PM2.5対策の空気清浄機選び

3週間の北京出張から帰国して早一週間が立ちました。

つい,日本へ帰っても今日の北京の空気はどうなっているかなと『北京 大気汚染: リアルタイムの大気質指標(AQI)』というのを毎日チェックしてしまいます。

実は今回の北京出張に『空気清浄機』を持て行ったんです。

ちょっとやりすぎかなとも思ったんですが,備えあれば憂いなし。
実際のスモッグ見たら,持ってきてよかった。。。と思いました。

今回,持って行った空気清浄機はこれ。

空気清浄機1

『ツインバード マイナスイオン発生 空気清浄機 AC-D358PW』

■HEPAフィルターとマイナスイオンの空気清浄機。 ■マイナスイオン発生で空気リフレッシュ。 ■高性能HEPAフィルター採用。 ■気になるニオイを取る脱臭フィルター。 ■12畳までのお部屋の空気を浄化します。 ■風量3段階切替。 ■3時間タイマー付。 ■大型フロントパネル採用。
*中国で使用するには変圧器が必要です!

これを選んだ理由はまず安いこと。そしてHEPAフィルターを採用していることでした。

この「HEPAフィルター(High Efficiency Particulate Air Filter)」,
Wikipediaを見ると「定格風量で粒径が0.3 µmの粒子に対して99.97%以上の粒子捕集率をもち、かつ初期圧力損失が245Pa以下の性能を持つエアフィルタ」と定義してあります。

PM2.5は粒径が2.5 µm以下の粒子ですから,私が調べた限りでは現在はHEPAフィルターが最も効果的みたいです。

マイナスイオンはおまけ,高濃度プラズマクラスターイオンとか除菌とかはPM2.5とは関係ないので,『ツインバード マイナスイオン発生 空気清浄機 AC-D358PW』をできるだけ安価で購入して北京へ持参しました。

もちろん,PM2.5にどれだけ効果があったかというのは検証できませんが,どれだけフィルターが汚れたかだけは写真を撮ってきました!
*写真での比較ですので,露出,ピントなどにより正確な比較ではありません。あくまでも目安として見てください。

基本的に空気清浄機は平日夜7時から朝7時まで,休日は24時間稼働させました。

空気清浄機2

↑ 先ず,フィルター使用前(開封前) 
【2013/02/22】

空気清浄機3

↑ そして1週間後(この1週間が最も大気の汚染状況が悪かった)
一週間でこれだけ汚れるものなのかとびっくり。
【2013/03/03】(2月27日にホテルを移動)

空気清浄機4

↑ そして2週間後
【2013/03/03】

空気清浄機5

↑ 2週間後のフィルタのアップ
【2013/03/03】

空気清浄機6

↑ そして3週間後
【2013/03/16】

空気清浄機7

↑ 3週間後のフィルタのアップ
【2013/03/16】

空気清浄機8

↑ 3週間後のフィルタのアップ(谷折りの部分を広げてみる)
白いところが,汚れがついていない元のフィルタの白さです。
【2013/03/16】

もちろんフィルタの汚れは単なる埃が一番多いのだと思います。
PM2.5への効果はこれではわかりません。
ただ北京の空気は噂通りというのを実感できました。

ちょっとは空気清浄機選びの目安になったでしょうか。

ちなみにこの空気清浄機,3週間の使用後,現地で貰い手ができました。
説明書のフィルターの寿命の目安は1年半となっていましたが,北京ではどれだけの期間耐えうるかはわかりません。

ちなみに今回の出張グッズ ↓

出張道具

■空気清浄機
■PM2.5対応,N95型マスク
■アイボン(目を洗うお薬)
■どこでもモイスチャー バタフライ 

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北京の夕日は美しいのです!

明日,北京での3週間の出張講義を終え,日本へ帰ります。

ようやくスモッグから開放されますが,残念なのは北京の夕日と朝日が見られないこと。

北京の夕日はスモッグに沈む!』で書いたように,北京の夕日と朝日は日本では決して見られないのです。

北京の夕日

普通にカメラらで撮れる太陽。

北京の夕日

とにかく赤い!!!

北京の夕日

そして,やはりスモッグの中に沈んでいきます。

北京の夕日

さらば,赤い太陽!

