☆日食余話6

 夜でも日食は起こるのか?もちろん起こります、ただし見えません。地球の裏側に行けば昼間だからみえます。来年7月11日は南太平洋で。
日本国内では26年後まで、京都では30世紀まで観られないけれど、☆日食後記 | ほしぞら.・古代史・コンピュータ に書いたように日食は毎月起こっています。月の影がどこに落ちるかだけのことですね。

 金環食は皆既食のようにコロナやダイアモンドリングは現れないので、見劣りすると言われますが、そうでもないでしょう。3年後5月21日の朝の金環食を見るには東が開けた所がいいですね。下図のように南紀~東海~房総。静岡あたりから富士をバックにするのがいいようですが、比叡山頂ではどうかな?

日食ネタもそろそろ尽きたのでここらで終わります。ご愛読ありがとうございました。

金環食

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☆日食余話5


 中国の天文古記録は質・量とも世界最高です。天変は政治の上で非常に大切な事件で、また漢字という文字はそれを表すのに適していたと思われます。たとえば日食記事において「既」という文字があれば100%とはいきませんが、皆既食が起こったことを表し、部分食と区別しています。孔子(BC551年‐BC479年)が編纂したといわれる『春秋』という歴史書には多数の日食記事があります(孔子サン自身が日食を見たかどうかは知りません)。
BC709年7月17日「桓公三年、秋七月壬辰、日有蝕之、既」
BC549年6月19日「襄公二十有四年、秋七月甲子、日有蝕之、既」

しかし天文屋にとってこわ~い日食事件もあります。
☆皆既日食まであと70日 | ほしぞら.・古代史・コンピュータ
これは『書経』に書いてあるそうで、もしホントなら夏の第4代仲康の時代で世界最古の日食記録です。そこで紀元前19世紀か20世紀に洛陽で見える皆既日食を探すと。。。実はいい候補がないいんです。
やっぱこれはアヤシイ。でも伝承元の日食はあるはず。

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☆日食余話4

 世界最初に日食記録は?この質問にはかなり調べました。昔から有名な古代オリエントの事件として
メソポタミアにあったメディア国が今のトルコにあったリュディア国と戦闘中に日食が発生し、恐れおののいた両軍は講和を結んだ。これはBC585年5月28日の日食であり、実はタレス(BC624年 – BC546年頃)が予言していた。
というものです。この話はヘロドトス(BC485年頃 – BC420)の『歴史』に書かれています。彼は「歴史の父」とも呼ばれていますが、脚色捏造も多いそうです。

 実はもっと古い記録もあるのです。多分最古でしょう。
メソポタミアの天文の歴史と日食/月食の記録によればトルコのシリアの境あたりにあった都市国家ウガリッドで見つかった粘土板に
新月の日は汚され、火星を供に沈んだ。
と記されているそうで、これはBC1375年5月3日の早朝、しかし、日の出直後で火星は太陽から離れているのでBC1223年3月5日13時半の日食のほうがベターとも言われています。
どちらの日食も皆既かどうかはわかりかせん。

 では中国ではどうなのでしょうか?

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☆日食余話3

 源平合戦のひとつ、水島の戦いは珍しく平氏が勝ちました。時は1183年11月17日、場所は岡山県倉敷市(今は工業地帯)。戦い中に日食が起こたため、それまで優位に立っていた源氏側が驚きのあまり逃げ出したという話が『源平盛衰記』巻33にあるそうです、読んではいませんけどね。
 平家方は予め日食のあることを知っていたが、源氏方(実は無学な木曽義仲の兵)は知らなかったのでびっくりしたのでしょう。金環食だから真っ暗にはならず「天俄かに曇りて日の光見えず」という表現はオーバーです。源氏方が負けたのは兵力ではないことを言い訳しているように見えますね。ともあれ義仲は京へ逃げ帰りこの後、急速に低落していきます。
 この時の金環食は山陰山陽四国で観られました。京都では部分食、でも9割以上欠けたはずです。

