☆17年後の旧正月

かなり先のことで、どうでもいいことなんですが、2027年と2028年には旧正月が日本と中国で1日違ってきます。というのは旧正月の新月が2027年には2月7日0:56に2028年には1月27日0:12に起こり、この瞬間中国では1時間の時差があるのでまだ前日です。したがって春節は1日前、韓国では日本と時差はありませんから日本と同じ日に祝うのでしょうか?
そもそも17年後にまだ新年は旧正月でという習慣が続いているでしょうか?それとも17年後には東アジアでは時差は統一され日本標準時はなくなっているかも?
 中国から暦を輸入したころの日本では、時差と言うことを知らなかったので、洛陽の時刻をそのまま使っていたそうです。

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☆紙の道

紙の道(ペーパーロード) (集英社文庫)


 10年くらい前に買った本が出てきて読んでいます。まだ途中ですが面白い項目を2つばかり紹介します。
古代エジプトアレキサンドリアの図書館には数十万部の蔵書があった。ほとんどパピルス製。これは放火によって焼き尽くされたが、ヨーロッパ人は火を放ったのは7世紀マホメットの後継者ウマルと思っていた。ところが実は389年ローマ皇帝テオドシウスの命を受けたテオフィロス司祭の異教弾圧の結果だった。異端文化は全て抹殺する偏狭さは信じられん。

ヨーロッパ人は紙は15世紀にヨーロッパで作られたと思っていた。実は紀元前2世紀中国(前漢 )で作られ、その200年後に大改良され、流通している。日本には4、5世紀ころ入ってきたらしいが、ヨーロッパ人が知ったのはずっと遅れて12,13世紀。それまで彼等は文字と言うものをあまり必要としなかった。

中華思想は西欧人にもあります・・・

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☆ついに200歳


 ついにでました。戸籍上は1810年(文化7)年生まれの200歳。文化文政の大江戸時代。ナポレオンが皇帝として在位していたころ、ハワイではカメハメハ大王が全島を統一したころ。 名簿管理、データ更新は大変なのですねぇ
長崎・壱岐で200歳「生存」

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☆暑さも和らぐどころか


 今日は暦の上では処暑、暑さも和らぐころなんですが、それどころかTwitterにこんなサイトが紹介されています。あつ~
セクシーなパワポ”は窓際への片道切

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☆速報 木星に小惑星落下(?) 


木星に小惑星などの小天体が衝突した際に生じたとみられる発光現象を熊本市内のアマチュア天文家立川正之さん(52)が21日、観測し、撮影に成功した。木星への小天体衝突は1994年の「シューメーカー・レビー第9彗星(すいせい)」などの例があるが、衝突の瞬間が観測された例は極めて少ないという。(時事通信)
詳しくは

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☆きらめく星たちの秘密実施

TJoyTJOy

  19日午後、イオンモール5FのTJoyシアターで行いました。
暑い中、参加した子供たちは熱心に聞いてシートに記入していました。この会場には豪華なイスがあったのですが、それを取っ払い、レジャーシートを敷いています。
その日も月はきれいに見えたが、彼等はながめたかな。今夜はもっと丸くなっているはずですが、くもってきました。
 日の入り後、西空の一番星は金星で、夜中に東南から昇って来るのは木星です。

 写真は露光不足の失敗ではありません。あえて暗くしました

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☆きらめく星たちの秘密

0819Tjoy

 19日(木)に「イオンモールKYOTO T-ジョイ京都との共催イベント」で宇宙の話をすることとなりました。KCGの天文普及活動も多様性を帯びてきました。小学生ばかり数十名を相手にするのははじめてなんです。でも子供を理科・技術面に向かせるには小学生のうちに刷りこまねば、中学高校になってからでは難しい。
月へ火星へ行って宇宙を眺めてみよう。次の月食(12/21)や日食(再来年5/21)はどんな風に見えるか?金星の満ち欠けは(月ばかりではない)なぜ?
ちなみにこのタイトルをつけたのはボクではありません。

お盆休みはほとんどこれの準備に費やされた

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☆空海の風景4 

空海の風景〈下巻〉 (1975年)

  帰国後の空海は経文翻訳、密教完成、朝廷工作、最澄との対決等々で休みヒマなし。高野山に開山と言うことは何度も登っている(もちろん徒歩で)わけですね、相当な体力です。下巻の後半は最澄との確執に多くの頁が使われているが、正直言ってややダレる。期待したのは曜日、星占い、食べ物など密教以外に彼がもたらしたものについてでしたが、残念ながら書いてなかった。司馬遼さんが生きていたら、手紙を書いて尋ねるところですが・・・。
 空海は高野山で即身成仏、ミイラ化していると一般に言われていますが、実は火葬された、当時の記録もちゃんと残っているそうです。
 彼は真言密教をひとりで完成させた大天才で、彼と並ぶ弟子はいません。逆にライバルの最澄は優秀な弟子たちとの合作で天台仏教を創っていくし、しかも比叡山からは後世も法然親鸞など偉大な僧侶(庶民の仏教・・・いずれまた別項で)も出ています。教育者としては最澄の方を評価したい。

戦国物と違って読み切るのはしんどかった。

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☆空海の風景3


 密教の日編を伝授された空海は急いで帰国します。「もはや学ぶものはない」といって
20年の就学期間をわずか2年で切り上げるのですが、謝金、経文、仏具などで金を使い果したようです。
 帰路は嵐に会わず、博多に着き大宰府に入りますが、京都に戻るまで2年の歳月がかかっています。これも彼独特のやり方で、朝廷が彼を必要とするまで、待機している。実はその間に奈良の大寺などに働きかけて、長安での活躍を吹聴しているみたいです。帝が会いたがっているようにお膳立てを整えてから、入洛するという演出、心憎い。時の帝は、書の達人である嵯峨、専制君主だった父桓武とは大違い。
 唐に渡る前までは無位無名の青年僧だった彼はこの後。嵯峨帝とは終生友人つきあいしています。

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☆空海の風景2


 空海は天才・努力家というだけでなく、実に自己アピールに長けています。登場のタイミングや前準備には脱帽します。
1)遣唐船は福州に漂着し、土地の役人は怪しんで取り合ってくれない。遣唐使藤原なんとかの提出した手紙はへたくそな中国語文章で意味不明らしく無視。一同困っている時、だれかが空海に執筆を依頼しました。彼の書いた文章に田舎役人はびっくりして、長安に報告しやがて、正式に遣唐使一行と待遇され都に向かう。文章作成力は重要です
2)唐で密教の第1人者は恵果という長老です。空海の目的からすると、すぐに訪ねればいいのに、実際に訪問したのは数カ月後、そのとき恵果は空海を大歓待します。空海は都の文人と詩文を交換しながら、自分の評判が恵果に届くのを待っていたようです。しかもその間にサンスクリット語を勉強していたそうです。これを知らないと密教の奥義は理解できない。彼は初めてインド・ヨーロッパ語を学んだ日本人です。
恵果は一目で空海の才能を評価し、自分の後継者と定め、翌日から猛修業。多数の先輩弟子をさしおいてすべてをマスターしたとか。恵果はすでに病身でまもなくなくなりますが、空海は弟子の代表者として弔文を書いています。

3)次回で

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