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200円でコンビニプリント証明写真『ケータイプリン』

何かと必要になる証明写真。
駅などにある証明写真の機械で撮影すると700円が相場です。

試験の申込なとで必要になる写真。募集要項なとには,3か月以内に撮影した写真と書いてあるのに,面倒なので数年前に撮影した写真を使うことも少なくないと思います。

そんなとき,役に立つのがコンビニ(セブンイレブン)で出力できる携帯証明写真「ケータイプリン」!

就職活動の履歴書,受験票の証明写真などを,安く簡単に作れます。

ケータイプリン

http://k-pri.jp/

ケータイプリン8

作れる写真は,下記の3種類で1シート3枚。

・自動車免許などのサイズ 縦30mm×横25mm
・履歴書などのサイズ   縦40mm×横30mm
・タスポなどのサイズ   縦45mm×横35mm

ケータイプリン9

1シート3枚と書きましたが,4分の1は広告が入ります。
コストを下げる工夫ですね。

必要な画像サイズは縦640pixel×横480pixel以上,
ファイル形式はjpeg形式の画像データです。

ケータイプリン7

こんな写真でも,大小と上下左右を調整して証明写真にすることができます。
*証明写真として許されるかは別としてですが。

ケータイプリン6

メールアドレスを入力すると,予約番号が送られてきます。

そうしたら,セブンイレブンに行き,マルチコピー機のタッチパネルで「ネットプリント」を選択し。

プリント番号を入力すると購入画面が表示されます。

ケータイプリン3

確認後料金200円を入れると,プリントされます。

ケータイプリン2

完成!!!

ケータイプリン5

左下が広告です。

スピード写真と違って何度も気に入った写真が取れるまでとることもできるし,Photoshopなどで,ちょっと修正してからプリントすることも可能です。
また写真屋さんで撮影したデータがあれば,焼き増しも簡単。

みなさんも使ってみましょう!

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『21人の輪』の福島県相馬市磯部地区

嵐の相葉雅紀くんがナレーションをしているNHKのドキュメンタリー番組『21人の輪~震災のなかの6年生と先生の日々~』を見たことがありますか?

福島県相馬市立磯部小学校の6年生を震災から卒業までの1年間を記録したドキュメンタリー番組です。

今日,4月8日(日)午後4時30分~4時59分に最終回が放送されます。

実は先月,3月25日,震災から1年がたった,その福島県相馬市に行ってきました。

相馬市

前日に二本松青年海外協力隊訓練所でJICAボランティア同窓会というイベントがあり,その一環として相馬市の被災地視察があったのです。

このJICAボランティア同窓会というイベントは,日頃お世話になっている風評被害に苦しむ二本松の岳温泉に泊まって飲み食いしましょうという趣旨と,被災した福島の青年海外協力隊OB・OGからの報告を聞いたり,被災地を視察することで,震災の理解を深め,今後の支援につなげていきましょういう趣旨のものでした。

二本松青年海外協力隊訓練所は福島第一原子力発電所周辺の住民を中心に,施設の一部を避難所として提供し,避難者は最大453人にもなったそうです。
既に避難所としての役割は終え,JICAボランティアの訓練が再開していますが,訓練所の前には避難者が記念に植樹した桜と「感謝,旅立ち」と書かれたプレートがありました。

二本松青年海外協力隊訓練所

さて,相馬市の話です。

相馬市では,相馬市長から震災時の対応の話をお聞きし,その後,被害の大きかった原釜地区と磯部地区を視察しました。

原釜地区

原釜地区(住宅地だった場所)

原釜海水浴場

原釜海水浴場

震災後,1年が経過していることもあり,瓦礫の撤去は進み,元住宅地だったところも多くは基礎部分を残すのみとなって,本当にそこに住宅地があったのかと想像できないぐらいのガランとした状態になっています。

特に磯部地区は,海岸から続く平地の部分は,住宅の基礎もほとんど残っていないような状態になっていました。

磯部地区

磯部地区(以前は遠く海辺まで住宅があった)

多分,その風景を見ただけであれば,被災地以外の場所から来た人間には,悲惨な被災地の一風景としてしか(それでもすごい光景なのだが)写らないのでしょうが,相馬在住の協力隊OBから「あれがNHKでやっている『21人の輪』の磯部小学校ですよ」と説明されて,その番組の内容と目の前の光景がつながって,あたかも自分と関係のある土地のように思えてきました。

