一歩ずつ復興への道を歩む石巻 - ボランティアの記録 - その4

一歩ずつ復興への道を歩む石巻 -ボランティアの記録-
その1
その2
その3
その4

倒れても咲く桜

↑海辺の住宅地。倒れた桜が花を咲かせていた。水色の家の壁にはマジックで持ち主の名前、避難している場所、そして「母(おばあさん)は亡くなりました」とマジックで記してあった。

非常時の組織,コミュニティ,リーダーシップ

私たちは,渡波小学校での活動以外でも,避難所となっていた葬祭所「ほたる」の1階の泥かきも行いました。

この「ほたる」の2階には現在20名が避難していますが,震災直後には250名が避難していました。

1階の壁には,天井まであと約40センチに迫る水位に達した津波の跡がはっきりと残っていました。

災害直後には,葬儀用の白装束や足袋で寒さをしのいだということです。

葬祭所ほたる1階

↑「ほたる」の1階。ここの泥かきを行った。壁に津波の水位がくっきりと残る。

この避難所の特筆すべきところは,厳格なルールが決められて,しっかりした組織で避難所を運営していたこと。トイレなども担当者を決めて使用していたため,仮設トイレが入った後も,土足禁止にするなど,他の避難所とは違ってとても清潔でした。

また,避難者同士の仲がいいのです。聞いてみると,震災前は面識がなかった人が多かったようです。また,ここの避難所の人たちはとにかく明るいのです。

泥かき終了時に夜,お邪魔して一緒にお酒を飲む機会を設けてもらったのですが,その楽しかったこと。被災地で楽しい思い出ができるとは思いもしませんでした。

一方,避難者同士がいがみ合っているといった避難所もあるようで,渡波小学校でも些細なことから,親同士の喧嘩に発展したり,避難されている方が,ちょっとしたことからヒステリックを起こして,警察が呼ばれるということもありました。

もちろん,避難所の規模などにもよりますが,こういった非常時のコミュニティのあり方,組織のあり方,その組織をまとめるリーダーの力量が大きな差をもたらすことをつくづく感じました。

一歩ずつ復興への道を歩む被災地

5月5日に渡波小の近くにある大宮神社でお祭りがありました。

瓦礫や流されてきた車に囲まれた状況でのお祭りでしたが,ボランティアの人たちも参加して,盛大なお祭りになりました。

しかし,今年のお祭りには御神輿が担がれることはありませんでした。津波の際,御神輿につかまって一命を取り留めたおばさんが,「来年のお祭りには是非御神輿を担ぎに来てください」と言っていました。

石巻大宮神社

↑大宮神社のお祭りでカレーとおしるこを振る舞った。他にも、ボランティアによるマッサージ、足湯、散髪、コーヒー、スパゲッティも。もちろん無料!

ボランティアに参加した1週間でも目に見えるように日々瓦礫が片付き,家の片づけが進んでいました。

今後,数年かかるでしょうが,着実に復興へと前進していくはずです。

来年の5月5日,大宮神社のお祭りでは,大きく前進した石巻の姿を見せてほしいと期待しています。

おわり

消防庁による捜索

↑津波から7週間が経過しいたが、行方不明者の捜索が消防庁によって行われていた。

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