一歩ずつ復興への道を歩む石巻 -ボランティアの記録-
その1
その2
その3
その4
11日で,震災から2か月。まだ2か月。これからの復興への道のりの長く険しいことを実感する。
協力隊OV石巻市震災支援プロジェクト
前回お伝えした状況にある石巻で,私は青年海外協力隊OB・OG(以下OV)を中心としたグループ『協力隊OV石巻市震災支援プロジェクト』に参加しました。
青年海外協力隊のOVが中心となり,震災後の3月14日から隊員OVの2人で物資輸送,昼食約800人分炊き出し開始。
3月20日に石巻市より避難所となっている渡波小学校の支援を依頼され,渡波小学校での炊き出しを中心に,看護士,理学療法士の隊員OVが保健衛生部門を立ち上げ,保育・児童教育関連のOVが子供のためのプレイルームを立ち上げるなど,活動を広げています。
国際ボランティアセンター山形,関西大学や静岡文化芸術大学の学生・OBへとネットワークを広げ,GW中には,1日最大31名のボランティアが集まりました。
渡波小学校だけでなく,同じく避難所となっている湊小学校や葬祭所「ほたる」での泥かきやがれき撤去の活動,東松島市の図書館再開のための応援など,活動を広げていきました。
国際協力から災害支援へ
青年海外協力隊のOVが中心となっていることから,自分の専門分野を生かした支援活動を行えるのが私たちのグループの強みです。また,国際協力に携わった経験も活かせるのが,私たちの最大の特徴です。
避難所である渡波小学校では,震災直後には約1,500名の人々が避難していたそうです。
5月5日時点では避難者は約300名になっていましたが,渡波小学校での炊き出しに関しては,周辺住民への配給分が約500食でしたので,学校内の避難者と合計して800食を調理していました。
しかし,GW中には最大31名になったボランティアは,私を含めてGW後には自分たちの生活に戻らなければなりません。
私たちのグループもGW後には3人(後日2名増員予定)になってしまいます。そこで,避難者の人たちに炊き出しに参加してもらうことになりました。
GW期間中はボランティアと避難者のお手伝いの人たちが共同で炊き出しを行い,調理のみならず,食材の発注方法なども避難者の方にしていただけるようにしました。
これは青年海外協力隊が発展途上国で行っている技術移転と同じであり,避難者を含めて被災者の自立を促していきます。
さらに,GW後には責任を持って作業していただくために,有償ボランティアとして時給750円で避難者の人たちだけで作業をしてもらうことになりました。
避難所内の人だけが無償で作業をして,周辺住民が食事を供給されるのみになると,不公平が生じてしまいますし,何より長続きしないからです。
この炊き出しに関する取り組みが成功すれば,他の避難所などでも避難者や被災者の自立の足掛かりになるかもしれません。
つづく
↑避難所になっている渡波小の炊き出しキッチン。キッチンと言っても学校の玄関。衛生的な問題から,家庭科室に移動したいのだが,校舎内の上下水道は復旧していないので,水道が使える玄関で調理をしている。
↑渡波小前の歩道橋。歩道には瓦礫や流された車が残る。津波が襲ったあの日,この歩道橋に多くの人が避難し命を守ったという。
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