(鴨川校のNさん作)
平安末期の歌人、藤原定家は百人一首の選者として有名ですが、『明月記』という日記風のエッセイ(要するにブログのはしり)を著しています。その中には世界中で 2 例(もうひとつは中国)しかない「かに星雲」誕生の様子が記されています。この星雲 は20世紀後半の天体物理学の花形天体であり、実は重量級の星の最期を飾る姿、超新星爆発だったのです。この話は彼より180年前の陰陽師の記録を基にしていますが、彼自身が見た彗星などの天文記録も多数、記されています。
彼は鎌倉幕府寄りの都の公家で、古文書蒐集が得意だったようです。