天下一品–京都ラーメンLegend

 今や京都ラーメンの大御所と言うべきか。賛否両論両極端で,熱烈なファンと,一度食べて敬遠する人と二通りに別れる。今から20年以上前に東京にも支店を出した。京都市内にも近県にも,多くの支店・チェーン店があるが,それぞれ微妙に味が違う。やはり北白川の本店がダントツで美味いと思う。最近はあっさりスープなど,様々な選択枝が用意されているが,伝統のこってりスープを置いて他にない。
 鶏がらと野菜ベースのスープだと喧伝しているが,豚骨,豚皮などが入っているようで,ちょっと豚の匂いがきつい。スープはビックリするほどドロドロで,濃いぃ。ラーメンに慣れていない関西人が食べたら,三日間胸焼けが治らなかったとか,色々な逸話がある。
 ニンニクは絶対入れてもらうこと。葱も多い目が良い。スープと薄いチャーシューと柔らか目の麺が,強烈なニンニクで混然一体となって,口中は怒涛が渦巻く。食べているうちに,混沌の中に一筋の光明が見えて,とても満足する結果になる。「なんだかわからんが美味いもんを腹一杯喰って満腹だぁ!」と叫びたくなるような,とてつもない満足感が残るところが凄い。一点,昔から気に入らないのは,店の前のちょうちんに,「焼豚鉢一面」と書いてあるくせに,並にはペラ一枚しか入っていないことなのだが,怒涛と混沌の過程を経ているうちに,そんなことはどうでも良くなってしまう。
 この店が出現して以来,多くのラーメン屋がドロドロこってり系のスープを真似しだしたが,天一(テンイチ=天下一品の略称・愛称)は,どこにも真似できない究極に達しており,他の追随を許さない。無頼派革新系完成形京都ラーメンとでも言うべきか。
 京の都の夜遅く,東山三十六峰にかかる霧を遠目に,唯ひたすらこってりスープに包まれて腹いっぱい,さて,帰って寝るか,と思いつつ。これも京の都,裏こってり。

京都のラーメン考

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ますたにラーメン–京都ラーメンLegend

ますたにのラーメン,並。

 44年の伝統と実績を誇る京都コンピュータ学院の白河校(もとの浄土寺校舎)を北上すること5分。銀閣寺道の交差点の西北に,50年以上の伝統と実績を誇る「ますたに」がある。店の前には桜の木があって,春は美しい。
 この「ますたに」を食べずして,京都のラーメンは語れない。麺を盛った後に,どんぶりに豚の背脂でを金網で散らすという技法はここが発祥と思われる。親父の麺の取り方も一流で,一回でぴったり一人前を網に掬ってどんぶりに盛る。どんぶりに盛ってから箸で麺の量を調節するなんてことはしない。プロなのである。昔から,店舗の規模の割に従業員が多く,皆がのんびりと接客しているように見える。そのせいか,ベテランのおばちゃんは愛想が良く,接客が上手い。
 チャーシューとメンマ,そして多い目の葱が盛られて,背脂が散りばめられている。見た感じは脂っぽいのだが,食べると存外あっさりしている。どこにも尖がった個性がないのだが,すべてが上手く調和している。あまりにも丸く収まりすぎていて,一回食べたくらいでは,その完成度は理解できないと思う。なんとなく美味いなあ~と思っているうちにスープまでも無くなってしまっていて,「あれ,もう無くなったのか」,と思う。そして,美味いもので満腹になって,とても幸せになったんだけれども,なにか物足りないような,なにか後ろ髪を引かれるような想いで,帰ることになる。そこが凄いところで,何杯食べても飽きないような,胃さえ満杯で無ければもう一杯食べたいと思うような,絶妙な加減に出来上がっているのだ。
 何が突出して他の店に勝るのかというと,指摘しにくい。麺もチャーシューもスープも,もっとインパクトのある店は他にいくらでもある。しかし,まったりと,それでも適度にシツコク,適度に濃いィ味で,柔らかく歯に残らない麺が,舌を撫でて喉の彼方に消える。改良の余地など微塵もない,すべてが綺麗にまとまって完結している,正当派保守本流完成形京都ラーメンである。
 京の都の昼下がり,紅葉の季節のやわらかな陽射しに包まれて,おおきにぃ~,の声を聞きながら帰途に着く。嗚呼,京の都,表はんなり。

京都のラーメン考

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屋台から店舗への移行–京都ラーメン

 屋台で成功したラーメン屋さんが,店を構えて開業することがある。多くは,それでより洗練された味になるのだが,「屋台のときのほうが味が良かった」,とか,「店を構えて味が落ちた」などと言う人も多い。
 屋台と店舗のラーメン調理の違いを観察していると,水の使い方が大きく異なることがわかる。道路には水道がないので,水はどこかから持ってくるしかない。その水を節約するために,屋台では麺の湯で汁でスープを薄めたり,バケツに張った水でどんぶりを洗ったりなどして,水を徹底して節約している。
 麺を茹でる鍋の湯が,すなわち,かん水や打ち粉のたっぷり溶けた湯が,客の数に比例して消費されていく鶏がらや豚骨を茹でてスープを取る鍋に,ふんだんに追加される。
 加えて,どんぶりを洗うバケツと食器洗剤をすすぐバケツの間で,どの程度すすがれているかで,下味も変わってくるかもしれない。
 一方,店を構えると,麺を茹でる鍋とスープの鍋は,湯が交じり合うことがほとんど無くなる。どんぶりを洗うのも,洗剤が全く残らない程度にすすがれて,綺麗に洗われるのだろう。
 もうひとつは,冷蔵庫の有無である。営業時間中,素材を保存するのに,屋台で冷蔵庫を持って来ている店は稀である。多くはクーラーボックスか,せいぜい発泡スチロールの箱で,店舗に普通にある電気冷蔵庫・冷凍庫があるわけではない。
 これはすなわち,素材の足の速さの違いになる。かぼちゃは腐りかけが一番美味い,と,誰かが言ってたらしいが,屋台ラーメンの麺もチャーシューも,寸前が一番美味いのかもしれない。
 店舗になったところで,レシピや,塩加減が変わるとは思えない。屋台から店舗へ移行したラーメンの味の変化は,どうやらこのあたりにあるのではないだろうか。

