今日と明日は四条通りは数十万人の賑わいになるそうです。ところで四条通りは八坂神社から松尾大社まで約10km,平安京造営時のままです。他の通りは秀吉時代に整備されたものですが。しかも四条通りは奇しくも ちょうど北緯35度上にあり,その誤差は約400mです。上記の両神社は都が来る前から存在し(創建は不明)ていますから,これらの神社を建てるとき,北緯を測ったのでしょうか?当時どんな測量技術があったのでしょうか?、
京都昔話(タマヨリヒメ)
フィクションを続けます。
賀茂川工事は大変で、何回も失敗・中断しました。盆地の中心部に定住することは難しいことでした。そこで人々は川に源流にいます水の神のところへ若い娘を遣わすことにしました。選ばれたのはタマヨリヒメ,彼女は黄色い船に乗り川を遡っていきました。北山の山中で水の神に会った場所は貴船と呼ばれるようになり,人々はそこに神社を作り水神を祭りました。その後,治水工事は順調に進んだようです。旧賀茂川の流れがよどんでいた場所は池に改造されました。それは堀川御池の西にある神泉苑すなわち御池です。なおタマヨリヒメは水神の巫女(妻)となりました。神武天皇の母親もタマヨリヒメですが同名異人です。
京都昔話(賀茂川治水)
これはフィクションです。
むかしむかし,といっても最後の氷期が終わった約10,000年前ですが,京都盆地にも人が住み始めました。当時は地球全体の気温が高く,海面は今より数m高くて,大阪はまだ地上になかったころです。京都盆地には3つの川が流れていました。西に桂川,中央に賀茂川(堀川),東に高野鴨川。ただし決まった水路はなくて,大雨の後氾濫はアタリマエでした。人々は盆地の周辺に住んで,自然の木の実や魚を食べていました。こんな時代は数千年続きましたが,やがて植物を栽培し食料を確保し生活を安定させる術を知り,農業を始めました。そのためには治水工事が必要で,川の流れを変えようと言うことになりました。
賀茂川治水は何回も失敗しながら,何百年もかけて行われ,平安京造営ころまで続けられたのでしょう。
賀茂川と鴨川
ビーナス暦
空海、最澄 :アインシュタイン、ボーア
比叡山に延暦寺を建てたのは最澄で、東寺は空海、この二人はライバルですね。スゴイ天才としては空海のほうが数枚も上手でしょう。真言密教はほとんど一人で作り上げた。しかし彼には弟子らしい弟子はいません。一方天台密教は最澄が優秀な弟子たちと作り上げたもので、後世、比叡山からは法然、親鸞、日蓮、道元なども出てきて、教育者としては最澄が上かな。20世紀前半の2大物理学者といえば、アインシュタインとボーアですが、この二人も同じような関係ですね。
