鎌倉幕府と・・・(その3)

 1183年頼朝は都から来た上洛の要請を東国の事情とかでひとまずは断ります。次いで来た知らせは14歳のとき剥奪された官位を元に戻し、かつ東海道諸国の年貢の取立て管理する権利を与えるというもので、前者はともかく後者はスゴイことです。2人の弟、範頼と義経を遣わし義仲と平氏を滅ぼし、2年後には平定していまうお話は今さら言うまでもないこと。問題はこれからで、次の目標は朝廷を鎌倉からコントロールすることですが、相手は後白河法皇という天下の大天狗、陰謀が大好きで清盛も頼朝も義経も翻弄させたお人です(しかし文芸、歌舞音曲、さらに製薬まで芸は何事も達者です)。そのために利用されたのが戦はうまいがKYなる義経君ですね。義経を泳がせながら、彼を捕らえるために全国への守護・地頭の設置を迫り、ついに認めさせます。その際朝廷内を親幕府派の公卿で固めることにも成功しました。文治元年(1185年)彼は全国制覇を成し遂げた。官位は別にしてこの年をもって鎌倉幕府は事実上スタートしたわけです。その影には優れたブレーンがいますが、それは後の話。でもまだ1ケ所、意に従わぬ勢力がありました。以下次項

鎌倉幕府と・・・(1) 
鎌倉幕府と・・・(2)

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