北海ぼたん海老

北海ぼたん海老

北海ぼたん海老の握り。一口で800円くらいだったと思う。昼の定食一食分かぁ~と思いながら,一口で食べたら,独特の甘味に包まれて,感動した。頭は後から鬼ガラ焼きになって出てきた。これも美味かった。向こう5年くらいは,この味を覚えていることができそうなくらい,印象深く美味かった。一口で大満足し,すべてが完結したのであった。

美味いぼたん海老は,北海道でしか食べれない。冷凍モノが流通しているが,海老は新鮮でなくてはならないのである。
スーパーに並んでいる冷凍の海老は頭の中が黒くなっているものがあるが,海老の頭が黒くなるのは古い証拠である。
また,頭を取って茹でた海老でも,白い身が膨らんで,カラから湧き出るようになっているものがよくあるが,身が膨らんでいるのも,冷凍を茹でた古いものである。
海老は,活きたものをすぐに食べるのが良い。天然モノであっても,冷凍・冷蔵どちらも駄目である。冷凍・冷蔵で流通させると,大量乱獲が進み,地球資源が減る。時の地のものは,旬に当地で食べるようにする。

一方,東南アジアで海老が養殖されている。活き海老を食べることの出来ないときは,このブラックタイガーを食べよう。これは,冷凍の食材として大量に流通している。冷凍・冷蔵してしまうならば,海老の種類にこだわる必要は無い。ぼたん海老,白海老,様々な名称に惑わされて,言説を信じて冷凍ものを食することなどは愚の骨頂である。

グルメブーム以来,「どこそこの○○が美味い」,などといった言説を妄信して,その○○の冷凍モノが大量に消費され始めた。鮪もそのひとつである。いまや世界中で,「鮪は美味い」と言う言説が流行し,冷凍して形骸しか残っていない不味い鮪が大量に消費され,資源の枯渇を招いている。美味いものは,その地で,生で食べてこそ,美味いのであるという,日本の江戸前鮨の精神を確認したい。

海産資源の無駄遣いをやめよう。

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ぎんざ 吉野鮨

ぎんざ 吉野鮨

ぎんざ吉野鮨

かつては銀座にあったのだが,今は移転して,広尾にある。昨年11月に新装開店して,モダンな店構えになった。ここの主人の鮨は,世界最高である。

筆者は学生時代東京にいた。卒業式が終わり,下宿を引き払って,あとは郷里に帰るだけとなった最後の夜,翌日の交通費を除いて最後に残ったなけなしの小遣いを握って,一度は本物の江戸前の鮨を食べてやろうと思いつつ,何もしらずに入ったのが木挽町吉野鮨だった。

先代の主人が貧乏学生を温かく迎えてくれて,最初に,低予算でおなか一杯になるにはどのようにオーダーしたらよいのか,教えてくれた。そして,ひとつひとつのネタについて,懇切丁寧に解説しながら握ってくれた。さらに,「うちの売りは,コハダと煮蛤,穴子と玉子」なのだと教えてくれて,それぞれ一貫ずつ握ってくれたのだった。鮪の赤身から最後の玉子まで,どれも,素材の味が生き生きしていて,本当に美味かった。

筆者は物心付いたときから一年のうち3分の一は,海辺の町で魚屋を営んでいた親戚に預けられていた。おかげで,新鮮で美味い魚を食べて育った。学生時代の東京では,学生街の食堂で出てくる魚が美味くないのに辟易していた。しかし,さすが江戸前を標榜する本物の店は違っていた。

以来,仕事で東京に行ったときには時々立ち寄り,美味い鮨を食べさせてもらっている。長い年月が経って,アメリカ帰りの長男が跡を継ぎ,先代夫婦も鬼籍に入った。代は変わり,店の場所も変わったが,120年の店の伝統は輝きを増すばかりで,先代から受け継がれる味はさらに洗練され,他に比肩するものがない。
流行に左右されること無く,真の江戸前を守りながら,膨大な知識をもって素材に徹底して拘り,常に最高の鮨を目指している姿勢は,素晴らしいの一言に尽きる。鮨を握る人が職人と呼ばれる所以であり,ミシュランごときには分かるべくもない,和の文化の極致,日本の誇りである。

