☆金文が明かす史実

 サスペンダーさんから引き継いで  
古代中国の大規模な王朝交代戦争である殷と周との最終戦はその地名をとって牧野(ボクヤ)の戦いといわれています。その様子は史記には甲子の日に周の数万が殷の70万に1日で勝ったと書いてありますが、19世紀から西欧史学が導入されると、ウソやと思われてきました。ところが1970年代に利簋(りき)という青銅器が発見され、その銘文には史記と同じ内容が書かれていたのです。「武王、殷を倒す。戦いは甲子の日の朝始まり、黄昏はやく終わった」と。この青銅器はその時代の作品で、これによって伝承と思われていたのが史実だったことがわかりました。これぞ第1級の金文ですね。

 嗚呼、司馬遷はえらかった、単に言い伝えをまとめたのではなく、きちんと考証しているようです。もっとも数はオーバーでしょう。数字は忘れてもその事柄はけっこう覚えていることは今のわれわれにも通じることですね。また主役は武王ではなく、太公望でしょう。

ころは紀元前11世紀(castorの天文計算ではBC1046年1月20日)、日本ではノンビリした縄文時代、エジプトにはピラミッドが並び、ユダヤではダビデの現れるちょっと前、ギリシアはまだ世界史に登場前です。

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