プロフィルの画像を変えました。天体写真の上に加茂大橋から見た鴨川とユリカモメを重ねました。ところでこの天体はすばるです。すばるといえば「ほしはすばる・・いとをかし」清少納言,昴といえば「我も行く さらば昴よ」谷村新司,Subaru といえばハワイにあるわが国の大望遠鏡。そんな名前の高校がありますね。そんな名前の軽自動車がありました。
青くて若い(といっても約1億歳)星の集団で,ゴチャゴチャと群がっているのがよく見えます。これから冬にかけて夜空を飾ります。ギリシアでは若き7人姉妹で一番明るい星に長姉アルキオネの名前がついています。
この天体は天文業界ではM45と呼ばれています。約250年前にメシエさんが作った星雲星団カタログの45番目に載っているからです。昨日すばる☆さんと相談して,M45をMemory of 45 yearsと読んで,今年の11月祭はすばるでいこうとしました
☆K2Editor
新しいエディタをインストールしてみました。秀丸、PeggyPad、CPad・・・などたくさんありますが。予約語やコメント行の色を変えるのは珍しくないが、こいつはツールバーに実行ボタンを設定できるのがいいとこ。HTMLファイル(Javascriptを含む)を書いてone click ですぐに見られます。
Vectorや窓の杜からダウンロードできます。
☆下弦の月
外に出てみると東の空、雲間に半月が見えます。上が直線状で下が円、明らかに弦は上です。しかし今は満月過ぎて下弦の月のはず、サテなんで?
先日とある講演会で「弦が上にあるとき上限の月、下にあるとき下弦の月というのは間違いで、旧暦で初めの10日間すなわち上旬では上弦の月という。同様に下弦の月は下旬の月のこと。」という話を聞きました。今日は旧暦では8月21日、なるほど、それならよくわかる。ウィキペディアにもそう書いてあります。
これまでウソ教えていたかも・・・
☆昔,地球は暑かった?寒かった?(7)
数千年前に大河のほとりで四大文明が発生したのは温暖期が終るころ、私たちの先祖は農業・牧畜によって、食生活を安定させたといえるでしょう。これ第1の波です。また18世紀後半、西欧で産業革命が起こったのは小氷期のころ、これによってエネルギーが確保され、科学技術が進歩し今日の工業化都市文明が形成された、これ第2の波ですね。
ああ、トフラーのいう波は寒冷期にやってくる!ことに気がついた。人は寒冷期には知恵を絞って生き残りを図ってきたのです。おみずさんの言葉では「ピンチがチャンス」。しかし第1、第2の波の時には成功ばかりではありませんでした。その代わりに犠牲にされたのが森でした。
今第3の波の真っ只中ですが、全世界が温暖化に見舞われているのはどうなのか?実はトフラーが「第3の波」を執筆していた1970年代後半には、地球寒冷化、氷河期再来が話題になっていました。
☆その後のプルート
http://www.astroarts.co.jp/news/2008/09/18haumea/index-j.shtml
2年前、惑星一家から出て行って話題の主役だったプルートですが、エリスとともにプルートイドというグループを作り、先日マケマケが加入し、このたびさらに仲間が増えました。その名はハウメア、ハワイの女神からとったらしいです。これで4人という小派閥ですが、セドナをはじめ、まだたくさんの候補がいるそうです。それにしてもプルートとエリスはギリシアの、マケマケは南太平洋のどこか島の、セドナはイヌイットの神、汎地球的ですね。
やっぱりプルートは降格ではなかった、彼が代表であるプルートイドはもうじきプラネット一家より多数になるでしょう。
画像が見えにくくてゴメン、クリック拡大してください。
☆お月見観望会
☆失われた森
森と文明の物語―環境考古学は語る (ちくま新書)
実に面白い本で眼からうろこが落ちます。森が失われていった歴史が著者の専門である植物の花粉の研究から語られています。メソポタミアから中東一帯にはレバノン杉の森だったのが古代文明によって荒らされ、早くも砂漠と化してしまった。ヨーローッパは中世末から森が失せてしまった。開発という名の自然破壊・・・
