Z1からZ1Aへ

カワサキ Z1

カワサキZ1の生産台数関連情報。

初期型火の玉,ショートピッチタンクは,1973年7月までは生産されていた。
車台番号18800番台のZ1と,車台番号21100番台のZ1Aを確認した。前者が,1973年7月の生産であり,後者は同年8月の生産であることを,それぞれのステム部分のステッカーが生産年月を示している。

もちろん,前者はZ1であり,カラーリングは火の玉オレンジ,後者はZ1A,いわゆるタイガーの赤である。つまり,1973年7月から8月の間に,Z1は,Z1Aへと進化したのであった。生産台数は,1万8千番台から2万1千番台へと推移している。

当然,国内向けのZ2は,このあたりを境に,ショートピッチタンクからロングピッチへと変化する。輸出モデルがZ1Aへと進化しても,国内向けZ2は,従来のZ1イメージを踏襲して,火の玉オレンジに塗装され,国内で販売され続けたのである。
そのZ2は,同73年,昭和48年の夏以降は,Z1Aのフレームやタンク,即ち,タンク下の台形部分の長穴がないZ1とそれがあるZ1Aのフレームが混在している。3100番台の長穴ありフレームと,3200番台の長穴無しのフレームを確認している。つまり,一般に言われる「Z2初期型」とは,Z1とZ1Aの日本版が混在している。73年,昭和48年の7月~8月が,Z2初期型の過渡期であったのだ。

Z1 生産台数
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Z1 プロトタイプ(先行試作車)その②

Z1 プロトタイプ(先行試作車)その②

Z1プロトタイプの特徴を記しておきたい。プロトタイプは,設計のとおりに制作されたものである。モニタリングのために,マスコミやディーラーに配布され,各方面からの意見を基に改良され,そして,市販車の仕様が決定された。

Z1 プロトタイプ



エンジンの特徴を記す。

・背の低いシリンダースタッドナット
これは,市販の最初期型に継承された。

・シリンダーヘッドから直接生えているブローバイ
エンジンのエアインテークには,ブローバイが斜め方向に直接生えている。これは,後ほど,真下に向いてブローバイが生えているようになり,次に,ゴム製のインシュレーターから生えるようになった。
ヘッドから直接ブローバイが生えているよりも,インシュレータから出ている方が,交換しやすいから,そうなったのだろう。

・スピードメータケーブル取り出し部分
エンジンのスピードメーター取り出し口のアタッチメントの,プラスネジの位置が異なっている。これはプロトタイプだけの特徴で,市販車の角度が変わったのは,何故なのかわからないが,おそらく,オイル漏れ対策であろう。

Z1 プロトタイプ



いずれも,Z1プロトタイプ(試作車)の特徴である。

ガスケットは一枚もの。
砂型鋳物の造型,黒塗りとフィンのヤスリのかけ方などにも注目のこと。

Z1 プロトタイプ



あとは,スピードメータの20の位置である。プロトタイプでは,20の中ほどにバーが来ているが,その後の最初期型では20の「2」の下に合うようになり,さらに,また,プロトタイプのような表示になった。

下の写真,左が,最初期型市販車のメーター。右は,それ以降のもの。
20の数字とその左下のバーに注目。

初期型メーター Z1
後期型メーター Z1



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Z1 プロトタイプ(先行試作車)

Z1 プロトタイプ

 Z1プロトタイプ。試作車である。タンクがロングピッチであることに注目。リアショックが,発売された改良車とは異なり,立っている。すなわち,スイングアームが短い。テールカウルの三本ラインも,すこし異なる。

1972年,昭和47年,カワサキは,Z1を開発し,同72年5月に20台,7月に29台,合計49台が生産されて,世界中のマスコミ・プレスやディーラーに配布された。カワサキは,それら先行試作車のデータを集めて,さらに改良し販売を開始した。

その後,正規発売になったときに配布されたカタログは,大判の分厚いものであるが,そこにシルエットのように掲載されているZ1火の玉ファイアボールは,まぎれもなく,ロングピッチエンブレムのタンクである。

これが,Z1プロトタイプから最初期型に至る推移における「謎」のひとつで,プロトタイプのロングピッチタンクとは,3種類ある内プレスタンクのどれなのかが,解らないのだ。試作車であるから,最初期のショートピッチタンクと同じものに,ロングピッチのエンブレムを「装着してみた」だけなのだとは思うのだが,このときのロングピッチの意匠案が,Z1-Aで復活したのだろうか。

