滋賀歩き ~崇福寺跡

志賀の大仏からさらに登っていくと、崇福寺跡があります。
近江神宮から比叡山延暦寺方面へと向かう東海自然歩道のルートともなっていますが、現在は令和3年度の豪雨により崩落危険箇所があるとのことで、崇福寺より先は通行止め、迂回ルートが案内されています。
通行止めの手前、歩道から山を少し上がったところに崇福寺の金堂と講堂の跡があります。

崇福寺は、近江大津宮とも縁が深く、天智天皇が建立したと伝えられています。
『扶桑略記』には、667年に天智天皇が大津宮で寝ていると、夜半に法師が夢に現れて、乾の方角の山に霊窟があるから早く出て見るようにと言われ、驚いて外に出て彼方の山を見ると、火光が細く昇って火焔があたりを照らしているのが見えた。次の日にそこを尋ねていくと、小さな山寺があり、念仏を唱えている人がいて、ここは古く仙人の霊窟があったところだという。そして翌年に崇福寺を建てた、という話が出てきます。
大津宮が廃都となった後も繁栄をつづけ、平安遷都後も十大寺の一つともされていましたが、次第に衰退し、鎌倉時代には園城寺の管轄下に入ったそうです。

万葉集には、「志賀山寺」という名前で出てきて、「勅穂積皇子遣近江志賀山寺時但馬皇女御作歌一首」として
後れ居て恋ひつつあらずは追い及かむ道の隈廻に標結へ我が背 (巻二)
とあります。

礎石がよく残っていて、在りし日の建物の様子が浮かんでくるように感じられます。
ただし、実はこれらは桓武天皇によって建立された梵釈寺であり、北・中の尾根上にある建物跡を崇福寺とする説もあるそうです。

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