屋台で成功したラーメン屋さんが,店を構えて開業することがある。多くは,それでより洗練された味になるのだが,「屋台のときのほうが味が良かった」,とか,「店を構えて味が落ちた」などと言う人も多い。
屋台と店舗のラーメン調理の違いを観察していると,水の使い方が大きく異なることがわかる。道路には水道がないので,水はどこかから持ってくるしかない。その水を節約するために,屋台では麺の湯で汁でスープを薄めたり,バケツに張った水でどんぶりを洗ったりなどして,水を徹底して節約している。
麺を茹でる鍋の湯が,すなわち,かん水や打ち粉のたっぷり溶けた湯が,客の数に比例して消費されていく鶏がらや豚骨を茹でてスープを取る鍋に,ふんだんに追加される。
加えて,どんぶりを洗うバケツと食器洗剤をすすぐバケツの間で,どの程度すすがれているかで,下味も変わってくるかもしれない。
一方,店を構えると,麺を茹でる鍋とスープの鍋は,湯が交じり合うことがほとんど無くなる。どんぶりを洗うのも,洗剤が全く残らない程度にすすがれて,綺麗に洗われるのだろう。
もうひとつは,冷蔵庫の有無である。営業時間中,素材を保存するのに,屋台で冷蔵庫を持って来ている店は稀である。多くはクーラーボックスか,せいぜい発泡スチロールの箱で,店舗に普通にある電気冷蔵庫・冷凍庫があるわけではない。
これはすなわち,素材の足の速さの違いになる。かぼちゃは腐りかけが一番美味い,と,誰かが言ってたらしいが,屋台ラーメンの麺もチャーシューも,寸前が一番美味いのかもしれない。
店舗になったところで,レシピや,塩加減が変わるとは思えない。屋台から店舗へ移行したラーメンの味の変化は,どうやらこのあたりにあるのではないだろうか。
月別アーカイブ: 2007年10月
高木町ラーメン–半分幻の京都ラーメンLegend
今は千本通りの北大路以北に店舗を構えているが,高木町の交差点の角にラーメンの屋台が出ていた。京都コンピュータ学院洛北校から5分ほど東に行った所である。
ムーミンに比べるとニンニクが強く,麺のゆで汁とスープを取る水を混ぜすぎるから,スープに小麦粉の匂いが強く残っていたけれど,それでも,夜中に食べるには美味いラーメンのひとつであった。ムーミンと高木町ラーメンは,当時の京都式屋台ラーメンの代表であった。
半分幻の,と言う意味は,現在,店舗を構えて営業しているからである。こちらはずっと洗練されていて普通に美味い。しかし,あのなつかしの屋台時代の味は,今も舌の記憶に残る。あれを食べると,元気になった。
幻?のきんりん–京都ラーメンLegend
京都コンピュータ学院白河校(昔の浄土時校舎)の南,錦林車庫の前の路地を入ったところにあった,きんりん。先代は,有名な「ますたに」で修行したらしく,たしかに背脂ますたに系であったが,ややワイルド。夜中遅くまでやっているのと,メニューが豊富なので,よく行ったものだった。
近所の普通の京都ラーメン,馴染み深い,親しみ深い味わいだった。
最近,店をたたんでしまった。移転したとの説もあるが,どこなのかわからない。ご存知の方,教えてください。
京都ラーメンLegend–幻の熊野寮ラーメン
その昔,学生運動で有名な京都大学熊野寮の東側に,屋台が出ていた。百万遍の京都情報大学院大学から歩いて15分くらいのところ。
京都式で独特の美味いラーメンだった。豚骨と鶏がらを絶妙な具合にブレンドしていて,紅しょうがを乗せる。日によってチャーシューの出来具合が異なり,若い主人が,「今日はチャーシューの出来が最高」と言う日は,とろけるような三枚肉が,麺とからんで踊りながら溶け合っていく。長時間じっくりと煮た三枚肉は脂身がトロトロで,赤身は繊維を少々感じさせながら,粉々に砕けてスープと麺と,三位一体に交じり合って,ほんわり柔らかく喉の奥に消えるのだ。京都ならではの「はんなり」と,京都の「裏こってり」の,見事な融合であった。
80年代初頭に火事になって,消えてしまった。
京都ラーメンLegend–幻のムーミン