この本2年位前に読んだけど、なくなってしまいました。昨夜積み重ねた本束の中から出てきて、読み直しています。新書なので1~2日で一気に読めますからゼヒお勧めです。
☆昔,地球は暑かった?寒かった?(6)
この豊かな温暖だった「金の時代」に、人類は農作を始め文明が成立したのではないという説が有力になっています。この時代にはそんなことは必要なかったのでしょう。ところがやがて温暖な日々はいつまでも続かず、徐々に寒冷期に向かいます。亜熱帯雨林は草原に砂漠に変わり、人々は大河の周りに集まってきました。そしてそこで植物を栽培し、動物を飼育すること、すなわち食料を自作する術を発明しました。そのために集団生活を営むようになり、リーダーを必要としました。リーダーとしては王 and/or 神です。これがいわゆる四大文明の発生で、約5000年前「金の時代」の終期です。
でもそのころはナイル、チグリスユーフラテス、インダス、黄河の周囲は今のような砂漠ではなく、まだ緑の草原が残っていました。それを荒地にしてしまったのは気候変化よりもむしろ「開発」です。前回のギリシア神話を続けますと。
ところが時はうつり「銀の時代」「銅の時代」「鉄の時代」となるにつれ,人間は互いに武器を持って,大地を取り合う醜い争いを繰り返すようになりました。これを見てうんざりした神々は次第に天へ引き上げてしまいました。
以下次項
☆昔、地球は暑かった?寒かった?(5)
中世温暖期の前のことはよくわかりませんでした。ギリシアローマの彫刻では裸や薄着が多いのはBC4世紀~1世紀には温暖だったのか?しかし古代中国の帝王たちはみんな厚着ですね。これだけではなんともいえないが。。。
確かなのは大幅に時代を遡って、6000年~8000年くらい前には世界中が温暖だったことです。それは地質学的にも考古学的にも言われていることで、海面は今より数メートル高かった。当時は枚方から先は海で、大阪は海の底です。シベリアにも北アフリカにも緑も森がありました。サハラの中央、タッシリの洞窟にはヤギやウシの壁画があります(宇宙人が描いたという説もあるが)。食料は豊富で人口は少なく、人々は安楽に暮らしていました。
その時代の記憶は聖書にはエデンの園として書かれてるし、ギリシア神話ではさらに詳しく書かれています。
かつてこの地上は,山には穀物や果物が実り,川にはミルクや酒が流れ,人間は農作しなくてもいつも満ち足りて,何不自由なく暮らしていました。また正義と信仰がいきわたり,権力を振り回す者もいなく,法律なんてものも不要でした。神々はこの世で人々と一緒に暮らしていました。このような平和で平等な時代は「金の時代」といわれています。
以下次項
☆金文が明かす史実
サスペンダーさんから引き継いで
古代中国の大規模な王朝交代戦争である殷と周との最終戦はその地名をとって牧野(ボクヤ)の戦いといわれています。その様子は史記には甲子の日に周の数万が殷の70万に1日で勝ったと書いてありますが、19世紀から西欧史学が導入されると、ウソやと思われてきました。ところが1970年代に利簋(りき)という青銅器が発見され、その銘文には史記と同じ内容が書かれていたのです。「武王、殷を倒す。戦いは甲子の日の朝始まり、黄昏はやく終わった」と。この青銅器はその時代の作品で、これによって伝承と思われていたのが史実だったことがわかりました。これぞ第1級の金文ですね。
嗚呼、司馬遷はえらかった、単に言い伝えをまとめたのではなく、きちんと考証しているようです。もっとも数はオーバーでしょう。数字は忘れてもその事柄はけっこう覚えていることは今のわれわれにも通じることですね。また主役は武王ではなく、太公望でしょう。
ころは紀元前11世紀(castorの天文計算ではBC1046年1月20日)、日本ではノンビリした縄文時代、エジプトにはピラミッドが並び、ユダヤではダビデの現れるちょっと前、ギリシアはまだ世界史に登場前です。
