これやこの 行くも帰るも 別れては        —田園から深山幽谷へと

ビトー カワサキ Z2

週末の夕方,京都市内からぐるりと回って帰還する,ほんの数時間のライドである。

京都から大津に抜ける国道1号線,小倉百人一首はじめ多くの歌に詠まれている逢坂山(逢坂の関)から大津に出て,そして琵琶湖西岸を北上すつ。湖西道路の終わるところ,安曇川の手前で左折すると,山を越えて朽木に至る林道に至る。林道に入る最後の平地には,まだ田園が広がり,そこには地元の人以外は誰もいない。一面の緑,水田地帯である。

ビトー カワサキ Z2

そこから朽木方面へ抜ける林道に入ると,道路は舗装されているものの一車線。がけ崩れの石や岩が路上に散らばったままになっている。低速でヒョイヒョイと路上の石を避けながら,曲がりくねった山道を登っていくと,峠付近に長いトンネルがある。照明が無いトンネルが最後のところでカーブになっており,滋賀県側から入ると石清水に濡れた長い闇の中を走りぬけることになる。
トンネルを抜けると,そこは,ちょっとした深山幽谷の光景が広がる。

ビトー カワサキ Z2

そのような小道を駆け巡るためにも,美藤さんのZ2は素晴らしい。小回りが利く上に,100km+の速度まで瞬時に加速し,嗚呼日本の山野にはこれこそ,と思うのだ。

技術的には,元来バランスの良いオリジナル車体を,さらに高度にバランスよく仕立て上げる,ということだろう。APのブレーキの減速加速度と全くシンクロして,ショックが沈み込んでいく。アクセルの開度に呼応して回転が上昇する。5000回転あたりからは空冷カワサキ独自の交響曲である。集合管の響きは日本演歌のコブシかカンツォーネか。掻き立てられ,盛り上がる。エンジンが唄い,車体はワインディングを左右に踊る。

自分でバイクをあれこれいじってみるとわかるのだが,一見あまり刺激が無いようにも見えながら,高度に各パーツのバランスがとれた車体を造ることはとても難しい。大抵の場合は,どこかが突出していて,それが刺激的であることはあっても,全体としてのまとまりに欠けるということが多いのである。市井のマニアどころか,俄かプロショップにも到底達することのできないレベルを,BitoR&Dは実現していると思う。やり過ぎもなく,足らないものもない。ちょうど良い,ということか。

これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関

  蝉丸(平安時代の歌人)
  小倉百人一首より

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カワサキ 空冷Z1Z2 カスタムのポイント

ビトー カワサキ Z2

カスタムのポイントを思いつくまま列挙。

エンジン
 空冷Zのエンジンは,オーソドックスな並列4気筒ツインカムエンジンである。チューンすると,凄まじい迫力と官能的な振動やサウンドを発するようになるが,ノーマルでもまったく悪くない。カスタムする場合は,最初から1000ccのモデルを選ぶと,ボーリング費用も廉くつく。バルブの当たり面を調整し,カムチェーンの弛みを取るだけで,他に比類ないエンジンを堪能できる。

キャブ
FCRが一番良いと思う。少々高価であるが,いたずらに大径を選らばず,小径で十分だ。1100ccを境に,それより小排気量なら33パイ,それより大排気量なら35パイで良い。

ショック
これは前後ともきちんとしたものにしたい。オリジナルなら,きちんとオーバーホールする。これもいたずらにハードなものにせず,しなやかに動く状態を維持する。
フロントフォークは38パイあたりがちょうど良いだろう。

ホイール
ノーマルの鉄リムは重いので,アルミリムに交換するか,キャスト・マグネシウムを奢る。当時物にこだわる気持ちは筆者にもあるが,走りのためのここ一番の勝負バイクは,現代のパーツを優先する。

ブレーキ
ノーマルのブレーキはプアなので,最低限度としてAPの2ポッドやブレンボの鋳物の2ポッドあたりに交換したい。リアも当然ディスクブレーキにしたい。ブレーキというのは,止まるためのものではなくて,最適のスピードに減速するための機能がある。指一本の力で微調整できることがポイントである。