京都コンピュータ学院という名称が始めて使用されたのは,京都百万遍を北上して5分,元田中のバス停前の石川ビルという電気店の二階であった。その南の角に,70年代に屋台が出ていた。赤ちょうちんに書かれた屋号は「ムーミン」であった。
残念ながら80年代初頭には消滅してしまったが,当時,その路地角に行くと,昼間屋台が出ていないときでも,独特の臭いが漂っていたものである。夜,8時を過ぎると鍋の煮える匂いが町内に漂って,タクシーの運転手や近所の人々で賑わっていた。味は,うどん出汁をベースに,鳥の足を煮て,ニンニクを利かせた鶏ガラベース。豚の皮とか豚骨なども少々は入っていたと思う。チャーシューの美味さも特筆もので,中学時代の親友は,家族で出かけ,「チャーシュー麺のチャーシューは2倍」,という特別仕様を注文していた。彼は,「チャーシュー倍にすると,肉で麺をくるんで食べてもまだ肉が余る」としたり顔で説明していた。
親父が愛想の良い人で,常連には干し芋をデザートに振舞ってくれたりした。京都市内で有名な屋台だったのだが,あれが京都式ラーメンのひとつの原点だったのではないかと思う。
京都ラーメンLegend
このへんで,もはや高級食品となった鮨の話は一休みにして,その対極の身近なものに転換しようと思う。
京都に育ち,中学の頃から自転車で市内のラーメンを食べ歩くことにより,グルメ道の門戸を開いたのだから,しばらくラーメンを中心に麺類を考えたい。世界中いろんなところでラーメンを食べたが,京都のラーメンが一番美味いと思う。
中国本場のローメンを日本的にアレンジして,ある極を確立したもののひとつがラーメンである。中国人でさえ,日本のラーメンはおいしいという。
そのラーメンには,東京式ラーメン,札幌ラーメン,博多ラーメンなど,伝統的定番ラーメンから,京都ラーメン,喜多方ラーメン,和歌山ラーメン,などバリエーションも増えてきた。
ラーメンとは,中国のローメンでもなく,中国語で言う麺の範疇を超えている。かん水(アルカリ性の水)でコシを出した小麦麺を,鶏ガラや豚骨のスープで食べる汁麺で,日本独自の食文化である。東京の某中華料理店が始めた麺料理が日本中に広まったと言われているが,そのような一元的で面の広がりではなく,中国からの文化輸入を随時伴いながら,複合的に発展してきたのではないだろうか。
まずは,京都の消えてしまったラーメン屋さんの伝説から始めよう。
日本の鮨は絶滅危惧種?
日本の味が危ない。鮨が危ない。
まず米。
日本産の芸術品であるコシヒカリは,今やアメリカでも中国でも台湾でも作られている。日本がWTOに加盟してから,消費量の10%を輸入しなくてはならないようになった。その結果,外国産のコシヒカリがわが国でも流通している。しかもそれら外米は廉いため,外食産業や会社・工場・学生食堂にどんどん導入されている。
一方,高価な国産米は売れなくて困っている。日本政府は,米など食料を海外から輸入し,海外へは工業製品を輸出して,合理的に日本社会を経営していけば良いと考えているらしい。 しかし,輸出して外貨を稼いでいる主要企業は国内30社に満たないのである。この工業製品輸出力が,いつまで継続発展できるのか,実は誰もわからない。わが国の若年層を見ると,わが国の工業力・技術力の将来は,決して楽観はできるものではない。若者の理系離れ,小学生の数学能力の低下,わが国の技術立国としての未来は明るくはない。そんな日本で,食料自給率をこれ以上下げることが正しいのかどうか。
日本は,先進国の中で食料自給率が最低で,39%である。アメリカやフランスでは100%を遥かに超えており,ドイツで90%,イギリスでも70%程度である。39%の食料自給率というのはあまりにも低い。
そして,米離れも進み,わが国の国民一人当たりの米の消費量は60年代に比べると半減した。将来,主食である米の輸入自由化が成された場合,日本の食糧自給率はさらに減り,日本の本来の米の味が消えていくことになるだろう。そして,鮨の味も変わることになるだろう。否,鮨の味が雲散霧消する。