その磯部小学校の子供たちもたくさん住んでいただろう住宅地が跡形もなくなっている。そして,21人(震災当時5年生の数)の内,まみちゃんという女の子がその磯部地区で命を落としている。その光景を前に合掌すると,まみちゃんの顔が頭に浮かんできました。

時間がたつにつれ,被災地のニュースも少なくなっていきます。

また地理的に被災地から遠い京都のようなところに住んでいると,震災も過去のものになってしまいがちです。

震災後の被災地では,震災後の戦いは現在も続いています。

自分とは関係のない出来事として済まさないように,自分自身,常に意識していかなければいけないし,それを周りの人たちに伝える努力も必要だと改めて思いました。

そのためには,被災地の人々の顔が見える『21人の輪』のような番組は大切だなと思います。

テレビなどのメディアで見聞きすることでも,被災地以外の人と被災地をつなぐきっかけになります。
そこから,また新たな支援が始まったり,つながりが始まっていくのです。

今日の最終回,きっと私は磯部小の子供たちの親戚のおじさんになったような気分で見ることでしょう。

原釜海水浴場

原釜地区を目の前にする海岸には天皇・皇后両陛下をはじめ,ブータン国王夫妻も訪れたそうです。

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缶コーヒーの原価

日本語の聴解教材で面白いものがあったのでご紹介します。

【缶コーヒーの値段の内訳】

缶コーヒー1本の販売価格 120円(約115円+消費税)

【100%】本体価格約115円

【40%:約45円】メーカーの経費・・・社員の給料や広告費など

【30%:約35円】輸送にかかる費用・・・商品を店や自動販売機で売るための費用

【約17%:約20円】・・・缶や箱の材料費とデザインや印刷にかかる費用

【約13%:約15円】・・・缶コーヒーの原材料費(コーヒー豆,砂糖,ミルクなど)

ということで,約30%が缶コーヒーの商品自体の値段であり,その半分以上が缶や箱の値段で,原材料は約15円だということです。

ななかなか興味深い内容でした。

3割原価の法則は,缶コーヒーにも適応され,原材料の原価はその半分なんですね。

缶コーヒー

写真の商品と本文は関係ありません。

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渡波の言葉【被災者の声】

6月になりました。

今日はいい天気になりましたが,梅雨に入り先週末は台風の影響があり京都でもよく降りました。

東日本大震災で津波被害を受けた宮城県石巻市の渡波地区では,地盤が78cmも下がっている場所もあり,雨と大潮の影響による冠水の被害が出ているとのニュースがありました。

こちらの写真は,1か月前にボランティアで行った渡波地区の冠水の様子。

冠水 石巻 1

夕方,ボランティア活動を終えて,テントに戻る途中の様子です。

冠水 石巻 2

雨は降っていない状況で,この様子ですから,これから本格的な台風が来たらもっと大変です。

石巻に行ってから1か月,普通ならめったにメディアに登場しないであろう石巻の渡波が頻繁に登場します。そして,次々と避難所で知り合った顔が新聞やテレビに登場します。

直接,聞けなかった被害状況も,テレビや新聞を通して知ることもあります。

よく遊んだ小4の女の子のおばあちゃん(女川町)は,おじいちゃんの位牌を家に取りに帰り亡くなったと新聞を通してはじめて知りました。

避難所で避難者のリーダー的な存在だったおじさんは,奥さんとお母さんを亡くしたのだと,テレビでさだまさしと話しているのを見て初めてしりました。

テレビや新聞,インターネットで被災者の人たちの声を聞き,私が石巻の渡波で聞いた声も次々と思い浮かんできます。

その中のいくつかを,思い出すままに綴ります。

【みさきちゃん(中1)】
新中学1年生だと聞いて「制服は津波で無事だったの?」という質問に対し

「(制服が津波に)流されちゃった子もいるけど、(私のは)おばあちゃんが守ってくれたんだ。」

・・・・後日,登校前に制服を着ているみさきちゃんを見てうるっときました。

【ホタテちゃん(中2)】

一番,仲よくしてもらった女の子。

「あの日は(中学校の)卒業式だったので、(早く帰宅して)友達の家に遊びに行ったんだ。そうしたら、地震がきて。これは普通じゃないからって(渡波)小学校に来たの。体育館に避難したら、すごい音と黒い水が窓から見えて。ほんと怖かった。あとお腹がすいたのは辛かったよ。痩せたもん。」