京都のラーメン考

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高木町ラーメン–半分幻の京都ラーメンLegend

 今は千本通りの北大路以北に店舗を構えているが,高木町の交差点の角にラーメンの屋台が出ていた。京都コンピュータ学院洛北校から5分ほど東に行った所である。
ムーミンに比べるとニンニクが強く,麺のゆで汁とスープを取る水を混ぜすぎるから,スープに小麦粉の匂いが強く残っていたけれど,それでも,夜中に食べるには美味いラーメンのひとつであった。ムーミンと高木町ラーメンは,当時の京都式屋台ラーメンの代表であった。
 半分幻の,と言う意味は,現在,店舗を構えて営業しているからである。こちらはずっと洗練されていて普通に美味い。しかし,あのなつかしの屋台時代の味は,今も舌の記憶に残る。あれを食べると,元気になった。

京都のラーメン考

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幻?のきんりん–京都ラーメンLegend

 京都コンピュータ学院白河校(昔の浄土時校舎)の南,錦林車庫の前の路地を入ったところにあった,きんりん。先代は,有名な「ますたに」で修行したらしく,たしかに背脂ますたに系であったが,ややワイルド。夜中遅くまでやっているのと,メニューが豊富なので,よく行ったものだった。
 近所の普通の京都ラーメン,馴染み深い,親しみ深い味わいだった。

 最近,店をたたんでしまった。移転したとの説もあるが,どこなのかわからない。ご存知の方,教えてください。

京都のラーメン考

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京都ラーメンLegend–幻の熊野寮ラーメン

 その昔,学生運動で有名な京都大学熊野寮の東側に,屋台が出ていた。百万遍の京都情報大学院大学から歩いて15分くらいのところ。
 京都式で独特の美味いラーメンだった。豚骨と鶏がらを絶妙な具合にブレンドしていて,紅しょうがを乗せる。日によってチャーシューの出来具合が異なり,若い主人が,「今日はチャーシューの出来が最高」と言う日は,とろけるような三枚肉が,麺とからんで踊りながら溶け合っていく。長時間じっくりと煮た三枚肉は脂身がトロトロで,赤身は繊維を少々感じさせながら,粉々に砕けてスープと麺と,三位一体に交じり合って,ほんわり柔らかく喉の奥に消えるのだ。京都ならではの「はんなり」と,京都の「裏こってり」の,見事な融合であった。
 80年代初頭に火事になって,消えてしまった。

京都のラーメン考

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京都ラーメンLegend–幻のムーミン

 京都コンピュータ学院という名称が始めて使用されたのは,京都百万遍を北上して5分,元田中のバス停前の石川ビルという電気店の二階であった。その南の角に,70年代に屋台が出ていた。赤ちょうちんに書かれた屋号は「ムーミン」であった。

 残念ながら80年代初頭には消滅してしまったが,当時,その路地角に行くと,昼間屋台が出ていないときでも,独特の臭いが漂っていたものである。夜,8時を過ぎると鍋の煮える匂いが町内に漂って,タクシーの運転手や近所の人々で賑わっていた。味は,うどん出汁をベースに,鳥の足を煮て,ニンニクを利かせた鶏ガラベース。豚の皮とか豚骨なども少々は入っていたと思う。チャーシューの美味さも特筆もので,中学時代の親友は,家族で出かけ,「チャーシュー麺のチャーシューは2倍」,という特別仕様を注文していた。彼は,「チャーシュー倍にすると,肉で麺をくるんで食べてもまだ肉が余る」としたり顔で説明していた。

 親父が愛想の良い人で,常連には干し芋をデザートに振舞ってくれたりした。京都市内で有名な屋台だったのだが,あれが京都式ラーメンのひとつの原点だったのではないかと思う。

京都のラーメン考

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京都ラーメンLegend

 このへんで,もはや高級食品となった鮨の話は一休みにして,その対極の身近なものに転換しようと思う。

 京都に育ち,中学の頃から自転車で市内のラーメンを食べ歩くことにより,グルメ道の門戸を開いたのだから,しばらくラーメンを中心に麺類を考えたい。世界中いろんなところでラーメンを食べたが,京都のラーメンが一番美味いと思う。

 中国本場のローメンを日本的にアレンジして,ある極を確立したもののひとつがラーメンである。中国人でさえ,日本のラーメンはおいしいという。
 そのラーメンには,東京式ラーメン,札幌ラーメン,博多ラーメンなど,伝統的定番ラーメンから,京都ラーメン,喜多方ラーメン,和歌山ラーメン,などバリエーションも増えてきた。

 ラーメンとは,中国のローメンでもなく,中国語で言う麺の範疇を超えている。かん水(アルカリ性の水)でコシを出した小麦麺を,鶏ガラや豚骨のスープで食べる汁麺で,日本独自の食文化である。東京の某中華料理店が始めた麺料理が日本中に広まったと言われているが,そのような一元的で面の広がりではなく,中国からの文化輸入を随時伴いながら,複合的に発展してきたのではないだろうか。

 まずは,京都の消えてしまったラーメン屋さんの伝説から始めよう。

京都のラーメン考

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