すし 吉野鮨

鮨,寿司特集

カレー・カレーライス特集

鮨,寿司,うまいすし,ラーメン,うどん,そば,美味いもの,グルメ@京都情報大学院大学

下記は,京都コンピュータ学院京都情報大学院大学のイベント情報です。
京都コンピュータ学院
KCGオープンキャンパス
2月24日 KCG AWARDS 2008 -卒業研究発表会-
3月2日ワークショップ「クルマ・バイク好き集まれ!」
3月15日ワークショップ「アート・デザイン好き集まれ!」
3月30日ワークショップ「電子メッセンジャーを作ろう!」
KCGスプリングコース(一般向け春の短期集中講座)

京都情報大学院大学
KCGI入学説明会
2月24日 KCGI課程修了プロジェクトの発表

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すし ウニ 海胆

とろ~りとしているのが写真から解るだろうか。上下の金銀は皿の模様である。
これは「海水ウニ」と言って,割って身を出してから,海水に漬かったまま鮨屋に入る。もちろん,新鮮で生きている状態である。変なクセがなくて,本当に美味い。

一般に,ウニ(海胆)は,ミョウバン(明礬)に漬け込まれてから流通に乗る。そうしないと溶けてしまうからだ。よくある木の小箱に綺麗な形で整列しているのは,ミョウバンに漬け込んでから並べたものである。このミョウバンのおかげで,薬臭い渋みが付いてしまう。北朝鮮やロシアから輸入されるものは,漬け込む時間も長いようで,冷蔵庫で一週間置いておいても,形はしっかりと残っているのだが,味は,食べてみたらわかるとおりである。

海胆は生きているまま食すのが最上である。海に行ったら,そこらにいるのを取って食べてみたらいい。本質がわかる筈だ。

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日本の鮨は絶滅危惧種?

 日本の味が危ない。鮨が危ない。
 まず米。
 日本産の芸術品であるコシヒカリは,今やアメリカでも中国でも台湾でも作られている。日本がWTOに加盟してから,消費量の10%を輸入しなくてはならないようになった。その結果,外国産のコシヒカリがわが国でも流通している。しかもそれら外米は廉いため,外食産業や会社・工場・学生食堂にどんどん導入されている。
 一方,高価な国産米は売れなくて困っている。日本政府は,米など食料を海外から輸入し,海外へは工業製品を輸出して,合理的に日本社会を経営していけば良いと考えているらしい。 しかし,輸出して外貨を稼いでいる主要企業は国内30社に満たないのである。この工業製品輸出力が,いつまで継続発展できるのか,実は誰もわからない。わが国の若年層を見ると,わが国の工業力・技術力の将来は,決して楽観はできるものではない。若者の理系離れ,小学生の数学能力の低下,わが国の技術立国としての未来は明るくはない。そんな日本で,食料自給率をこれ以上下げることが正しいのかどうか。
 日本は,先進国の中で食料自給率が最低で,39%である。アメリカやフランスでは100%を遥かに超えており,ドイツで90%,イギリスでも70%程度である。39%の食料自給率というのはあまりにも低い。
 そして,米離れも進み,わが国の国民一人当たりの米の消費量は60年代に比べると半減した。将来,主食である米の輸入自由化が成された場合,日本の食糧自給率はさらに減り,日本の本来の米の味が消えていくことになるだろう。そして,鮨の味も変わることになるだろう。否,鮨の味が雲散霧消する。
 すでに,外米に,スモークサーモン&クリームチーズや,海老天麩羅を乗せて機械で握ったSushiが,ベルトコンベアの上で廻りながら,今や世界を席巻している。日本の鮨は絶滅危惧種なのだ。