Z1 プロトタイプ

これら試作車は,フレーム番号がZ1F-900**となっており,5桁表示の9万番台である。エンジンも,もちろん,同じくゼロから始まるのではない90000番台だ。一般販売車両の9万番台は,先頭にゼロがつき,6桁の9万番台である。

Z1 プロトタイプ
Z1 プロトタイプ




その後,プロトタイプで蓄積された意見やノウハウを基に,試作車ではない,「1972年最初期型」が発売されたのである。世界中で絶賛され,多くのレースで連戦連勝を重ねた,日本の川崎重工が生んだ名車,Z1である。

写真はプロトタイプの10番台である。

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Z1,Z2、タンクエンブレム

Z1 Kawasaki

ファイアボール、火の玉カラーのタンクである。KAWASAKIのエンブレムは、初期型はショートピッチで、Z2には、ごく初期を除いて、ロングピッチが装着された。
これは、輸出モデルのZ1が、生産台数2万台弱までショートピッチが装着されていたが、国内向けZ2は、輸出モデルがZ1Aとなり、ロングピッチのタンクになっても、同じタンクを火の玉カラーに塗装して、装着していたからだ。

73年(昭和48年)の秋以降には、輸出モデルの生産はすでにZ1Aへと以降しつつあったから、国内向けにもロングピッチのタンクだ採用され、それが火の玉カラーに塗装されていたのだろう。

また、内プレスタンクが採用されていたZ1B後期あたりまでは、国内向けZ2も内プレスだったが、輸出モデルが外プレスに変更された後は、国内向けZ2も外プレスになった。

(写真はZ1の1万6千番台、ショートピッチ、内プレスタンク)

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カワサキ ニンジャGPZ900R/750Rのフレーム番号・エンジン番号

ニンジャGPZ900R,水冷関係のカスタム

トップガン ニンジャ

GPZ 900R/750R

フレーム番号とエンジン番号。

1984 ZX900-A1
ZX900-A1 JKAZX2A1=EA000001
ZX900-A1 JKAZX2A1=EB500001
ZX900A-000001

1985 ZX900-A2
JKAZX2A1=FA015001
JKAZX2A1=FB505301
ZX900A-015001

1986 ZX900-A3
JKAZX2A1=GA031001
JKAZX1A1=FB512701
ZX900A-031001

1987 ZX900-A4
ZX900A-035101

1988 ZX900-A5 & ZX900-A5A
ZX900A-038501

1989 ZX900-A6
Ebony/Pearl Cosmic Gray
Luminous Polaris Blue/Galaxy Silver
ZX900A-042001~ JKAZX2A1=KA042001~
ZX900AE048501~

1990 ZX900-A7
Ebony/Firecracker Red (J3)
Ebony/Pearl Cosmic Gray(T4)
ZX900A-043001~056000 JKAZX2A1=LA048001~
ZX900AE048501~

1991 ZX900-A8
Ebony/Firecracker Red (J3)
Ebony/Pearl Cosmic Gray(T4)
ZX900A-056001~063000 JKAZX2A1=MA056001~
ZX900AE048501~

1992 ZX900-A9
ZX900A-063001~
ZX900AE048501~

1993 ZX900-A10
ZX900A-068001~
ZX900AE048501~

1998 ZX900-A11
Firecracker Red/Metallic Graystone(L7)
Lime Green/Pearl Alpine White(CK)
ZX900A-078001 ~ 085000
ZX900AE048501 ~

1999ZX900-A12
Firecracker Red/Metalilic Graystone(L7)
Lime Green/Pearl Alpine White(CK)
ZX900A-085001 ~
ZX900AE048501 ~

ZX750-G1
エボニー(H8)、ファイアクラッカーレッド(B1)、ルミナスポラリスブルー(M4)
ZX750G-000001~007800
ZX750GE000001~007800

ZX750-G2
エボニー/パールコスミックグレー(T4)、ファイアクラッカーレッド/ギャラクシーシルバー(M7)、ライムグリーン/ポーラホワイト(M9)、ルミナスポラリスブルー/ギャラクシーシルバー(L8)
ZX750G-007801~
ZX750GE007801~

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空冷カワサキの派生モデルの生産台数

空冷カワサキエンジンを搭載したモデルは,何もZ1Z2だけではない。
アメリカのカワサキリンカーン工場で生産されたモデル,古くはMk.II から,最近のJベースのポリスまで,そういった派生モデルは,いったい何台生産されたのだろうか?

