今日は節分、明日は立春

明日は立春,今日は節分。
太巻きを食べました。でも本来すしとも鬼とも関係ありません。暦学的には地球が太陽の周りを回る途中、春分から315度進んだ日が立春で、その前日が節分です。立春は冬至と春分の中間で、寒が明けてそろそろ春がやってくるという時で、年の始めと考えられていました。したがって節分はいわば大晦日に当たるのです。
なぜ豆をまいて鬼を払うのかって?それは1年の最後の日に厄を除き新年を迎えるということらしい、虎のパンツをはいた鬼は中国から伝ったものでしょうが、豆まきは日本の風習のようですね。さらに太巻きは近年、関西で始まったものでは・・・

参照24節気の求め方

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日本の科学技術6

6)雲太、和二、京三
 平安初期に源為憲(頼朝・義経とは無関係の源氏)という人が書いた『口遊』という公家の子供達の教科書のような書物があります。その中にその大きさの順位を表すゴロ合わせとして「雲太、和二、京三」と書かれているそうです。京三とは京の大極殿で、すでに平安時代に焼失してしまいましたが、今の平安神宮の本殿はそのミニチュア版で、あの約2倍も大きかったそうです。和二とは大和の東大寺大仏殿で、源平争乱時代と戦国時代と2回ほど戦焼しました。現在ものは江戸時代にできたものですが、奈良時代にできたときも高さ十五丈(約45m)で今とほぼ同じです。それよりも大きい雲太とは出雲大社のことで、平安時代には45m以上だったことになります。
 現在の本殿は8丈(およそ24m)で、これも神社としては飛びぬけて大きい(伊勢神宮は9m)ですが、かつての本殿は現在よりもはるかに高く、中古には16丈(48m)、上古には32丈(およそ96m)であったという伝承があるそうです。
 創建は神代、すなわち不明ですから、上古とはいつのことかわかりませんが、奈良時代より前でしょう。2000年の発掘で発見された遺跡から、48mの建物の復元図が作成されました。そのイラストは出雲大社建造の謎を参照。96mは怪しいとしても,平安初期の48mはホントらしく、これは15階建てのビルに匹敵する高さです。出雲には朝廷よりも仏教よりも大切なものがあって,人々はそれを守ってきたのでしょう。でもなぜどうやって造ったのか?

日本の科学技術1 50の手習い 伊能忠敬
日本の科学技術2 自作望遠鏡で観測 国友一貫斎
日本の科学技術3 なにわの精錬所
日本の科学技術4 世界一の鉄砲製造国
日本の科学技術5 平安京の高層建築

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あひみての

昨日食べたピーナッツの袋をよくよく見れば、○○産だった。嗚呼、よけいな物を見てしまった。

逢ひ見てののちの心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり  
百人一首

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