今年KCGがIDCE(海外コンピュータ教育支援活動)でPC53台を寄贈したパプアニューギニア・ゴロカ大学のあるゴロカ地方は,標高約1500mの高地にあり,コーヒーの産地でもあります。
ちょっと町から出ると,コーヒー畑を目にすることができます。
わたしが10年前に青年海外協力隊でパプアニューギニアに住んでいた時,聞いた話です。
「コーヒー豆を町に売りに行ったコーヒー豆農家は,町のスーパーでネスカフェ買って村へ帰る」
これは,本当の話です。
スーパーには「ネスカフェ・ニューギニブレンド」なるインスタントコーヒーが,現地産のコーヒー豆よりも数倍のスペースをとって陳列棚で売られています。
それにパプアニューギニア人が豆からコーヒーを入れている姿を,未だに見たことがありません。
実際に,わたしが10年前に配属されていたパプアニューギニアの高校の毎日の休憩では,ネスカフェかパプアニューギニアの紅茶No.1 Teaが出ていました。
おそらく,パプアニューギニアで豆からコーヒーを入れるのは外国人か一部のお金持ち,もしくはホテルかレストランぐらいだと思います。
まず,コーヒー豆を栽培する村ではコーヒーメーカーや,フィルターを持っている人も少ないだろうし,お金もかかるし,何よりも面倒です。
電気も水道もないような山の中で,コーヒーを豆から入れるなんて,普通ではないのです。
コーヒー豆農家が「町のスーパーでネスカフェ買う」という行為にコーヒーづくりは,現金収入のため手段であることが,集約されています。
そして,そのコーヒー豆を求めるのは,先進国や大企業であるのです。
それを支えるのが,コーヒー豆を栽培する農家たちという構造が見えてきます。
コーヒー農家の人々にとっては「コーヒー豆 → お金」となる換金作物なのであって,「コーヒー豆 → 飲み物」ではないのです。
ここが,野菜を作っている農家とは大きく異なるところです。
野菜だったら,自分の家でも食べられますからね。
では,農家がコーヒー豆を業者に販売して,その代金で裕福になり,コーヒーを豆から入れて味わえる日が来るのかというと普通のコーヒー栽培の農家では,まず無理だと思います。
かといって,コーヒー豆の栽培は,村の人々にとって貴重な現金収入であることは変わりなく,子供たちを学校に行かせたり,生活品を買ったり,するためには必要不可欠なものとなっているのです。
コーヒー豆栽培は,生活をしていくための貴重な現金収入であるけれど,それが生活レベルの向上につながるかというと,その暮らしを裕福にするまでもいかず,せめてものぜいたく品としてネスカフェを飲む(ネスカフェだけが贅沢じゃないのですが)。
おいしいコーヒーは,主に先進国に輸出され,自分たちはネスカフェを飲む。
どうも,私には富める者を貧しい者支える構造の縮図に見えてしょうがないのです。
と,あれこれ考えて飲むコーヒーは,美味しいけれど,いつもより少し苦いのでした。
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