本能寺の変より9年前、1573年に信長は自分が担ぎ出した足利義昭を室町将軍から追放して、ここに室町幕府は終わるのですが、その後朝廷に強要して元亀から天正へ年号を変えさせています。これは改元の権限を奪うもので、朝廷へのものすごい干渉です。
そして天正十年、武田へ出兵の前に公の京暦を三島暦(当時尾張美濃で使われていた)に変えることを要求したそうです。変更は閏月の置き方なのですが、京の公家衆からするととんでもない越権行為、もうしそうなれば陰陽寮の役人は当然総入れ替え、その次に来るのは朝廷人事への口出し、ひいては朝廷乗っ取りです。左大臣右大臣も藤原氏ではなく信長の息のかかったもの、そしてついには天皇にもおよびかねない。すでに正親町天皇は嫌気がさして退位するとか言いだす始末。武田を滅ぼし毛利・上杉・長宗我部ももうじき制圧する信長はしつこく三島暦の採用をせまります。
もうやるしかない、そこで極秘のうちに信長包囲策ができます。実行犯は光秀、その後は秀吉か家康かそれとも義昭の返り咲きか、謙信のいない上杉や、元就のいない毛利では頼りない・・・結果的に改暦は回避され、朝廷の思惑はうまくいきました。家柄のない秀吉は莫大な金銀で高位高官を買いました。
こうなると源平合戦のストーリーを思い出しますね。平家追放は木曽義仲にやらせて、その後は頼朝を使う。自らの手は汚さず、武士同志を争わせて、最終権力だけは保持して生き延びた後白河とその取り巻き公家衆を。
暑い真夏の夜の夢でした。
☆本能寺の変と天変 | ほしぞら.・古代史・コンピュータ