すでに,外米に,スモークサーモン&クリームチーズや,海老天麩羅を乗せて機械で握ったSushiが,ベルトコンベアの上で廻りながら,今や世界を席巻している。日本の鮨は絶滅危惧種なのだ。
鮨の真髄
鮨の真髄
同じ種であり類であり属である筈なのに,狭い日本の各産地であまりにも異なるのが,タイ,アジ,サバ,ウニ,サザエ,アワビである。また,同じ群れにいながら個体差が著しいのがマグロ,ヒラマサ,カンパチ,ハマチである。舌に残る記憶を頼りに,各地食べ歩いて比べてみると,味覚の世界はかくも深遠であるかと思い知らされるものだ。
そして,外国で鮨や魚を食べてから帰国すると,日本という島国で取れる作物と日本列島の海産物には,一つの共通点があるということに気づくのである。それは,諸々の事物の全てに含有される,欧米の数百分の一という計測値を示す超軟水の,日本列島の「水の味」である。
アメリカには日本酒のメーカーが支社を出していて,カリフォルニアの水で日本酒を作っているが,いくら同じ麹を使っていても,硬度の差による水の味がかなり異なるので,似て非なるものになっている。欧米の硬度の高い水では,日本酒も日本料理も,正確に再現するのは不可能だ。
全ての民族において,郷国の味というものは,実はそれに含まれる海川や大地の「水の味」である。もちろん,関西と関東でも,あるいは北海道に行っても四国に行っても,それぞれに「水の味」は細かく違う。そして良く味わってみると,それぞれの「水の味」が,各地域の全ての食べ物の特性を方向付けていることが分かるだろう。鮨も,しかりである。狭義では江戸の,広義では日本列島の,その水域に泳ぐ魚と,その水で炊いた日本の水田で育った米,日本の清流の山葵,日本の地下水で作る酢や醤油,それらが統合されて,日本の鮨というひと口の交響曲になる。茶も酒も無論,日本の水であるからこそ,日本茶であり日本酒になるのである。関わる水が全てその地のものであるかどうかという点も,正統派を定義する重要な基準である。
さらには,郷土の湿度や気温,即ち,風の匂いやしっとりした空気の軟らかさも,味を感知する大切な要素である。ブルゴーニュのワインとウォッシュチーズのマリアージュが,あの乾燥した空気と風が運ぶ野原の匂いの中でこそ引き立つように,全て郷土の食べ物は,その環境の中でこそ開花するのだ。
そして,鮨や魚に原点の水を共有する日本の酒を合わせれば,客体である事物の季節に応じたバラエティある組み合わせに各々対応して,主体である味覚が,酔いの度合いによってゆらいで百様を呈し,時々刻々それぞれに異なる森羅万象のハーモニーを展開する。味覚の深遠はかくも果てしなく広がる,繊細な曼荼羅である。
鮨という一つの料理方法をとってみても,これが定説だ,あれが正統派である,などと言えないあらゆる可能性が存するものだ。一人の人間が全てを認識できない程に,現実世界は広く奥深い。理屈や習慣を学んで分析するのは重要だが,それを超えて,拘るところには拘り,自由に食を楽しみ,人生を楽しむべきだと切に思う。そして味覚の深遠を感じるとともに,大地海原の遠大にも同時に思いを馳せ,人々の明日を考えたいものである。
冷凍マグロの普及と圧倒的消費によって,本当に美味い冷蔵マグロさえ食べられないようになってきた。本質を認識せずして模倣し,出鱈目の上に勝手な解釈を重ねて地球環境の破壊に拍車をかけたりせずに,自らの五感の認識と的確な判断で食生活をクリエイティブに展開せよと言いたい。自国で産する美味いものを,新鮮に食べることのできる範囲から入手し,それらを上手に組み合わせて,職人気質でその究極を目指すことが,江戸前握り鮨の真髄である。これこそ,世界に誇る日本の文化である。
富山のますのすし
富山のますのすし
富山の鱒で作る鮨。円盤状に飯と鱒を固めて笹の葉で包んだ名物。もうちょっと魚が厚かったらな,などと思ううちに飯だけで腹一杯になるのは奈良の柿の葉寿司と似ている。嫌味やクセはまったくない。鱒であるからこそ,淡く清らかに美味いのであります。