パプアニューギニアのゴロカ大学に昨年KCGから寄贈されたPCを設置した新設の研究室が『KCG Hasegawa Lab』と命名されて今月オープンした話は以前にこのブログでも記事にしました。
そのゴロカ大学で働く日本人のICTマネージャーの方が投稿したパプアニューギニアの2大紙の一つ『The National』の中にKCGの話もちょっとだけですが登場しています。
翻訳したので,お時間があったら,読んでみてください。
そのNationalの記者のブログでも『KCG Hasegawa Lab』のオープニングの様子が紹介されています。
『Relationship between the University of Goroka and Japan (The National, April 8, 2010)』
ゴロカ大学と日本の交流について
ゴロカ大学ICTマネージャー
ラッセル デカ 原田
1997年にゴロカ大学が設立して以来,延べ17名のJICA(国際協力機構)ボランティアが活動してきました。その17名とは,8名の青年海外協力隊員と9名のシニア海外ボランティアです。彼らの職種や専門は様々で,システム部でのコンピュータ技術をはじめ,理学部での技術職,また日本語教育などです。
私はゴロカ大学に最初に派遣されたボランティアで,ゴロカ大学の旧図書館のオートメーションシステムと学内のコンピュータシステムを立ち上げました。
1997年から1999年の私のボランティアの任期中,ゴロカ大学の教職員や学生をはじめ,ゴロカの人びとにとても面倒を見てもらいました。それは,日本を離れていることを忘れさせるくらい深い付き合いとなりました。
私の母は1999年5月に他界したのですが,生前母がゴロカを訪れたいと言っていたことから,イウフィイウファ村の人びとが村にお墓を作ってはどうかと提案してきました。
ゴロカを初めて訪れる父とともに私は母のお墓を作るために遺灰を持ってゴロカを訪れました。
私の協力隊員としての任期が終了した後も日本政府によりる様々な技術協力や資金協力がJICAを通じて行われました。
例えば,コンピュータや理学部の研究設備や研究機器,図書館の本だななど,教育設備における支援は,2005年で総額1000万キナ(35億円)にもおよんでいます。
JICAがゴロカ大学で日本語教育を開始して以来,多くの学生や職員が「こんにちは」「ありがとう」「さようなら」と日本語の基礎を学んでいます。
2000年10月には,私の無二のラグビー友達が東ハイランド州とガルフ州の境界付近のジャングルで亡くなるという出来事がありました。
イウフィイウファ村の人びとと私は小型飛行機とスピードボートを借りて彼の遺体を捜し出し,ゴロカへ持ち帰りました。彼の家族は,とても喜び私に彼の名前であったラッセルとい名前を私に付けました。
私の青年海外協力隊の任期の終了後,イウフィイウファ村の人びとやゴロカの人びとに恩返しがしたいと思っていました。
2001年に日本の家族は村のイウフィイウファ村の青年を日本の生活を学ばせるために日本へ招待しました。
既に日本へ招待した青年は3名になりました。そのうちの一人であるポール・デビット・ボロナはなくなった友人ラッセルの弟で2002年から2005年まで日本で日本の文化や社会を学びながら,日本で過ごしました。彼はパプアニューギニアへ帰国後,首都ポートモレスビーのPNGジャパンという旅行会社に就職し,ツアーガイドになりました。もちろん今では,流暢に日本語を話すことができます。
2006年5月,私はパプアニューギニアの女性(ガルフ州とモロべ州出身の両親の娘)と結婚し,今では18歳の養子を含め2人の息子がいます。
昨年は,生後3カ月の息子を原因不明の病気で亡くすという悲しい出来事がありました。彼は私の母と親友ラッセルのお墓の隣に眠っています。
2007年12月から,ゴロカ大学のコンピュータ環境を改善すべく,ICTマネージャーとしてゴロカ大学で働き始めました。
昨年,日本の京都コンピュータ学院から学校で使用した53台のコンピュータを寄贈してもらい,学生たちに提供しています。そして,新しい大学院生用のコンピュータ室にはKCGラボと名づけられました。
ゴロカ大学はパプアニューギニアで唯一の国立教員養成大学です。ここゴロカ大学で教員を養成することにより,未来の世代へより良い教育を提供できると思っています。
多くの日本の友人が教科書や辞書,スポーツ用品やコンピュータを贈ってくれています。
第二次世界大戦の間,多くの日本の兵隊がこの美しいパプアニューギニアで命を落としています。
私たちはこのパプアニューギニアと日本の間に起きた悲劇を忘れてはいけません。しかし,私たちは両国の明るい未来を楽しみにしています。
私の夢は,ゴロカに高等技術学校を作り,日本の技術者を呼んでパプアニューギニアの人びとに技術を教えることです。
パプアニューギニアと日本とを草の根レベルで橋渡しをしたいと思っています。
ありがとう!