マフラー
集合管に限る。ノーマル4本マフラーのクラッシックな音とその姿態は賞賛するが,実際に走るという段になると,ノーマルよりも軽い集合管を。空冷Zの集合管の響きは心にビンビン響いてくる。ヨシムラの手曲げ鉄管が有名だが,リプロもので充分だし,チタンを奢れば車体の振り回しがとても軽くなる。音質は,鉄のマフラーが最上である。

そこそこ費用はかかるけれども,四輪車(特に外車)の改造に比べると廉いものだろう。基本は,ノーマルでも良いから,きちんとオーバーホールすることである。

一台のZは,人生の良き相棒となる。無茶な改造は極力控えて,必要なところを良いものに交換して,大切に維持していきたいものだ。

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Z1000R,いわゆるJ系について

Z1000R ローソンレプリカ Z1100R

空冷カワサキ,その中でもローソンレプリカ系は,歴史に残る名車である。Z2が高度経済成長の日本の大衆路線の最高峰,Z1が外国通にとっての憧れの最高峰とすると,サーキット・エンスー系の最高峰は,ローソンレプリカ,Z1000Rだった。

二本サスの伝統的なフォルムで,フレームは軽量化された肉薄パイプ。空冷Zの発展型のJ系エンジンを搭載。カムはZ1000Jよりは多少ハイ。カーカーのマフラーが標準で付いてくる。
ノーマルのままでも現代の道路で十分走れる。Z1Z2系のブレーキは今となっては多少プアだが,J系は,とにかく,ストック状態で,きちんとまとまっているのである。Z1000Rは現在は高値で取引されているが,あまり知られていないJ系はマーケットに結構残っていて,どちらかと言えば廉価である。最高値のZ1000R1と,同程度に希少なZ1100R,そして,Z1000R2の人気が高くて,他はあまり売れないけれども,安楽に走れて長距離で疲労しない現代のバイクにくらべると,乗ることがスポーツであることを教えてもらえるだろう。

写真は,Z1100R。Bitoチューン,異次元の彼方へと飛んでいける。美藤さんのチューンは素晴らしい。

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どちらがヨロシイ?

どちらがお好みでしょ?乞うご意見。

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山野・・・京都の郊外③

Z1000R ninjya Kawasaki

そして,峠の上に至る。
この峠道も林道だから,林業関係者が時折通る程度で,対向車に会うことなどほとんど無い。誰もいない。眼下遠くには,村がひとつ見えるだけ。あとは空と山と森。空気が綺麗で風が心地よい。標高が高いので,涼しいところだから,よくこの峠には涼みに行く。

Z1000R ninjya Kawasaki

 そして夕暮れ前。枝葉の間から,夕暮の空を仰ぎ,眼の前に続く林道を見ると,杉林の中はすでに薄暗い。

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山野・・・京都の郊外②

Z1000R ninjya Kawasaki

国道から山道に入ると京都の名産,北山杉。近年花粉症の原因となっている杉の植林であるが,まっすぐに空に向かって林立する様は美しい。こういった林道に入ると,対向車に会うこともほとんど無い。
山間に排気音が木霊して,心沸き立ち,舞い上がる。

Z1000R ninjya Kawasaki

 Z1100R カスタム。コスワース76mmピストンで1197cc。圧縮比は11.0:1である。キャブはFCR37パイ。この組み合わせだと,排気音も迫力を増すし,トルクが出る。体重80キロ弱の筆者にとっては,丁度良い。体重が軽い人にとっては,すこし大きすぎるかもしれない。
足回りはBito R&Dの名品マグタンと同フロントフォーク&リアショック。そして,同スイングアーム。ブレーキはAPロッキード320パイ。これがまた,すこぶる良い。ブレーキの効くのと同じ速度でショックが沈み込む。極めて自然に,ノーズがダイブするのだ。こういうカスタムにハマってしまうと,いくらノーマルが美しいと思っていても,それは床の間の飾り物と化し,走りに行く時は,これになる。極端な話,走っている間,格好なんて気にしなくなってくる。それほど空冷カワサキのチューンドは,キャッほー!なバイクになるんだよ。