ポリスの生産台数や,Z1000LTD,Z1000CSRなどの情報をお寄せください。

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カワサキZ2の生産台数(更新情報)

Z2

カワサキZ2の生産台数(更新情報)

いろいろと謎の多いZ2であるが,多少新情報を得たので,更新。

カワサキZ2ことZ750RSは,言うまでもなく世界に向けて販売されたカワサキZ1の国内向け750ccバイクである。

昭和48年(1973年)1月,国外向けZ1のボアダウン,ショートストロークのエンジンで,750ccのZ2の先行試作車(プロトタイプ)が20台ほど生産され,テストライダーや雑誌社に配られた。フレーム番号17番は「モーターサイクリスト」編集部,18番は「オートバイ」編集部が購入したという。

同時期の1972年型~1973年型のZ1がベースであるから,国内向けプロトタイプも,Z1に準じている。

48年(1973年)1月とは,Z1では4000番台から6000番台あたりを生産していた頃であるから,各部品は,その頃のものが使用されている。現存するZ2の10番台は,いわゆる初期型フロントフォーク(カマボコフォーク)が装着されている。
Z2のフレーム番号は,昭和48年(1973年)2月には200番台,3月には500番台に達したと思われるが,それらには,カマボコフォークは装着されていない。
つまり,1972年型のZ1が,1973年型に移行してフロントフォークが二次型になったのと並行して,Z2も同じ部品に移行していったわけである。

カワサキの発表では,フレーム番号26番からが市販されたということになっているが,それより若い番号が数台確認されている。
一説には,1番から20番までは試作車プロトタイプで,21番からが一般の市販ではないかとのことである。

また,10番台のうち数台は,全国の有力カワサキディーラーに配られ,展示された。そして,4月を過ぎてから登録され,一般に販売されたものもあった。したがって,フレーム番号10番台で4月登録の車体がいくつか残っているのだそうだ。

Z2の最初期 一枚ガスケットのモデルは,オイル漏れが多く発生し,国内の販売店に相当数のクレームが来ていたという。そして,今で言うメーカーリコールのような告知があったらしい。
メーカーはオイル漏れの原因を把握をする以前は,全てエンジン本体を販売店に送り返させて,販売店で,別のエンジンに乗せ替えていたのだそうだ。一枚ガスケット車は,初期に販売店でエンジンを乗せ換えたものが多い。
従って,フレーム番号よりエンジン番号が若いものも,逆も,かなりの数が混在する。その後,メーカーは対策を施し,ガスケットは2枚になった。

Z1・Z2はエンジンを乗せ換えると,フレームのダウンチューブ内側に傷がつくことが多い。初期の頃の全国の販売店には,傷をつけずに乗せ換える技術など普及していなかったことは容易に想像できるだろう。初期のころのZ2には,そのフレームに乗せ換えの傷が残っているものがあるという。

Z2は,Z1,Z1A,Z1Bの生産と並行して継続され,16500台ほどが生産された。それ以降は,Z900Super4と同様に,鍵式のシート開閉方式(レバーが無い)となり,Z750Fourとなる。

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カワサキGPZ900R/750Rニンジャの生産台数

空冷 カワサキ Z1,Z2,Z1000R,のカスタム@京都コンピュータ学院自動車制御学科
京都コンピュータ学院自動車制御学科

トップガン ニンジャ

1984年の登場以来,実に20年の長きに渡って,さほどの変更もなく生産が継続し,約10万台ほどが生産されたニンジャ。
メインの900cc版である900Rが1984年から2003年まで生産されたのに対して,その国内向けバージョンの750Rが生産されたのは,僅か3年間であった。

900ccはZX900-A1からA16まであり,国内向け,欧州向け,など仕向け地によって仕様が多少異なる。最終のA16の初番号がZX900A-097001で,生産総数は10万台弱であると推測される。

カワサキ ニンジャ

国内向けのボアダウンバージョンである750ccモデルはZX-750-G1,G-2,G-3と三種類あるが,カラーリングが異なる程度でさほどの差異はない。1984年のG-1がZX750G-000001~007800,1985年のG-2がZX750G-007801~010100,1986年のG-3がZX750G-010101~となり,最終番号の記録は無いとのことである。発売初年には7800台程度,次の年に一万台に届いたという程度であるから,最終年を含めてもせいぜい1万2千台程度かと推される。Z2が1万6千台程度生産されたことと比するとやや少ない。

900,750のいずれも生産最終年の生産台数と最終番号は,メーカーにも記録が無く,わからないのだそうだ。

最初から長期間の生産を狙って開発される実用車とは異なり,毎年のモデルチェンジを想定したフラッグシップとして開発された車両が,20年の長期間に渡って売れ続けたというのは,自動車,オートバイ史上他に例はないのではないだろうか。

