空冷 カワサキ Z1,Z2,Z1000R,のカスタム@京都コンピュータ学院自動車制御学科
京都コンピュータ学院自動車制御学科
1984年の登場以来,実に20年の長きに渡って,さほどの変更もなく生産が継続し,約10万台ほどが生産されたニンジャ。
メインの900cc版である900Rが1984年から2003年まで生産されたのに対して,その国内向けバージョンの750Rが生産されたのは,僅か3年間であった。
900ccはZX900-A1からA16まであり,国内向け,欧州向け,など仕向け地によって仕様が多少異なる。最終のA16の初番号がZX900A-097001で,生産総数は10万台弱であると推測される。
国内向けのボアダウンバージョンである750ccモデルはZX-750-G1,G-2,G-3と三種類あるが,カラーリングが異なる程度でさほどの差異はない。1984年のG-1がZX750G-000001~007800,1985年のG-2がZX750G-007801~010100,1986年のG-3がZX750G-010101~となり,最終番号の記録は無いとのことである。発売初年には7800台程度,次の年に一万台に届いたという程度であるから,最終年を含めてもせいぜい1万2千台程度かと推される。Z2が1万6千台程度生産されたことと比するとやや少ない。
900,750のいずれも生産最終年の生産台数と最終番号は,メーカーにも記録が無く,わからないのだそうだ。
最初から長期間の生産を狙って開発される実用車とは異なり,毎年のモデルチェンジを想定したフラッグシップとして開発された車両が,20年の長期間に渡って売れ続けたというのは,自動車,オートバイ史上他に例はないのではないだろうか。
空冷Zの中では,Z1が3~4年の間に約8万台ほどの生産であるから,対比すると興味深い。車台番号の推移を見ると,ニンジャも900ccと750ccをあわせて,発売から3年で7~8万台程度を生産しているようである。そして,その後の3万台弱を,17年にわたって細々と生産し続たということになる。その間,大きなモデルチェンジが二回あったのだが,外装のデザインは変わることなく,同じイメージのまま定番となった。
Z2がある特定の世代に対して強烈なインパクトを与えたのに対して,ニンジャは,それぞれの世代で,それぞれに異なるパターンでインパクトを与えた。発売初年はノーマルでフラッグシップに乗るようなメーカー新車好きの正当派ライダーとでも呼ぶべき人たち。中期以降は,エンスーや趣味人の長期にわたるメインバイク,そしてカスタムベースとしても人気を博した。
そして,メーカーのスーパースポーツの新車が,非現実的速度域のための乗り物へと変化していく時代の推移の中で,ニンジャは現実的なオンロードツアラーとして,定番モデルとなっていった。
21世紀になって,排ガス規制が世界的に厳しくなり,2003年をもって生産が終了したのだが,20年という生産期間は賞賛に値する。歳月を生き抜いた,名車中の名車である。
ニンジャのデザインは,同時代のカワサキのデザインコンセプトの代表であり,ニンジャ様式とでも呼ぶべきものである。Z1/Z2が,後のゼファーやヤマハXJRなどに影響を与えて,ネイキッドという,オートバイの造形のひとつの「様式」を確立したのに対して,ニンジャは,その前にも後にも同様の「様式」が無い。ニンジャはニンジャだけであり,唯一無二の孤高である。
(参考;バイカーズステーション 2005年4月号 GPZ900R大図鑑)