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☆日食余話2

 わが国最古の日食の記録は『日本書紀』に載っている推古三六年三月二日(=628年4月10日)のもので,その記述は「日有蝕盡之」のみです。このときの皆既帯は日本列島上にあったか、それとも外れて太平洋上か?は議論が分かれているそうです。
 日食は必ず新月のときだから旧暦では1日になるはずなのに2日とかおかしい。これは当時の暦が不正確だったためといわれています。
 この日食の5日後に最初の女帝である推古天皇は75歳(当時としては非常に長寿)の生涯を閉じるのです。さぁ,何かアヤシイですね!。このとき人々の間に「日が隠れて女王が亡くなる」と言われてきた微かな記憶(いつのことか女王の名前すらわからなくなっていた)が蘇ってきたのではないか?その女王はもちろんヒミコ,推古女帝より約400年も前の人。ここから先は下記をお読みください。
☆○○コの日食-2 | ほしぞら.・古代史・コンピュータ
☆○○コの日食-1 | ほしぞら.・古代史・コンピュータ

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☆日食余話1


 このたびの日食でいろいろな質問がありましたので、そのうちのいくつかを紹介します。
中には答えられなくてこの3連休に調べまくったものもあります。
世界最古の日食記録は?
日本最古の日食記録は?
日食時にはどのくらい暗くなるの?
金環食と皆既食のちがいは?
ヒミコの日食はいつ?
安倍晴明はホントに皆既食を見たの?
源平合戦の時の日食はどうなったの?
京都での次の皆既食はいつ?
夜間でも日食は起こるの?
ーーーーなどなどーーーー
日食時にはどのくらい暗くなるのかは、あの通りほとんど変化ありませんでしたね、8割欠ける程度では。真っ暗になって星が見えるのはやはり皆既時だけ、暗くなったのがわかるのは9割以上でないと無理みたいです。でも51年前(子供のころの記憶であてになりませんが)、1958年4月19日には85%の日食でしたが、周りがうす暗くなった。でもその日はとてもよく晴れていました。昨日のような曇天なら、変化はわからないようです。ということは気づかれず、記録されなかった日食はたくさんあったということですね。

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☆日食後記

日食

 世紀の天体ショーは終わりました。26年後には能登半島でナマで観たいな。
ところで実は日食は毎月起こっているのです。月が太陽と地球の間に入っても、その影が地球に落ちるのは珍しいが、地球の外にできるのは日常茶飯事。それを見るにはスペースシャトルに乗っていけばいいわけです。26年後には無理としても今世紀中にはそんな日食ビジネスが実現するでしょう。雨や曇りの心配も一切なく100%皆既が見えます。

ただしリクスは伴いますがね。

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☆日食当日

硫黄島


さて当日です。10:30から6Fホールでライブ中継、洛北校・鴨川校とスカイプ交信。ところが、トカラ列島は雨、皆既時間になっても、雨のテントの映像ばかりです。外は薄日が差して、3割くらい欠けた太陽が見えます。困ったなぁこのまま終わるわけにもいかんしというとき。硫黄島につながりました。おお三ケ月みたいな太陽。痩せたなあ!。硫黄島の皆既までは少し時間があるので、ホワイエから日食メガネを通して生の太陽を眺めます。ここで退出した学生諸君も多かったけど、11:30ころコロナもダイアモンドリングも見えました。

硫黄島

 協力してくださったみなさん、ありがとうございました。

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☆皆既日食まであと半日

木漏れ日

 いや12時間後には皆既食はすでに終わっています。天気が心配ですね、TVニュースはほとんど豪雨の被害と国会解散。瀬戸内地方以外はあやしいな、京都もトカラも。
太陽を直視せずに安全・安価・アンチョコに見る方法が木漏れ日観察です。厚手の紙に小さな穴をあけて、そこを通った太陽光を別の紙上で見るというものです。テレカの穴では小さすぎでした。晴れたらお試しください・

 今朝、ある報道機関から「京都で次に見える皆既日食はいつですか?」という質問電話がありました。21世紀にはないのですが、22世紀以降は調べていないので調べてみてビックリ!30世紀までないのです。というよりそのソフトの精度の限界である30世紀末まで起こらない。皆既日食自体は2~3年に1度は起こっているのに。。。でもよくよく考えてみると地球の表面の70%は海ですから、見えるのはほとんど海上で、狭い日本列島の中の京都にたまたま月の影が来るのが少ないのは当たり前かも、と答えた次第です。

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☆皆既日食まであと1日


いよいよ明日です。天気は期待できそうにないが、南の島は晴れるかも、という期待を持って、日食ライブ鑑賞会を行います。10:30~駅前校6F、洛北校、鴨川校で。ただ今準備中。

詳しくは後ほど

かつて日食は天変でしたが、今では確実に予測できることがら、それに反し国会解散は現代の天変ですねぇ。

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