空冷Zの中では,Z1が3~4年の間に約8万台ほどの生産であるから,対比すると興味深い。車台番号の推移を見ると,ニンジャも900ccと750ccをあわせて,発売から3年で7~8万台程度を生産しているようである。そして,その後の3万台弱を,17年にわたって細々と生産し続たということになる。その間,大きなモデルチェンジが二回あったのだが,外装のデザインは変わることなく,同じイメージのまま定番となった。

Z2がある特定の世代に対して強烈なインパクトを与えたのに対して,ニンジャは,それぞれの世代で,それぞれに異なるパターンでインパクトを与えた。発売初年はノーマルでフラッグシップに乗るようなメーカー新車好きの正当派ライダーとでも呼ぶべき人たち。中期以降は,エンスーや趣味人の長期にわたるメインバイク,そしてカスタムベースとしても人気を博した。
そして,メーカーのスーパースポーツの新車が,非現実的速度域のための乗り物へと変化していく時代の推移の中で,ニンジャは現実的なオンロードツアラーとして,定番モデルとなっていった。

21世紀になって,排ガス規制が世界的に厳しくなり,2003年をもって生産が終了したのだが,20年という生産期間は賞賛に値する。歳月を生き抜いた,名車中の名車である。

ニンジャのデザインは,同時代のカワサキのデザインコンセプトの代表であり,ニンジャ様式とでも呼ぶべきものである。Z1/Z2が,後のゼファーやヤマハXJRなどに影響を与えて,ネイキッドという,オートバイの造形のひとつの「様式」を確立したのに対して,ニンジャは,その前にも後にも同様の「様式」が無い。ニンジャはニンジャだけであり,唯一無二の孤高である。

(参考;バイカーズステーション 2005年4月号 GPZ900R大図鑑)

カワサキ ニンジャ

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カワサキZ1の生産台数 更新情報

空冷 カワサキ Z1,Z2,Z1000R,のカスタム@京都コンピュータ学院自動車制御学科
京都コンピュータ学院自動車制御学科

Z1

Z1の生産台数。更新情報である。初期型火の玉カラーの総生産台数は約17000台と言われていたが,1万8千8百番代を確認済み。1万9千番以降まで続くようである。

Z1 プロトタイプ
1972年5月に20台生産 Z1F-90001~90020
1972年7月に29台生産 Z1F-90021~90049
車台番号(フレーム番号)が5桁表示の9万番台はプロトタイプである。(市販車の車台番号9万番台は6桁表示となる。)
プロトタイプの特徴は,リアショックの角度が立っていること,シリンダーヘッドのスピードメーター取り出しのボルト位置が異なること,テールカウルのオレンジ色三本線の幅が異なる,等。

Z1(900Super Four) 1972~1973年 
車台番号   Z1F-000001~
エンジン番号 Z1E000001~(「Z1E」とその後の連番の間には「-」ハイフンは付かない)

Z1A(900Super Four) 1974年
車台番号 Z1F-020001~
エンジン番号 Z1E20001~

Z1B(900Super Four) 1975年
車台番号 Z1F-047500~
エンジン番号 Z1E047500~

Z1(Z1,Z1A,Z1B)は,合計8万5千台以上は生産された。

Z(KZ)900A4(Z900) 1976年
車台番号 Z1F-085701~
エンジン番号 Z1E086001~
Z900A4はZ1Bから車台番号が連番となるが,シート開閉レバーが無くなるなど,Z1のグループとは細目が異なる。

京都コンピュータ学院
京都情報大学院大学

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カワサキZ1初期型の生産台数

空冷 カワサキ Z1,Z2,Z1000R,のカスタム@京都コンピュータ学院自動車制御学科
京都コンピュータ学院自動車制御学科

カワサキZ1 初期型(火の玉カラー)の生産台数の証拠。18800番台前半,フレーム番号とエンジン番号の差異はプラス18である。
である。19000番台も近々確認できる予定。Z1Aが20000番台から始まっているところから,やはり19000番台までは生産されたと思われる。

Z1 生産台数
Z1 フレーム番号
Z1 フレーム番号



実は今夜は,学生さんたちとミニ宴会をしていた。5年後,皆でアメリカ大陸を横断しようという話になった。派手な演出で北京オリンピックの開会式が行われていた日。

京都コンピュータ学院
京都情報大学院大学

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