ヒミコは桓帝・霊帝の治世の間(146年~189年)の倭国大乱の結果、共立された女王になり、魏の使者が来た247年か248年に没したとすると在位は60年にもおよび、80歳か90歳まで長生きしたことになってしまう。当時の平均寿命の倍以上です。この謎を解くには初めのヒミコと後のヒミコは別人ということではないか! 2人でなく3人かもしれません、とにかく1人ではないということです。『魏志倭人伝』は伝聞録であり、魏の使者も女王ヒミコには会っていません。宮殿の奥で千人の兵士召使いに守られて暮らしているヒミコの真の姿を知っているのはごく少数です。80年の間で1回や2回女王が代わってもほとんど誰にもわかりません。
中国では239年に倭国から来た使者によりその国の王が女性であることを知り非常に珍しがった。どうして女性が王になったのか経緯を色々調べたら上記のようなこと(もちろんすべて伝聞)だった。古来中国には女王・女帝はいないので物珍しげにデカデカと書かれていますが、わが国ではトップが女性ということはそれほど珍しいことではありません。推古以降9人も女帝がいるし、神功皇后・飯豊皇女など実質的には女帝だった場合もあるし、そもそも初代はアマテラスなんですから。儒教が浸透する前の日本では女性差別は少なかった。いやその後でも、清少納言・紫式部などの女流作家が現れたり、女性差別の世になったのは江戸中期以降と思われます。
複数の女王がみんなヒミコという名前だったのでしょうか?いやむしろヒミコとは固有名詞ではなく、女王の称号ではないか。社員が社長を、家臣が主君を姓名で呼ぶことがないように、民が王を名前で呼ぶことはありません。女王はすべてヒミコと呼ばれた。後継者であるトヨも女王になってからはヒミコと呼ばれたはず。
これらの点はA先生と同意見でした・・さすが神主さんです。