日本の科学技術6

6)雲太、和二、京三
 平安初期に源為憲(頼朝・義経とは無関係の源氏)という人が書いた『口遊』という公家の子供達の教科書のような書物があります。その中にその大きさの順位を表すゴロ合わせとして「雲太、和二、京三」と書かれているそうです。京三とは京の大極殿で、すでに平安時代に焼失してしまいましたが、今の平安神宮の本殿はそのミニチュア版で、あの約2倍も大きかったそうです。和二とは大和の東大寺大仏殿で、源平争乱時代と戦国時代と2回ほど戦焼しました。現在ものは江戸時代にできたものですが、奈良時代にできたときも高さ十五丈(約45m)で今とほぼ同じです。それよりも大きい雲太とは出雲大社のことで、平安時代には45m以上だったことになります。
 現在の本殿は8丈(およそ24m)で、これも神社としては飛びぬけて大きい(伊勢神宮は9m)ですが、かつての本殿は現在よりもはるかに高く、中古には16丈(48m)、上古には32丈(およそ96m)であったという伝承があるそうです。
 創建は神代、すなわち不明ですから、上古とはいつのことかわかりませんが、奈良時代より前でしょう。2000年の発掘で発見された遺跡から、48mの建物の復元図が作成されました。そのイラストは出雲大社建造の謎を参照。96mは怪しいとしても,平安初期の48mはホントらしく、これは15階建てのビルに匹敵する高さです。出雲には朝廷よりも仏教よりも大切なものがあって,人々はそれを守ってきたのでしょう。でもなぜどうやって造ったのか?

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