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鮨の真髄

鮨の真髄

 同じ種であり類であり属である筈なのに,狭い日本の各産地であまりにも異なるのが,タイ,アジ,サバ,ウニ,サザエ,アワビである。また,同じ群れにいながら個体差が著しいのがマグロ,ヒラマサ,カンパチ,ハマチである。舌に残る記憶を頼りに,各地食べ歩いて比べてみると,味覚の世界はかくも深遠であるかと思い知らされるものだ。
 そして,外国で鮨や魚を食べてから帰国すると,日本という島国で取れる作物と日本列島の海産物には,一つの共通点があるということに気づくのである。それは,諸々の事物の全てに含有される,欧米の数百分の一という計測値を示す超軟水の,日本列島の「水の味」である。
 アメリカには日本酒のメーカーが支社を出していて,カリフォルニアの水で日本酒を作っているが,いくら同じ麹を使っていても,硬度の差による水の味がかなり異なるので,似て非なるものになっている。欧米の硬度の高い水では,日本酒も日本料理も,正確に再現するのは不可能だ。
 全ての民族において,郷国の味というものは,実はそれに含まれる海川や大地の「水の味」である。もちろん,関西と関東でも,あるいは北海道に行っても四国に行っても,それぞれに「水の味」は細かく違う。そして良く味わってみると,それぞれの「水の味」が,各地域の全ての食べ物の特性を方向付けていることが分かるだろう。鮨も,しかりである。狭義では江戸の,広義では日本列島の,その水域に泳ぐ魚と,その水で炊いた日本の水田で育った米,日本の清流の山葵,日本の地下水で作る酢や醤油,それらが統合されて,日本の鮨というひと口の交響曲になる。茶も酒も無論,日本の水であるからこそ,日本茶であり日本酒になるのである。関わる水が全てその地のものであるかどうかという点も,正統派を定義する重要な基準である。
 さらには,郷土の湿度や気温,即ち,風の匂いやしっとりした空気の軟らかさも,味を感知する大切な要素である。ブルゴーニュのワインとウォッシュチーズのマリアージュが,あの乾燥した空気と風が運ぶ野原の匂いの中でこそ引き立つように,全て郷土の食べ物は,その環境の中でこそ開花するのだ。
 そして,鮨や魚に原点の水を共有する日本の酒を合わせれば,客体である事物の季節に応じたバラエティある組み合わせに各々対応して,主体である味覚が,酔いの度合いによってゆらいで百様を呈し,時々刻々それぞれに異なる森羅万象のハーモニーを展開する。味覚の深遠はかくも果てしなく広がる,繊細な曼荼羅である。
鮨という一つの料理方法をとってみても,これが定説だ,あれが正統派である,などと言えないあらゆる可能性が存するものだ。一人の人間が全てを認識できない程に,現実世界は広く奥深い。理屈や習慣を学んで分析するのは重要だが,それを超えて,拘るところには拘り,自由に食を楽しみ,人生を楽しむべきだと切に思う。そして味覚の深遠を感じるとともに,大地海原の遠大にも同時に思いを馳せ,人々の明日を考えたいものである。
 冷凍マグロの普及と圧倒的消費によって,本当に美味い冷蔵マグロさえ食べられないようになってきた。本質を認識せずして模倣し,出鱈目の上に勝手な解釈を重ねて地球環境の破壊に拍車をかけたりせずに,自らの五感の認識と的確な判断で食生活をクリエイティブに展開せよと言いたい。自国で産する美味いものを,新鮮に食べることのできる範囲から入手し,それらを上手に組み合わせて,職人気質でその究極を目指すことが,江戸前握り鮨の真髄である。これこそ,世界に誇る日本の文化である。

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富山のますのすし

富山のますのすし
 富山の鱒で作る鮨。円盤状に飯と鱒を固めて笹の葉で包んだ名物。もうちょっと魚が厚かったらな,などと思ううちに飯だけで腹一杯になるのは奈良の柿の葉寿司と似ている。嫌味やクセはまったくない。鱒であるからこそ,淡く清らかに美味いのであります。

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奈良の吉野の柿の葉寿司(かきのはずし)

