Kamogawa&Hieizan

鴨川と比叡山

 前回のブログで鴨川と比叡山を結ぶキーワードは白川であることがわかりました。そしてもうひとつは「小惑星」です。どちらも小さいながら地球や火星と同じく太陽の周りを公転しています。それを解説したムービーをどうぞ。

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鴨川と白川

 現在私たちは賀茂川の源流は北山の奥地,鞍馬・貴船・雲ケ畑であることを知っていますが,京都盆地を開拓治水していたころには,鞍馬や雲ケ畑のことは知らず,貴船が水源を思ってそこに水神を祭りました。高野川と合流して盆地の東を流れるようになった鴨川に注ぐ川がさらにもうひとつ,白川があります。現在の白川は疎水に注いでいますがそれは明治からのこと,白川の水路の跡は志賀街道(川端丸太町のちょいと北から斜め北東へ,東一条、京大本部構内を斜断して北白川追分町の地蔵さんのそばを通りそのまま斜めに進み,山中越にいたる)に違いない。そしてそのまま遡ると比叡平(旧名姥ケ谷)となりますが,そのころの住民はでした。だから水神は祭ってありません。
 写真がなくてスミマセン。でも,やっとここまでたどり着いた。

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右と左

 おうえいさんのご指摘通り左京右京は「南に向いて」いうことばです。ナゼって君子は南面するもの(侍ふ者は北面するもの)で,玉座から見ての左右です。平安京・平城京は唐の長安をまねて作ったのだから、長安もきっとそうでしょう。左大文字山は西にありますが,それは北を向いて送り火を見るからで上記とは関係ありません。
 ところで左大臣と右大臣では左大臣が上位で,原則として皇族か藤原氏しかなれません。右大臣になった人には源実朝,織田信長,さらに豊臣秀頼もいます。ちなみに征夷大将軍は律令制度ではずっと下位の臨時職です。

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左右逆?

kamoRiver

 
 京都の地図を見て左に右京区,右に左京区があるのを不思議に感じたことはありませんか。平安神宮の「右近の橘,左近の桜」も同じですね。これは京都だけでなく奈良の都もそうです。内裏では左大臣,右大臣,左大将,右大将,左馬頭,右馬頭もこの配置で並んでいました。おひな様はえ~と忘れた。ともあれ左が東,右が西というのは地図と逆です。地図の方向は日本だけでなく中国でもギリシアでも共通です。たぶん北半球に住んでいる民族はみな同じ感覚でしょう。ではナゼ・・・?答えは次回

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四条通

四条通

 今日と明日は四条通りは数十万人の賑わいになるそうです。ところで四条通りは八坂神社から松尾大社まで約10km,平安京造営時のままです。他の通りは秀吉時代に整備されたものですが。しかも四条通りは奇しくも ちょうど北緯35度上にあり,その誤差は約400mです。上記の両神社は都が来る前から存在し(創建は不明)ていますから,これらの神社を建てるとき,北緯を測ったのでしょうか?当時どんな測量技術があったのでしょうか?、

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京都昔話(タマヨリヒメ)

フィクションを続けます。
 賀茂川工事は大変で、何回も失敗・中断しました。盆地の中心部に定住することは難しいことでした。そこで人々は川に源流にいます水の神のところへ若い娘を遣わすことにしました。選ばれたのはタマヨリヒメ,彼女は黄色い船に乗り川を遡っていきました。北山の山中で水の神に会った場所は貴船と呼ばれるようになり,人々はそこに神社を作り水神を祭りました。その後,治水工事は順調に進んだようです。旧賀茂川の流れがよどんでいた場所は池に改造されました。それは堀川御池の西にある神泉苑すなわち御池です。なおタマヨリヒメは水神の巫女(妻)となりました。神武天皇の母親もタマヨリヒメですが同名異人です。

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京都昔話(賀茂川治水)

これはフィクションです。
 むかしむかし,といっても最後の氷期が終わった約10,000年前ですが,京都盆地にも人が住み始めました。当時は地球全体の気温が高く,海面は今より数m高くて,大阪はまだ地上になかったころです。京都盆地には3つの川が流れていました。西に桂川,中央に賀茂川(堀川),東に高野鴨川。ただし決まった水路はなくて,大雨の後氾濫はアタリマエでした。人々は盆地の周辺に住んで,自然の木の実や魚を食べていました。こんな時代は数千年続きましたが,やがて植物を栽培し食料を確保し生活を安定させる術を知り,農業を始めました。そのためには治水工事が必要で,川の流れを変えようと言うことになりました。
賀茂川治水は何回も失敗しながら,何百年もかけて行われ,平安京造営ころまで続けられたのでしょう。

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賀茂川と鴨川

kamoRiver

 鴨川は出町柳から四条まではまっすぐですが,それより南ではやや西へ曲がっています。ところが賀茂川はほとんど直線的で,これは学生時代から不思議に思っていました。どうみても人工的くさいですね。一方今出川を東西に走ると堀川辺りが最も低い。これらをあわせて考えると、もともと賀茂川は上賀茂あたりから堀川に沿って南に流れていたのを東へ曲げて、高野川と合流させた・・・らしいです。いつころって、もちろん平安京造営のころです。堀川に架かる橋といえば一条戻り橋ですが,1000年以上も同じ位置にあり,かつてはその下に水が流れていた・・・

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空海、最澄 :アインシュタイン、ボーア

 比叡山に延暦寺を建てたのは最澄で、東寺は空海、この二人はライバルですね。スゴイ天才としては空海のほうが数枚も上手でしょう。真言密教はほとんど一人で作り上げた。しかし彼には弟子らしい弟子はいません。一方天台密教は最澄が優秀な弟子たちと作り上げたもので、後世、比叡山からは法然、親鸞、日蓮、道元なども出てきて、教育者としては最澄が上かな。20世紀前半の2大物理学者といえば、アインシュタインとボーアですが、この二人も同じような関係ですね。

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比叡山

比叡山

 京滋の名山を鴨川校からの撮りました。京都のどこからも見れるのになかなかいいアングルがありません。比叡山頂は大津市ですが、眺めるのは京都側からのほうがいいですね。今朝「テッペンカケタカ、kekyokekyo」という鳴声を聞きました。ホトトギスとウグイスらしい。猿、兎、鹿なども出てきますから夜間運転には要注意です。

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