そのとき人々の間に「即位のときは群臣に共立され、日食とともに亡くなった女王」という微かな伝承が蘇ってきた。しかし、それがいつのことかも、女王の名前もわからない。そこで当時中国(隋唐)から入ってきた史書の中にそれらしき人物をさがした。史記~漢書~三国志~隋書・・・。何年いや何十年もかかってやっと見つかったのが『魏志倭人伝』の卑弥呼という名前。そこには日食のことは載っていませんが、女王トヨの記事を見つけた。歴史官たちはそれをそのまま転載するのではなく、非常に大きな話にデッチあげました。すなわち大ヒミコとトヨを合わせて神とし、そこに日が隠れたという伝承を加えてアマテラス物語を創造したのです。
江戸時代以降現在までアマテラス日食はいつの日食か、さまざまな議論が続いていますが、決定版はありません。どれか1つの日食に限ることが無理なのです、いくつかの日食の重ね合わせの結果なんですから。きっかけは628年4月10日の日食でそこに248年9月5日と247年3月24日を組み合わせた。75歳という普通の人の倍以上も生き、36年という長期在位の推古は大ヒミコを引き出し皇祖神アマテラスを創り出したのです。このシナリオを書いたのは稀代の天才藤原不比等でしょう(不比等は史人)。
飛鳥~奈良時代の200年間に9人(重祚が2回あるので実質7人)の女帝が出現しますが、これはまさに第2次ヒミコ王朝です。これも偶然ではなく、前例、過去の実績に則って実行されたのでしょう、きっと。
図の赤矢印は計算から求めた大日食を表します。5世紀、6世紀中葉にも大日食がありますが、その記録はありません。なぜかというと当時女王はいなかったので忘れられてしまったのです。
当初は起承転結の4回シリーズのつもりでしたが、2回加えました。これでオシマイ
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