今日から東京へ出張(SASユーザー総会)予定だったがホテルが取れず明日は日帰り。東京は「谷」がつく地名が多くて坂が多いのは江戸時代初期の乱開発のためでしょうね。
ところで明治2年,遷都の度に出される詔が東京(江戸)への「移転」の際には出されず,また東京を首都と定めた法令等も存在しないため,東京を首都とする法的根拠は無いという話もあるそうです。天皇も公家もちょいと行かけただけで,そのうち京都へ帰ってくるはずと思っている人も少なからずとか。
ですから東下りしてきます。
小惑星の名前
Kamogawa&Hieizan
前回のブログで鴨川と比叡山を結ぶキーワードは白川であることがわかりました。そしてもうひとつは「小惑星」です。どちらも小さいながら地球や火星と同じく太陽の周りを公転しています。それを解説したムービーをどうぞ。
鴨川と白川
現在私たちは賀茂川の源流は北山の奥地,鞍馬・貴船・雲ケ畑であることを知っていますが,京都盆地を開拓治水していたころには,鞍馬や雲ケ畑のことは知らず,貴船が水源を思ってそこに水神を祭りました。高野川と合流して盆地の東を流れるようになった鴨川に注ぐ川がさらにもうひとつ,白川があります。現在の白川は疎水に注いでいますがそれは明治からのこと,白川の水路の跡は志賀街道(川端丸太町のちょいと北から斜め北東へ,東一条、京大本部構内を斜断して北白川追分町の地蔵さんのそばを通りそのまま斜めに進み,山中越にいたる)に違いない。そしてそのまま遡ると比叡平(旧名姥ケ谷)となりますが,そのころの住民は猿でした。だから水神は祭ってありません。
写真がなくてスミマセン。でも,やっとここまでたどり着いた。
右と左
あなたは廊下や狭い道を歩くとき右側を通りますか?左側を通りますか?エスカレータでは右寄りですか?左寄りですか?
ほとんどに人が特別なことがない限り左寄りでしょう。四条河原町の横断歩道,京都駅の陸橋,電車の中の通路・・・などをよく見ると右側歩行は不自然であることがわかります。かつて街道を旅する人々はみんな左側を歩いていました。・・・そのわけは人間ほとんどの人が心臓は左にありかつ右利きであることが原因です。すまわち心臓を相手から遠いほうに置き,右手はいつでも自由に動かせるように,無意識のうちにこのような左寄りの行動をとるそうです。相手の左の近づくと警戒されますよ。
OSC
OSCは盛況のうちに終わりました。参加者数1200名,前回より増えたことに主催者はご満悦(何でも数は大切ですね)。Nさん,Eさん,Mさん,いろいろごくろうさまでした。聴いたばかりのOpenOfficeを早速インストールしてみました。Word,Excel,Powerpoint,Accessにあたるもの,さらにもう2つおまけがついてタダとはすごい。しかもPDFがすぐできました。セミナーで発表したプレゼン資料をPDF化したものがここに。
Scilab
右と左
おうえいさんのご指摘通り左京右京は「南に向いて」いうことばです。ナゼって君子は南面するもの(侍ふ者は北面するもの)で,玉座から見ての左右です。平安京・平城京は唐の長安をまねて作ったのだから、長安もきっとそうでしょう。左大文字山は西にありますが,それは北を向いて送り火を見るからで上記とは関係ありません。
ところで左大臣と右大臣では左大臣が上位で,原則として皇族か藤原氏しかなれません。右大臣になった人には源実朝,織田信長,さらに豊臣秀頼もいます。ちなみに征夷大将軍は律令制度ではずっと下位の臨時職です。
