との話を聞きました。な~る、この方が大鏡の記述によく合う。
安倍晴明の旧宅は西洞院土御門にあったと�… on Twitpic
暖かくなったら御所から土御門大路を歩いてみよう。
参考ページ
安倍晴明
「古代史」カテゴリーアーカイブ
☆中秋の名月4
ところで 『竹取物語』の舞台はどこでしょうか?京都府南部(長岡京市,八幡市,京田辺市),奈良県広陵町,富士市などの候補がありますが,飛鳥藤原京に近いことから広陵町が有力になってきます。洛西・長岡・八幡の竹林は有名ですが、飛鳥時代にはなかったそうです。
また『竹取物語』の作者は誰か?空海,源順,紀貫之,紀長谷雄・・・多数の候補者が上がっていますが,藤原不比等を嘲笑っているからには,藤原氏に恨みがあり,仏教・道教・漢籍・和歌などに精通し,もちろん文才もある人でしょう。そこで紀貫之(866?-945?)が最有力候補になっているそうです。紀氏は古来の名族で,彼は『古今和歌集』の編者,『土佐日記』の作者としては有名ですが,位は従五位上-木工権頭(いわば営繕課長)という冷や飯食いだったそうです。
こんな素晴らしいフィクションを創りだすとはやっぱ天才ですね。もちろん世界最古の空想物語です。
☆中秋の名月2
実は竹取物語とは,童話でもSFでもなく反権力風刺小説なのです。成立年,作者とも不明ですが『源氏物語』に紹介されていることから平安初期の作品であることは確かです。問題はかぐや姫に求婚する5人の公達で,
阿倍御主人(あべのみうし635-703:右大臣),
大伴御行(おおとものみゆき646-701:大納言),
石上麻呂(いそのかみのまろ640-717:中納言)は飛鳥時代の実在の人物です。また
石作皇子(いしづくりのみこ)のモデルは多治比嶋(624-701:左大臣),
車持皇子(くらもちのみこ)のモデルはなんと藤原不比等(659-720:右大臣)
だとすでに江戸時代から言われています。
かぐや姫はこの5人の公達にプロポーズを受ける条件として,噂にしか聞いたことがなく,手に入れるのは非常に困難な珍しい宝物を持ってくるようにと無理難題を吹っ掛け,この高位高官たちの失敗を嘲笑っていますね。さらに帝からの入内命令にも従わず,最後には武力にも屈せず故郷の月へ還ってしまうというたくましい女性なのです。かぐや姫は天上で罪を犯し地上に遣られ,それが許され月へ戻るわけですが,これは左遷追放されたけど後年恩赦か何かで都に戻られた公家のようです。そういえば光源氏も一時左遷されていますね。
☆歴史上の推定都市人口
面白いサイトを見つけました。BC7000年からの都市の人口ランキングです。紀元前はマユツバだが、9世紀から19世紀初まで京都はずっとベスト10に入っており、3位になったこともあるそうな。もちろんヨーロッパの町よりずっと大きい。また1600年と言えば関ヶ原の戦いの年ですが、ベスト5に京都と大坂が入っています!最大の都市となったのはバグダッド、ローマ、長安、コンスタンティノポリス(イスタンブル)、杭州、北京などなど。やはり中国が多いですね。19世紀後半でやっとロンドンがでてきます。
ここ
☆安倍晴明の見た天変
安倍晴明の見た天変とは何でしょう?少なくとも5つはあります。
歳星天変 (973)
皆既日食 (975)
花山帝退位の天変 (986)
熒惑星事件 (988)
大彗星出現 (989)
第3の事件を経て,65歳の晴明は公私ともに仕事のオファーは増え,位階も昇進していきます。40歳までは無名で、50歳過ぎてやっと役職につき、65歳になってから藤原氏中枢と密着して出世していき、84歳の天寿を全うする。やはりただ者ではないですね。がんばれ、60代!また第3の事件は「象徴天皇制・摂政関白制の確立」という日本史にとって非常に重要な天変だったといえます。図はその事件を取り巻く人々です。詳しくはPDFをここからダウンロードしてお読みください。
☆歴士のつぶやき~もしも3
世界最大最強の国は20世紀のアメリカでも19世紀のイギリスでもなく、13世紀のモンゴルですね。ヒマラヤ以北朝鮮半島から東ヨーロッパまでを領有し、全世界の人口の2/3を抑えていたそうです。日本は2回来襲にあいましたが、台風(いわゆる神風)のおかげで助かった。モンゴルは日本へ来る20年前にヨーロッパに攻め込んでいます。陸続きなので騎馬部隊は向う所敵なし。ワールシュタットでドイツポーランド騎士団を破り、ハンガリーの都を落とし、いよいよオーストリア帝国の首都ウィーンへ迫ります。そしてその次はローマ・・。
ところがその時になってモンゴル勢は急に引き上げていきました。大ハーンであるオゴタイ
(チンギスハーンの次)の急死のため後継者を決めるためです。これでヨーロッパは助かった、もしもオゴタイの急死がなかったら、いやそれを知らずに引き上げていなかったら、ヨーロッパは壊滅状態に陥り、ルネッサンスも海外進出(侵略)もなかったかも?