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山野・・・京都の郊外

空冷カワサキ Z1000R


ライムグリーンと,京都盆地を取り囲むグリーン。京都は,ですね,市内から30分も走ると,こういう風景なんですよ。

若い頃,東京に住んでいた。車も持って行っていたし,友達のバイクを借りて走りに行くことができる状態にあった。しかし,その環境が無かった。走りに行くと言っても,あの遠い箱根か,深夜の首都高しかない。平日も休日も,日中は渋滞に苛まれる。なんのためのエンジンかと,よく想ったものだ。
全日本のライダーとドライバーとそれらの卵たちよ,「走るために生活」するなら,京都だと言いたいね。

日中は暑いし,道も混んでいるから,休日の夕方4時半,皆が京都に帰ってくる頃から,休日出勤していた職場を出て,30分後の写真。

空冷 カワサキ Z1000R GPZ900R ニンジャ

グリーンの中を,ライムグリーンで走れるところが,ミソ。エコからはほど遠いけれども,四輪よりは,排出CO2量は少ないでしょ・・・。


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私大に淘汰の波

大学を受験し,合格したと喜ぶ(喜んだ)人たちには悪いが,今の日本で,「テストを受けて大学を受験」しているのは全体の4割強しかおらず,その内,受ければ受かる大学が何割あるかというと,実は,かなり,ある。多くの大学は,受ければ合格するのがあたりまえの状態になっているのだ。

そして一方で,来年度学生募集を停止する私立大学が相次いでいる。大学淘汰の時代が、いよいよ現実化しつつある。下の毎日jpの記事で,受験生が,「「なくなる大学を卒業して就職先があるのか」と心配しているが,「将来なくなる大学」に行くと,「将来,学歴を失う」ことになるということが,実は問題なのだ。ある大学を卒業しました~と言っても,ドコ?ソレ?と言われるということである。卒業証明を取ろうと思っても,それが取れない可能性もある。

・・・それでも,「とりあえず大学へ行こう」とする人が,今なお,あまりにも多いのには驚くばかりだ。就職があるかどうかが心配だと言いながら,そういう「なくなる大学」に行くのである。

しかし,そういった「とりあえず大学=なくなる大学」を卒業して,昔の中高卒の仕事に就いて,「就職できた」と喜んでいるのだから,平和なものだ。だから,まあ,将来学歴を失ったとしても,それで,別に良いのか・・。

つまり,「大学を卒業して,大卒の仕事に就く」,ということとは異なる次元にある世界の「大学=とりあえず大学=なくなる大学」の問題なのだろう。では,そういった「大学」って,いったい何なんだろうか,ね?われわれの国税から莫大な補助金がでているのだが??

—毎日jpより引用—-
新教育の森:学生募集停止、私大に淘汰の波 4年制も苦境…18歳人口減り経営困難に{/link}
http://mainichi.jp/life/edu/news/20090711ddm090100117000c.html

 10年度から学生募集を停止する私立大学が相次いでいる。定員割れによる4年制私大の募集停止や破綻は過去2例しかないが、今年度は株式会社立大を含め、既に5件。「大学淘汰」の時代がついに現実化した。【井上俊樹】

 郊外の丘に広がる緑豊かなキャンパスは閑散としていた。4月に学生募集停止を発表した三重県松阪市の三重中京大。90年代後半まで2000人以上が通ったが、現在は4学年で計657人。今春の入学者は200人の定員に対し155人だった。4月に入学したばかりの男子学生(19)は「なくなる大学を卒業して就職先があるのか、それが一番心配」と不安を漏らす。

 ◆市の要請で開学したが

 82年、市の要請に応え、県内2番目の私大「松阪大」として開学した。だが、99年に初めて定員割れした後は、毎年のように入学定員を減らしても定員に達しなかった。入学者の大半を占める県内の18歳はピーク時(91年前後)の約3万人から1万人以上減少。05年に現校名に変更するなど打開策も図ったが、名古屋市から特急で1時間以上かかる立地条件では限界がある。

