
楽しく高校訪問4
如月の望月
桜と月と西行
chappyさんの桜のブログを見てから、外に出ると丸い月、今日は13夜です。旧暦では如月の十三日。そこで西行の歌を思い出しました。
願はくは花の下にて春死なん その如月の望月のころ
西行はこよなく桜を愛し、死ぬときはその花の下で死にたいと言っていましたが、如月の望月のころは桜はまだ早すぎる、この歌は彼の単なる願望fだと思っていました・・・しかし実際に咲いているのです。
死ぬときは何の下がいいかな??
新たな旅立へ
卒業生の皆さん、おめでとう。
KCG,KCGIのKはもちろん京都ですね。みなさんは千年の都(決して古都という過去形ではなく現在完了形)で、鴨の流れと比叡の頂きを眺めて学んだことを忘れないでください。
新たな旅立ち、それにふさわしい贈り物はこの飛翔
とよこさん・・・・・ホントにおつかれさま
むしまるくさん・・昼夜大活躍でしたね
Google Sky
楽しく高校訪問3
楽しく高校訪問2
籠城一揆軍3万は幕府12万の大軍に敗れて島原の乱は終わりますが、彼らは最後まで援軍を期待していたそうです。援軍とは神が仕向けたポルトガル艦隊です。へぇ~・・・。でも.援軍は来ませんでした、そのわけは
①オランダがそれをさせなかった。日本にはじめてやってきたヨーロッパ人はポルトガル人、そのとき鉄砲が伝来するわけですね。その後スペインから、両国ともキリスト教(カトリック)宣教師を伴って来ます。家康の時代になってからオランダ、イギリスからやってきますが、彼らはキリスト教は持ち込まないという約束を幕府と交わします。オランダは江戸幕府の方針に協力して、ポルトガルを日本から退去させ対日貿易を独占したというわけです。これが鎖国の実態。
②ポルトガルは援軍を検討したが日本にある鉄砲を調べたら、ポルトガルよりたくさんあることがわかり、これでは勝ち目はないとあきらめた。当時の日本は世界1の鉄砲保有国です。関が原では7万個、大坂夏の陣では10万以上の鉄砲が火を噴いたそうですから。
ホントかどうかは別にしてこんな話が高校訪問でできるとはおもわなかった。
平安の天文家3
(鴨川校のNさん作)
平安末期の歌人、藤原定家は百人一首の選者として有名ですが、『明月記』という日記風のエッセイ(要するにブログのはしり)を著しています。その中には世界中で 2 例(もうひとつは中国)しかない「かに星雲」誕生の様子が記されています。この星雲 は20世紀後半の天体物理学の花形天体であり、実は重量級の星の最期を飾る姿、超新星爆発だったのです。この話は彼より180年前の陰陽師の記録を基にしていますが、彼自身が見た彗星などの天文記録も多数、記されています。
彼は鎌倉幕府寄りの都の公家で、古文書蒐集が得意だったようです。
楽しく高校訪問1
先週から高校訪問して、8月と11月に行ったSPP研修会の参加者に研修報告書を配っています。オブ脳さんは兵庫大阪方面を、castorは京都滋賀が主たる持ち場です。先日、枚方のとある高校を訪れたときその先生と話が弾んで、情報から天文さらに歴史へと及びました。なにわの天文学はレベルが高かったことから話題は進み島原の乱へ。この乱は一般にはキリシタン弾圧とか、過酷な年貢取立てに対する農民と浪人による一揆と言われていますが、果たしてその実は?籠城一揆軍3万に対して幕府は何と延べ12万の大軍を向けているのです。ナンデ関が原の戦いより多いのか?単に国内の戦乱というだけでなく、そこにはヨーロッパの複雑な国家事情が絡んでいるようです。
以下次項