☆昔、地球は暑かった?寒かった?(5)

 中世温暖期の前のことはよくわかりませんでした。ギリシアローマの彫刻では裸や薄着が多いのはBC4世紀~1世紀には温暖だったのか?しかし古代中国の帝王たちはみんな厚着ですね。これだけではなんともいえないが。。。
 確かなのは大幅に時代を遡って、6000年~8000年くらい前には世界中が温暖だったことです。それは地質学的にも考古学的にも言われていることで、海面は今より数メートル高かった。当時は枚方から先は海で、大阪は海の底です。シベリアにも北アフリカにも緑も森がありました。サハラの中央、タッシリの洞窟にはヤギやウシの壁画があります(宇宙人が描いたという説もあるが)。食料は豊富で人口は少なく、人々は安楽に暮らしていました。
 その時代の記憶は聖書にはエデンの園として書かれてるし、ギリシア神話ではさらに詳しく書かれています。
 かつてこの地上は,山には穀物や果物が実り,川にはミルクや酒が流れ,人間は農作しなくてもいつも満ち足りて,何不自由なく暮らしていました。また正義と信仰がいきわたり,権力を振り回す者もいなく,法律なんてものも不要でした。神々はこの世で人々と一緒に暮らしていました。このような平和で平等な時代は「金の時代」といわれています。

以下次項

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☆金文が明かす史実

 サスペンダーさんから引き継いで  
古代中国の大規模な王朝交代戦争である殷と周との最終戦はその地名をとって牧野(ボクヤ)の戦いといわれています。その様子は史記には甲子の日に周の数万が殷の70万に1日で勝ったと書いてありますが、19世紀から西欧史学が導入されると、ウソやと思われてきました。ところが1970年代に利簋(りき)という青銅器が発見され、その銘文には史記と同じ内容が書かれていたのです。「武王、殷を倒す。戦いは甲子の日の朝始まり、黄昏はやく終わった」と。この青銅器はその時代の作品で、これによって伝承と思われていたのが史実だったことがわかりました。これぞ第1級の金文ですね。

 嗚呼、司馬遷はえらかった、単に言い伝えをまとめたのではなく、きちんと考証しているようです。もっとも数はオーバーでしょう。数字は忘れてもその事柄はけっこう覚えていることは今のわれわれにも通じることですね。また主役は武王ではなく、太公望でしょう。

ころは紀元前11世紀(castorの天文計算ではBC1046年1月20日)、日本ではノンビリした縄文時代、エジプトにはピラミッドが並び、ユダヤではダビデの現れるちょっと前、ギリシアはまだ世界史に登場前です。

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☆大学院版サマーコース(続)

 終った 前半が!
順列組み合せ、確率、確率分布、基本統計量、推定検定と進みました。
・病人に解熱剤を飲ませる前後に体温を測ってこの薬はホントに効いているのか?
・デタラメ回答で合格点がとれる確率は?
・ベスト10に入るのはどれだけの能力がいるのか?
などなどでした。
これでまだ半分、来週は多変量解析に続きます。それにしても統計ツールのない時代にようまぁこんなややこしい計算をしたもの。しゅうちゅう講義が終った翌々日はちゅうしゅうの名月

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☆大学院版サマーコース

histgram

 ただ今、大学院で統計の集中講義です。毎日3コマそれが2週間も続くんです。今日は2日目,基本統計量を Excelの関数,分析ツール,SASプロシージャそれぞれで求める方法を実習しました。まだ 1/5 先は長い、これからが本論。暑さがブリ返さねばいいが,バテたらまけよ・・・
 現在,社会科学にも当然のように使われている確率・統計の元祖はハレー(あの彗星の),ラプラスという天文学者なのです。
      我田引水の弁

京都情報大学院大学 | ビジネス統計学特論

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