 01年度以降は毎年単年度赤字を計上。好調時の蓄えで5億円余りの繰越金があるが、このまま赤字が続けば数年で底をつく。同時に募集停止する短大は累積赤字が既に約17億円。大学側は「責任を持って在校生を送り出せるうちに決断した」(広報課)と説明し、在校生が卒業する4年後に閉校する方針だ。

 ◆規制緩和で校数増え

 国内の18歳人口は92年の約205万人をピークに減少し続け、09年は約121万人。一方、18歳人口や進学率などを考慮して大学・短大の設置をコントロールしてきた国は、90年代以降徐々に規制を緩和し、03年度には認可制から届け出制に改めた。そうした流れの中で、一足早く淘汰が始まった短大や専門学校などからの参入が相次ぎ、大学進学率が低い地域では地方自治体が誘致する形で新しい大学が誕生。02年末には構造改革特区を利用した株式会社立の大学も容認した。先月18日に募集停止を発表したLEC東京リーガルマインド大(東京都千代田区)もその一つだ。

 ◆47%が定員に満たず

 文部科学省によると、国公立も含め4年制大は89年度の499校から08年度は765校に増えた。一方、日本私立学校振興・共済事業団の調査では、入学定員に達しなかった4年制私大は98年度の8%(35校)から08年度47・1%(266校)と、ほぼ2校に1校に拡大。定員の50%にも満たない大学が29校に上った。また、07年度は4年制大を持つ学校法人の34・5%が赤字で、中でも学生数2000人未満の地方大学は221校中113校(51・1%)が赤字だった。

 大手予備校、河合塾の調査では、首都圏13、関西8の有力21私大で09年度の私立大志願者の49%を占めた。その多くが学部新設などで定員を大幅に増やしており、地方大学との格差はますます広がるばかりだ。

 同事業団は「今後も学生募集を停止する大学がないとは言えない。ただ、無理に募集を続けて在校生がいるうちに経営破綻するケースだけは避けなければならない」(私学情報室)と話している。

 ◇合併、学部転換で生き残り ニーズ見極めないとリスクも
 生き残りをかけた合従連衡も始まっている。08年4月には慶応義塾大(東京都港区)と共立薬科大(同)が経営統合し、1952年の日本医科大と日本獣医畜産大以来56年ぶりに4年制私大を持つ学校法人同士の合併が実現した。

 薬学部は近年の新設ラッシュで定員が増える一方、06年度に4年制から6年制に延長された影響で志願者が減少傾向にあり、共立薬科大側に危機感があった。また、09年4月には、関西学院大(兵庫県西宮市)が定員割れしていた聖和大(同)を吸収合併した。

 生き残り策として、より一般的なのが「学生が集まる」学部への衣替えだ。中でも目立つのが、入学定員の充足率が約110%(08年度)と安定的な看護学部・学科への転換で、来年度の学部設置を文部科学省に申請している16校中7校が計画。この中には美術学科を廃止して参入する芸術系の大学もある。

 こうした「看板の掛け替え」にはリスクも伴う。00年にスタートした介護保険制度を見据えて急増した福祉系学部の場合は、就職先となる福祉現場の過酷な実態が知られるにつれて敬遠され、08年度の入学定員充足率は約92%と前年度より8ポイント近くダウン。再び別の学部に転換する大学も珍しくない。

 私大経営に詳しい東京大大学院の両角亜希子講師(大学経営論)は「学生のニーズに合わせて変えていくことは重要だが、例えば看護学部にしてもその大学がある地域で本当にニーズがあるのかよく見極める必要がある。大学統合も理念や目指す方向性が違うとうまくいかない可能性もある」と指摘している。

 ◇中教審で「適正規模」議論 補助金に激変緩和策検討
 中央教育審議会大学分科会は現在、将来的な大学の「適正規模」を審議している。先月15日にまとめた第1次報告書では、03年度に緩和した大学の設置認可を厳格化するよう求めたほか、生き残りのために大学が統合や連携をする際に国がサポートすることなども提言した。

 中教審の議論を踏まえ、文部科学省は、大学が自主的に定員を減らしても一定期間は削減前の補助金額を受けられるようにする激変緩和策を検討しており、早ければ来年度にも実施する方針だ。

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 ◇10年度から学生募集を停止する私立大学◇
大学名            所在地     収容定員 学生数   充足率