それとも当時のヨーロッパは貧しかったので、略奪するものがないとして、ペルシア、トルコへ向かったかも。
☆歴士のつぶやき~もしも2
歴史にとって「もしも・・・・」というのはタブーだと聞いたことがあります。有名な「もしも」は「もしもクレオパトラの鼻がもう少し低かったら・・・」でしょうが、過去を変えることはできないので、このような仮定は無駄です。しかし思いめぐらすことは楽しい。
そこでもし関ヶ原で小早川秀秋が寝返りしなかったら・・・さてどうなっていたでしょうか?
多分西軍が勝っていたでしょう。もともと兵力は五分五分で、大部分は勝ち馬に乗ろうとする日和見です。しかし家康は戦死せず東国で再起を図る、毛利は西日本は制覇できても幕府を開く力はない、秀頼は大坂城にいるが名目的上様で豊臣家はまとまらず。ということで群雄割拠時代に戻るでしょうね。そして強力な幕府はできず、日本は伊達、上杉、徳川、前田、豊臣、毛利、島津などいくつかの雄藩併存ということになった、と日本史の教科書に書かれるのでは???
歴女さんも勝手に歴史を書き換えてみませんか
☆歴士のつぶやき~もしも1
昔の話ですが英作文の問題で「もし、コロンブスが船出しなかったら?」という問題がありました。答えは自分で考えて英訳するわけです。その先生の正解はアメリカ大陸は誰かが発見していただろうということだったような。
「もしナポレオンがいなかったら、ロシア遠征は誰かほかの人がやっただろう」
「もし信長、秀吉、家康がいなかったら、誰かほかの人が天下統一しただろう」
「もしアインシュタインがいなかったら、相対性理論は誰かほかの人が発見しただろう」
でも
「もしモーツアルトがいなかったら、誰かほかの人が・・・」そりゃ無理でしょう。
☆曹操の墓
見つかったそうです。
河南の墳墓「曹操の墓」と断定…遺骨を確認・副葬品の数々も(サーチナ) – Yahoo!ニュース
三国志演義で曹操は、漢の皇室を脅かし天下をねらう「冷酷無慈悲な敵役(かたきやく)」として描かれている。しかし実際には「すばらしい能力の持ち主で、新しい時代の到来を目指した人物」などの評価が定着している。
☆異説竹取物語
竹取物語は童話でもSFでもなく、反権力風刺小説と思えてきました。問題はかぐや姫に求婚する5人の公達のことで、阿倍御主人、大伴御行、石上麻呂は実在の人物で、石作皇子のモデルは多治比嶋、車持皇子のモデルはなんと藤原不比等だそうです。そのうちの最も悪玉は車持皇子です。彼女はこの5人に無理難題を吹っ掛け退散させ、この高位高官たちの失敗を嘲笑っていますね。さらに帝からの入内命令にも従わず、最後には武力にも屈せず故郷の月へ帰ってしまうというたくましい女性です。この作者は不明で空海、源順、紀貫之・・・多数の候補者がいますが、反藤原の知識人として有力視されているのが紀貫之。そういえば彼のいとこの紀友則の
「久方の ひかりのどけき 春の日に しづ心なく 花のちるらむ」(百人一首)は
「桜の花が散るのを悲しんでいるというより、その後の藤(原)の季節になる」ことを嫌がっている歌のように思えます。
かぐや姫は天上で罪を犯し地上に遣られ、それが許され月へ戻るわけですが、これは左遷追放されたけど都の戻れた公家のことを表しているのでしょう。光源氏も一時左遷されていますね
☆竹取物語 | ほしぞら.・古代史・コンピュータ