どこまで聞いていいのかわからなかったので、それ以上深く聞くことはできなかったけど、中学2年生には辛すぎる体験をしている。前述のおばあさんが津波で亡くなった女の子のお姉さん。

【炊き出しを貰いに来たおばさん1(元水産業)】

私の名札に「青年海外協力隊OBパプアニューギニア」と書いてあるのを見て

「水産関係の仕事をしていてパプアニューギニアの研修生の人たちがよく石巻に来ていたの。「カウカウ・カイカイ」って教えてもらった。タロイモ食べるって意味でしょう。いつかはパプアニューギニアに行ってみたかったけど、もう冷凍設備が全部(津波で)やられちゃったから。」

パプアニューギニアで使われているピジン語で「カイカイ(eat)」・「カウカウ(sweetpotato)」でスイートポテトを食べるという意味。石巻でパプアニューギニアにつながりのある人に出会うとは思いもしなかったので,うれしかったけど,「もうパプアニューギニアには行けないだろう(事業の再開は難しいだろう)」という言葉に安易に否定したり,励ましの言葉をかけられませんでした。

【炊き出しを貰いに来たおばさん2(名前・年齢 不明)】

「よく(渡波小学校)の炊き出しに来ているけど,(津波で被害にあった)家の片付けをしていて疲れちゃって,ごはんをもらいに来る気力がなくなっちゃうんだよね」

【炊き出しを貰いに来たおばさん3(名前・年齢 不明)】

「濡れたタンスは開かなくなっちゃうんだよ」(同意者多数)

「家の近くに水産工場があって,津波でやられたから,1階にタコとかエビとかが流れてきていて臭いんだよ。」

炊き出しを貰いに来たおばさん4(名前・年齢 不明)

「本当は避難所(渡波小)に移ってきたいんだけど,家は2階は何とか使えるから。。。。布団敷いてねるだけだけど」

【炊き出しを貰いに来たおばさん5(名前・年齢 不明)】

「息子が消防団に入ってて,「何かあったら家族よりも消防団の活動が優先だ」って言われてたけど,本当に消防団優先だったから,数日は息子は帰って来られなくて大変だったよ。」

以上,これでも聞いた話の一部です。

これからも,なんとかできる支援をしていきたいと思います。
みなさんもご協力お願いいたします。

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中国・韓国からの東日本震災支援

石巻の避難所(渡波小学校)のゴミ置き場で見つけた段ボール。

中国・韓国の支援

中国と韓国からの東日本大震災支援物資の空き箱でした。

中国の支援物資の中身は分からなかったのですが,韓国の段ボールはカップラーメンが入っていたものです。

炊き出しで,この韓国のカップラーメンが配られていました。

中国・韓国のみなさん
みなさんの支援はしっかり被災者の方々に届いています!

非常謝謝!
カムサハムニダ!

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一歩ずつ復興への道を歩む石巻 - ボランティアの記録 - その4

一歩ずつ復興への道を歩む石巻 -ボランティアの記録-
その1
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その4

倒れても咲く桜

↑海辺の住宅地。倒れた桜が花を咲かせていた。水色の家の壁にはマジックで持ち主の名前、避難している場所、そして「母(おばあさん)は亡くなりました」とマジックで記してあった。

非常時の組織,コミュニティ,リーダーシップ

私たちは,渡波小学校での活動以外でも,避難所となっていた葬祭所「ほたる」の1階の泥かきも行いました。

この「ほたる」の2階には現在20名が避難していますが,震災直後には250名が避難していました。

1階の壁には,天井まであと約40センチに迫る水位に達した津波の跡がはっきりと残っていました。

災害直後には,葬儀用の白装束や足袋で寒さをしのいだということです。

葬祭所ほたる1階

↑「ほたる」の1階。ここの泥かきを行った。壁に津波の水位がくっきりと残る。

この避難所の特筆すべきところは,厳格なルールが決められて,しっかりした組織で避難所を運営していたこと。トイレなども担当者を決めて使用していたため,仮設トイレが入った後も,土足禁止にするなど,他の避難所とは違ってとても清潔でした。