奈良の吉野の柿の葉寿司(かきのはずし)
 奈良の寿司。塩鯖や塩鮭などとともに,柿の葉に包んだ鮨。江戸時代に,熊野灘で獲れた鯖に塩して運んでくると,ちょうど吉野の里あたりで食べごろになったという。保存のために包む柿の葉に含まれるタンニン酸は,鯖のたんぱく質を固めるので身がよく締る。すこし甘すぎる嫌いがあるのだが,やみつきになる軽さがある。塩鮭を使い出したのは,ずっと時代が下がってからのことだと思われる。皿の上に山積みにされると,ひとつ取って剥いてみて鮭だった場合は,あたかも君のため剥いたのだと装って同席の誰かに譲り,自分は鯖のほうだけを食べるようにしている。もう少し鯖が大きかったらと,いつも思いながら,飯だけで満腹になる。数がたくさんある場合は,鯖を二つ分,ひとつの寿司飯に乗っけて食べている。残った飯はどうするかというと,近所のスーパーでしめ鯖を買ってきてみたりして・・・。

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京都の鯖寿司(さばずし)

京都の鯖寿司(さばずし)
 鯖寿司といえば京都。京都の寿司といえば鯖寿司。これは,江戸前の握り鮨とは全くの異文化である。大阪のバッテラとも違う。脂の乗ったたっぷりとした厚みの小浜の鯖を,ひと塩にして一夜置き,表面を酢でしっかり締めて中身はレア,はんなり甘いめの寿司飯とともに棒寿司にして,竹の皮で包む。京都の家庭ごと,店ごとに色々流儀があって,それぞれに味わいが異なる。一流の京都の鯖寿司は,ただそれだけで,江戸前握り鮨のすべてに対抗する至福の極みに至る。単純にして濃厚な一本(鯖一匹の片身分)の半分も食べるとおなか一杯で大満足になる。京の都の秋祭りの日,昼下がりにただひたすら鯖寿司だけに立ち向かい,鯖の脂肪と絶妙にバランスする甘酢に,まったりと浸る。鯖寿司と宇治茶,ちょっと甘酢生姜,それだけ。他には何もいらない。窓から紅葉が一枚ひらり舞い込んで,遠くに祭囃子が聞こえる。おおきにぃ。

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紀州のなれ鮨(なれずし)

紀州のなれ鮨(なれずし)
 和歌山の鯖鮨。塩漬けにした鯖をご飯とともに,笹の葉で包みこむ。数日おいておくと馴れてくる(発酵してくる)。熟成が進んだものは,飯の粒を感じなくなり,発酵の酸っぱさも強くて,ちょっとマニアックな味の伝統的鮨である。一週間ほど熟成させたものを食べるが,なかには10年寝かせてドロドロになったものもある。美味さがわかるまでそれなりの年季を要するので,つまらない先入観をまず捨ててから対峙するべきである。南紀のほうに行くと,秋刀魚でなれ鮨を作る。2日ほどで食べるものを早馴れと言い,和歌山ラーメンの店にはよく置いてある。

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琵琶湖の鮒鮨(ふなずし)

伝統的な鮨
 諸外国で鮨というと江戸前しか知られていない。しかし,日本にはその他,江戸前の握り鮨とはまったく別の食べ物だが,江戸前握り鮨が考案される以前の,原点たる発酵した鮨と,その後の押し鮨のバリエーションが存在する。ここからは,日本の鮨を語るにおいて,欠かせないものの代表について論じていく。

琵琶湖の鮒鮨(ふなずし)
 琵琶湖名物のフナの鮨。日本の伝統的な発酵食品で,熟成を重ねて作られる。子持ちのニゴロフナを1年塩で漬け込んで,飯とともに熟成に2年といった具合である。腹の卵の部分は,フランスのウォッシュチーズを超えるほど,絶妙な味わいがある。フランスの赤ワインとチーズのマリアージュは恍惚の極地であるけれども脂っこい。近江の酒とフナ鮨の婚姻は,アジアの別方向の極であり,胃にもたれない。地元の人が,伝統的な方法で漬け込んだものが絶品なのだが,近年,琵琶湖の環境破壊で本物にはあまりお目にかかれなくなってしまった。この鮒鮨と,なれ鮨のような鮨こそが,稲作文化発祥の頃からの,西アジア一帯の伝統的保存食品であり,鮨の原点である。

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