昨日の声楽コンサートは椿姫でした。オペラ@KCGは初めてです。出演者はおなじみになったAstronomical Singer 河野氏。
時代は150年前のパリ、アルフレードとヴィオレッタの悲恋物語、有名なアリアがいくつかあります。お姫様、王子様、神様、悪魔などは出て来ず、現代的なストーリです。アルフレードの回想という設定で進み、ヴィオレッタが死んでから、フィナーレに乾杯の歌が歌われました。恋と青春を讃えるデュエットで、いつ聴いてもいいですね。
ボクの好きなもう一つのアリアは、今回ありませんでしたがプロヴァンスの海と大地をです。アルフレードのおやじさんであるジェルモンが息子を優しく諭す歌です。息子をもったサスペンダーさんぜひお聴きください。
☆皆既日食まであと7日
1週間前いよいよ秒読みに入ります。当日2限に「日食講演会(またはライブショー)」を行うことにしました。どのようにすればいいか、最適解を考慮中です。屋内でインターネットライブ、屋外で日食めがね(左図)を通しての観察、木漏れ日観察の方法。
みなさま、ご協力をよろしくお願いします。
洛北でも配信準備が始まりましたね。RAKUHOKU
PS 日食ねがねをご購入の方も多いようですが、3年後の金環食まで使えますから大切にとっておいてくださいネ。実は安いのもありますよ。
☆皆既日食まであと10日
http://www.astroarts.co.jp/special/20090722solar_eclipse/about-j.shtml
いよいよ10日先です。今回の日食が大日食と騒がれる由縁は
・わが国で見える皆既日食は46年ぶりである。
1963年7月21日には早朝の知床半島で起こりました。しかし本州ではわずかに欠けただけ。京都では10%にもいかなかった。したがってほとんどの日本人は部分食も見ていません。
・今回近畿では8割も欠けますが、これは1958年4月19日以来、51年ぶりである。
半世紀前だから皆さん記憶にないですね。
・今回は皆既時間が6分あり、これは異例の長さで21世紀最長です。通常では2~3分しかない。
・近い将来の大日食は2012年の金環食(これは京都から見られます)、その次は2035年の皆既食。能登半島から北関東で皆既で、京都でも9割欠けます。しかしそのころはもうヤバイ。京都で見えた最近の皆既食は幕末の1852年で、その後20世紀21世紀にはなし。
ということですから、みなさんぜひ見ておくべきです。コロナやダイアモンドリングは皆既ゾーンに行かないと無理ですが。
☆これは実話です
決してフィクションではありません。日食についていろいろ問い合わせがあるそうで、
天文MLで紹介されました。まさに怪奇日食です。
これは鹿児島県ある市役所への苦情電話だそうで・・・
ともあれ、あと13日
☆明日七夕講演会
☆皆既日食まであと20日
http://apod.nasa.gov/apod/ap090703.html
を切りましたが、今日はやや違った話題です。本日太陽は見掛け上最も小さくなりますが、それは最も遠くなったからです。地球が太陽の周りを回っている軌道は円ではなく、わずかに(1.6%)押しつぶされた楕円なので、地球と太陽の距離はその分だけ変わります。最も遠ざかる日は毎年7月4日ころで太陽は右半分ように見え、最も近づく日は1月4日ころで左半分にように見えます。冬に太陽に近く、夏に遠いということで、ちょっと変ですが。さらに近いと太陽からの引力が強く、それにバランスするため速く運動します。その結果、冬は速く過ぎていくので短く、夏は長いということが起こります。
実際、暦で春分ー秋分、秋分ー翌年の春分の日数を数えると数日の差があります。
・・・夏、太陽は遠くて小さくて、地球の公転運動は遅く日数は多い・・・
☆要らなくなったもの-4
要らなくなったというより、消えてしまったものまたは消えそうなものです。