また,避難者同士の仲がいいのです。聞いてみると,震災前は面識がなかった人が多かったようです。また,ここの避難所の人たちはとにかく明るいのです。

泥かき終了時に夜,お邪魔して一緒にお酒を飲む機会を設けてもらったのですが,その楽しかったこと。被災地で楽しい思い出ができるとは思いもしませんでした。

一方,避難者同士がいがみ合っているといった避難所もあるようで,渡波小学校でも些細なことから,親同士の喧嘩に発展したり,避難されている方が,ちょっとしたことからヒステリックを起こして,警察が呼ばれるということもありました。

もちろん,避難所の規模などにもよりますが,こういった非常時のコミュニティのあり方,組織のあり方,その組織をまとめるリーダーの力量が大きな差をもたらすことをつくづく感じました。

一歩ずつ復興への道を歩む被災地

5月5日に渡波小の近くにある大宮神社でお祭りがありました。

瓦礫や流されてきた車に囲まれた状況でのお祭りでしたが,ボランティアの人たちも参加して,盛大なお祭りになりました。

しかし,今年のお祭りには御神輿が担がれることはありませんでした。津波の際,御神輿につかまって一命を取り留めたおばさんが,「来年のお祭りには是非御神輿を担ぎに来てください」と言っていました。

石巻大宮神社

↑大宮神社のお祭りでカレーとおしるこを振る舞った。他にも、ボランティアによるマッサージ、足湯、散髪、コーヒー、スパゲッティも。もちろん無料!

ボランティアに参加した1週間でも目に見えるように日々瓦礫が片付き,家の片づけが進んでいました。

今後,数年かかるでしょうが,着実に復興へと前進していくはずです。

来年の5月5日,大宮神社のお祭りでは,大きく前進した石巻の姿を見せてほしいと期待しています。

おわり

消防庁による捜索

↑津波から7週間が経過しいたが、行方不明者の捜索が消防庁によって行われていた。

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一歩ずつ復興への道を歩む石巻 - ボランティアの記録 - その3

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もえないゴミ

↑「もえないゴミ」の看板を作ってくれたスズちゃん。

情報の大切さ

今回,私が主に担当したのは,渡波小でのゴミ集積場所の整理でした。

私が初めて避難所となっている渡波小学校に行った際は,当初のゴミの集積量の予想を大きく超え,分別されていたごみの山が大きくなりすぎて,ビン・カン,ペットボトル,可燃物,ダンボールの山が合体してしまい1つの山になり,次第に分別も曖昧になり,ゴミが混ざりあってしまっていました。

徐々にゴミの収集は始まっていたのですが,これから気温が高くなるにつれて,衛生的な問題も発生しかねないと考え,集積所の整理を開始しました。

ゴミ集積所整理作業前

↑これが作業前のゴミの山

まず,ゴミ回収の情報を得ようと渡波小の近くにある支所を訪ねました。

しかし,ゴミ収集に関する情報は誰からも得られませんでした。

次に渡波小の避難所本部に聞いても,可燃物が月・木で回収に来るという情報は得たものの,その時点で未だ回収がなかったビン・カン,ダンボール,ペットボトル(ペットボトルは水曜日に回収された)の収集開始に関する情報は全く得られませんでした。

青年海外協力隊OVの方がショベルなどの重機を携えてボランティアに参加していただいたので,ダンボールの山の移動とゴミ集積所の近くにあった使えなくなった机などの移動,そして津波で流され動かくなった自動車の移動をお願いしました。

これは,避難所の本部(市役所の職員1名と臨時職員1名,他の自治体からの応援職員数名から構成)にこの話を届けてから実行したのですが,作業中,自動車の撤去を担当する市の職員が血相を変えてやってきて,車の撤去は所有者とのトラブルを避けるために許可を持った業者が行うので作業を中止してほしいと言ってきたのです。

その許可を持った業者はその日にやってきて作業するとのこと。同じ石巻市の職員でありながら,その車撤去の情報は避難所の本部の職員には伝わっていなかったのです。

重機部隊による瓦礫の整理

↑じゃんじゃん片付けてくれる重機の力はすごい!

