暴走しているのはわかっていますが、なかなか止まりません。
フェルマーの原理は死後200年してハミルトンによって完成されます。ハミルトンも変な人でイギリスのとある小さな天文台長ですが、体が弱く観測が嫌いで、数式ばかりの世界に引きこもっていた。彼のきれいな数理体系はニュートン力学を包んだのですが、当時の大英帝国学界からはそれがなんやという冷ややかな目で見たれた。ところが彼の死後数十年、量子力学も相対性理論も包み込んだのです。フェルマー、ハミルトンはニュートン、アインシュタインに比べて知名度は落ちるがすばらしい科学者で、4人とも神に近づいた人です。ハミルトンは4元数のあの人というほうがわかりやすいですか。
フェルマーと神
ガリレイとニュートンの間にフェルマーという変な数学者がいます。ナゼ変かというと数学は独学で学び趣味としてやっていた。職業は弁護士と言うか司法書士というか、もめ事よろず相談業みたいなもので結構裕福だったらしい。この人「論文」という形では残していません。メモや友人への手紙から知るしかないのですが、モノスゴイ定理・法則をたくさん発見しています。そのひとつに「光は進むのにかかる時間が最小になる経路を探して進む」という原理があり、これより反射や屈折の公式が導かれます。いや、それどころではなく電磁気学、量子力学、相対性理論(いわゆる光の曲がりも説明できる)あらゆる物理の分野に適応できるのです。
このような非常に普遍性のある法則が「神」なのかもしれません。宇宙を創造し調和統括してくれそうです。お布施、お賽銭なんかでご利益をくれる神、無条件絶対忠誠を要求する神・・・などは信じませんが
神のお仕事
運動と言うものは惑星運動であれ、音響振動であれ、電磁伝播であれ、微分方程式であらわされ、初期条件を与えればあらゆる予測は可能・・・というのはラプラスの豪語ですね。数学的厳密に解けなくても計算機で近似数値解は求まります。しかし初期条件の与え方は無数にあり、ほんのわずかな数値の違いでカオスになってしまうこともある。自然の中に秩序(コスモス)があるなら、初めからそのような値を神が選んだのか?それとも無数の宇宙が生まれ存在するが、われわれは自分の宇宙だけしか認識できないのか?後者に立てばもはや宇宙はuniverseではなく multiverse となる・・・なんてことを佐藤勝彦さんからききました。。。わかりませんねぇ。
初めに言葉ありき
初めに言葉(ロゴス)があったというのは創世記の冒頭と矛盾します。なぜなら神よりも前にロゴスが存在したことになるからです。そこでヨハネ福音書はこの冒頭文に続き言葉は神であったとしています。これが古来西欧の科学者を悩ましたもので、神=自然の原理が成り立つか?神は自然の原理・法則を作ってから光あれとのたもうたのか?それとも自然の原理・法則は別にあって神は最も進化しやすいパラメータを初期条件に選んだのか?・・・ニュートンをはじめ多くの科学者は後者の立場です。
実際同じ方程式でもパラメータ(電子の質量や重力定数など)の値によってはすぐに潰れてしまう宇宙という解もありますから
神の領域?
ダ・ヴィンチの謎 ニュートンの奇跡
プロローグにいきなりヨハネ福音書の冒頭「はじめに言葉ありき」が出てきます。そして言葉とはロゴスであり原理であると聖書の解説が、フィボナッチ、ピタゴラス・・の話が続きます。ダビンチもガリレイもニュートンも神の領域に踏み込んでしまったが、神を否定はしていない、神を拒否した最初の科学者はラプラスであるというのは面白いです。
終りの章はかなりはしょって、異論もあるけど、中盤までは面白かった。物理と宗教に関心ある方にはオススメです。
40.9℃
ついに日本新記録だぁ~
ようまぁ生きてられますね。
桜坂。さんお先に書いてしまってゴメン
全国のカモ
百万遍は千中に
東西南北
東大路、西大路、北大路があってなぜ南大路はないの?東野、西野、北野があってなぜ南野はないの?(人名でした)。洛東、洛西、洛北、洛南は高校ですね。みんな訪問しました?滋賀県には湖南市と湖北町はあるが湖東町はこのたび消え、湖西町はもとよりなし。また東大津と北大津は高校で西大津はJR駅で南大津はありません。
東京に対して西京のことは解決済です。東海道、北海道に対し、西海道、南海道もある(あった)のです。西海道とは九州・沖縄への道、南海道とは紀伊・四国への道です。
東西に流れる今出川
久しぶりに京都の川についてのお話です。洛中洛外すべての川は南北に流れているのは京都の地形からして当然ですが、唯一東西の川があります(過去形かも)。それは今出川!ホントにあるのでしょうか?どこにあるのでしょうか?積年のなぞがオブジェさんとの話の中で解けました。賀茂川から出て鴨川に注ぐそうで、詳しくはオブジェさんへバトンタッチします。