公衆電話、カセットテープ、たばこ屋、(薬とか魚とか)行商人・・・まぁナットクできますね。
30年前にはほとんどどこの職場にも字の上手い人がいて、その人が 筆を持つことい価値がありましたが、今やよほどの達筆は別にしてそんな仕事は稀です。20年前にワープロねえちゃんという言葉がありました。まだ一般人がワープロを使えなかった時代です。ITの普及で、その言葉はなくなりました。コンピュータに劣る中途半端な達人は要らないのです。20年後になくなっているものは何でしょうか。
学生時代には21世紀になったら宗教はなくなるかと思っていたが、さにあらず。占いもなくならんなぁ。書店、新聞屋、などはどうでしょうか。残れるかな?大学の講座制はかなり消えてしまいましたが、まだしつこく残っている分野もあります。
☆要らなくなったもの-3
その3は要らなくなったものというより要らなくしたいもの、それはハンコです。色々な書類にハンコを押すように言われていますが、実はただ習慣的にやっているだけ。そもそも捺印とは書類の内容に責任を持つというしるしのはずなのに、「とにかくここに三文判でもいいから押しといて」と言われて押していますね。実印なら届けているので本人のものとわかるが、三文判なんてどこでもだれでも買えて使えるのです。要するに無責任になるのです。
かつてハンコを忘れて困った時がありました。取りに帰る時間はなし、こんな珍しい名前のハンコを売っている店はなし、作ってもらうと日数がかかるし金もかかる。ところが鴨川校の南にあるあの店でたったの15分で、たったの300円でできたのです。しかも免許証も保険証もなく身分を証明をするものは一切不要。そんなハンコに何の意味があるのでしょうか。署名なら筆跡鑑定して本物か偽物か判別できますが、ホームセンターで作った三文判(=スタンプ)ではできません。
そんなハンコを押すのはやめよう。意味のない捺印は拒否しよう。まずは身の回りの書類から
戦国大名の花押は立派ですね。あれなら責任が伴っているとわかります。
☆要らなくなったもの-2
みなさんのうちでは○○事典はお使いですか?わが家の天文学事典、理化学事典、育児事典、料理事典、漢和中辞典、英和大辞典、・・・・埃だらけです。もう数年も開いていない。調べものには、そんな分厚い本をあけるより、Wikipediaで検索するほうがフツーでしょう。何種類もの辞書をかばんに詰めて学校に持っていく高校生はまだいるのでしょうか?高校生の使う言葉はすべてコンパクトな電子辞書があればすむこと。その電子辞書を遣うことを禁じていた先生がいましたが、今はさすがにいないでしょうね。さらに今やケータイに収まっています。近い将来、厚くて重い事典辞書は専門家以外には不要になるでしょう。
かつて書斎・応接間の書棚に分厚い事典や全集を並べることは庶民のあこがれでした。それらの本が目的ではなく、そのような書斎・応接間のあるマイホームをもつことが。でもそんな無駄なことにお金を使わなくてよかった。
☆要らなくなったもの-1
私たちの周囲にはかつて大事に使っていたのに、今や要らなくなったものがいっぱいありますね。PC機器ではフロッピディスク、文房具では万年筆・・・・
万年筆は中学や高校への進学祝いの定番でもらって、ほんとにうれしかった。さらさらと、鉛筆とは違った滑らかさに満足!なくさないよう机の奥の定位置にしまっておいたもの。胸ポケットに挿すこと自体がステータスアップでした。万年筆とは誰の訳語か知りませんが、
fountain pen よりずっといい言葉です。自転車と並んで非常にすぐれた日本語で、もはや訳語ではない。
その万年筆が使われなくなったのは、ボールペンに負けたからでしょうか?値段だけでなく、重ねて書くカーボン紙のためには万年筆は不便ということがあったのでしょうね。「そんなもの知らんワ」という若者もいます。
このシリーズでは辞書、ハンコ、などを取り上げていきます。