こういった非常時には情報がいかに大切かということを思い知らされることは,この他にも多々ありました。

まず,炊き出しの情報です。

渡波小学校の炊き出しは毎日行っているのですが,近くの渡波駅や支所などでも,単発的な炊き出しが行われていました。

芸能人などが行う炊き出しはニュースにもなるので,意外とどこで炊き出しが行われるといった情報が伝わるのですが,そのほかの炊き出しの情報は,被災者自身が歩いて,見聞きしないと伝わりません。

せっかくの炊き出しを行ったのにもかかわらず,人が集まらなかったり,突発的な炊き出しにより,渡波小のような定期的な炊き出しが余ってしまう事態にもなってしまいます。

また,義援金に関しても35万円という金額が独り歩きして,一人当たりなのか,一戸当たりなのかというのを,炊き出しをもらいに来た,お母さんたち3人が議論していました。

義援金の第1次分配に関しては,石巻市のWebサイトなどを見ればすぐにわかるのですが,インターネットを含めた情報インフラが災害時には機能しないため「人的被害…死亡者,行方不明者1人につき35万円。住家被害…全壊,全焼の住家1戸につき35万円・大規模半壊,半壊,半焼の住家1戸につき18万円」といった大切な情報さえも被災者に伝わらないという事態に陥ってしまうのです。

このようなことから,災害時の情報伝達を改めて見直す必要を感じました。

ゴミ集積所整理作業後

↑これがゴミ集積場所の整理後。違いが分かってもらえたら嬉しい。

つづく

一歩ずつ復興への道を歩む石巻 -ボランティアの記録-
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一歩ずつ復興への道を歩む石巻 - ボランティアの記録 - その2

一歩ずつ復興への道を歩む石巻 -ボランティアの記録-
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11日で,震災から2か月。まだ2か月。これからの復興への道のりの長く険しいことを実感する。

協力隊OV石巻市震災支援プロジェクト

前回お伝えした状況にある石巻で,私は青年海外協力隊OB・OG(以下OV)を中心としたグループ『協力隊OV石巻市震災支援プロジェクト』に参加しました。

青年海外協力隊のOVが中心となり,震災後の3月14日から隊員OVの2人で物資輸送,昼食約800人分炊き出し開始。

3月20日に石巻市より避難所となっている渡波小学校の支援を依頼され,渡波小学校での炊き出しを中心に,看護士,理学療法士の隊員OVが保健衛生部門を立ち上げ,保育・児童教育関連のOVが子供のためのプレイルームを立ち上げるなど,活動を広げています。

国際ボランティアセンター山形,関西大学や静岡文化芸術大学の学生・OBへとネットワークを広げ,GW中には,1日最大31名のボランティアが集まりました。

渡波小学校だけでなく,同じく避難所となっている湊小学校や葬祭所「ほたる」での泥かきやがれき撤去の活動,東松島市の図書館再開のための応援など,活動を広げていきました。

国際協力から災害支援へ

青年海外協力隊のOVが中心となっていることから,自分の専門分野を生かした支援活動を行えるのが私たちのグループの強みです。また,国際協力に携わった経験も活かせるのが,私たちの最大の特徴です。

避難所である渡波小学校では,震災直後には約1,500名の人々が避難していたそうです。

5月5日時点では避難者は約300名になっていましたが,渡波小学校での炊き出しに関しては,周辺住民への配給分が約500食でしたので,学校内の避難者と合計して800食を調理していました。

しかし,GW中には最大31名になったボランティアは,私を含めてGW後には自分たちの生活に戻らなければなりません。

私たちのグループもGW後には3人(後日2名増員予定)になってしまいます。そこで,避難者の人たちに炊き出しに参加してもらうことになりました。

GW期間中はボランティアと避難者のお手伝いの人たちが共同で炊き出しを行い,調理のみならず,食材の発注方法なども避難者の方にしていただけるようにしました。

これは青年海外協力隊が発展途上国で行っている技術移転と同じであり,避難者を含めて被災者の自立を促していきます。

さらに,GW後には責任を持って作業していただくために,有償ボランティアとして時給750円で避難者の人たちだけで作業をしてもらうことになりました。

避難所内の人だけが無償で作業をして,周辺住民が食事を供給されるのみになると,不公平が生じてしまいますし,何より長続きしないからです。

この炊き出しに関する取り組みが成功すれば,他の避難所などでも避難者や被災者の自立の足掛かりになるかもしれません。

つづく

渡波小炊き出し

↑避難所になっている渡波小の炊き出しキッチン。キッチンと言っても学校の玄関。衛生的な問題から,家庭科室に移動したいのだが,校舎内の上下水道は復旧していないので,水道が使える玄関で調理をしている。

渡波小前歩道橋

↑渡波小前の歩道橋。歩道には瓦礫や流された車が残る。津波が襲ったあの日,この歩道橋に多くの人が避難し命を守ったという。

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