三重中京大          三重県松阪市   800 657 82.1%

愛知新城大谷大        愛知県新城市   400 128 32.0%

神戸ファッション造形大    兵庫県明石市   400 165 41.3%

聖トマス大          兵庫県尼崎市  1042 568 54.5%

LEC東京リーガルマインド大 東京都千代田区  700 226 32.3%

 ※発表順。定員・学生数は1~4年生の合計(通信制は除く)。LEC大は株式会社立大。

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Z1 プロトタイプ(先行試作車)その②

Z1 プロトタイプ(先行試作車)その②

Z1プロトタイプの特徴を記しておきたい。プロトタイプは,設計のとおりに制作されたものである。モニタリングのために,マスコミやディーラーに配布され,各方面からの意見を基に改良され,そして,市販車の仕様が決定された。

Z1 プロトタイプ



エンジンの特徴を記す。

・背の低いシリンダースタッドナット
これは,市販の最初期型に継承された。

・シリンダーヘッドから直接生えているブローバイ
エンジンのエアインテークには,ブローバイが斜め方向に直接生えている。これは,後ほど,真下に向いてブローバイが生えているようになり,次に,ゴム製のインシュレーターから生えるようになった。
ヘッドから直接ブローバイが生えているよりも,インシュレータから出ている方が,交換しやすいから,そうなったのだろう。

・スピードメータケーブル取り出し部分
エンジンのスピードメーター取り出し口のアタッチメントの,プラスネジの位置が異なっている。これはプロトタイプだけの特徴で,市販車の角度が変わったのは,何故なのかわからないが,おそらく,オイル漏れ対策であろう。

Z1 プロトタイプ



いずれも,Z1プロトタイプ(試作車)の特徴である。

ガスケットは一枚もの。
砂型鋳物の造型,黒塗りとフィンのヤスリのかけ方などにも注目のこと。

Z1 プロトタイプ



あとは,スピードメータの20の位置である。プロトタイプでは,20の中ほどにバーが来ているが,その後の最初期型では20の「2」の下に合うようになり,さらに,また,プロトタイプのような表示になった。

下の写真,左が,最初期型市販車のメーター。右は,それ以降のもの。
20の数字とその左下のバーに注目。

初期型メーター Z1
後期型メーター Z1



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Z1 プロトタイプ(先行試作車)

Z1 プロトタイプ

 Z1プロトタイプ。試作車である。タンクがロングピッチであることに注目。リアショックが,発売された改良車とは異なり,立っている。すなわち,スイングアームが短い。テールカウルの三本ラインも,すこし異なる。

1972年,昭和47年,カワサキは,Z1を開発し,同72年5月に20台,7月に29台,合計49台が生産されて,世界中のマスコミ・プレスやディーラーに配布された。カワサキは,それら先行試作車のデータを集めて,さらに改良し販売を開始した。

その後,正規発売になったときに配布されたカタログは,大判の分厚いものであるが,そこにシルエットのように掲載されているZ1火の玉ファイアボールは,まぎれもなく,ロングピッチエンブレムのタンクである。

これが,Z1プロトタイプから最初期型に至る推移における「謎」のひとつで,プロトタイプのロングピッチタンクとは,3種類ある内プレスタンクのどれなのかが,解らないのだ。試作車であるから,最初期のショートピッチタンクと同じものに,ロングピッチのエンブレムを「装着してみた」だけなのだとは思うのだが,このときのロングピッチの意匠案が,Z1-Aで復活したのだろうか。

Z1 プロトタイプ

これら試作車は,フレーム番号がZ1F-900**となっており,5桁表示の9万番台である。エンジンも,もちろん,同じくゼロから始まるのではない90000番台だ。一般販売車両の9万番台は,先頭にゼロがつき,6桁の9万番台である。

Z1 プロトタイプ
Z1 プロトタイプ




その後,プロトタイプで蓄積された意見やノウハウを基に,試作車ではない,「1972年最初期型」が発売されたのである。世界中で絶賛され,多くのレースで連戦連勝を重ねた,日本の川崎重工が生んだ名車,Z1である。

写真はプロトタイプの10番台である。

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