歯痛

このころブログを書いていないのは、成績付けで忙しかったわけではありません。ああ歯が痛い
中高年のみなさん.歯槽膿漏はこわいですね

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日本の科学技術7

7)稲と森
 7つの最後は食の技術です。わが国では古くから米を主食にしてきましたが,稲はもともと亜熱帯植物です。それを長い年月をかけて新潟・秋田・北海道などの寒冷地でも栽培できるようにしてきたのです。原産地は華南・タイ・ネパールあたりらしいが定説はまだないそうです。わが国へは紀元前後に弥生人が朝鮮半島経由で持ってきたと習いましたが,多分それはない,寒い地を経てきたとは考えにくい。むしろ華南から直接渡ってきたのでしょう。航海は揚子江移動性高気圧に乗れば意外と簡単です。その時期はBC5,6世紀まで(またはそれより古い)大幅に遡っています。
 世界中には米よりも麦を主食にする民族のほうがずっと多く,華北から西アジア,北アフリカ,ヨーロッパ,アメリカなどではパンや麺を食べています。ところがそのときに肉を一緒に食べます。そのためには羊,牛,豚を飼うことになりますが,これらの家畜は大量の草木を食べ森を荒らします。そのため世界の多くの文明は放牧・伐採で滅びました。いわゆる乱開発,代表例は古代オリエント。
 それに反し,米と一緒に食べるものはですから,米食民族は食料用の家畜を持たず,森は荒れずに残っています。さらに自然と共生する優しい神(トトロのような)を敬っています。米と魚の料理として最高傑作はすしですね。すしの嫌いな人はまずいないでしょう。
米と魚を食べて森を守ってきた文化技術を大切にしてぃきたいものです
・・・以上ほとんどはA先生の薫陶の賜物です。

「森を守る文明・支配する文明」安田喜憲著
日本の科学技術1 50の手習い 伊能忠敬
日本の科学技術2 自作望遠鏡で観測 国友一貫斎
日本の科学技術3 なにわの精錬所
日本の科学技術4 世界一の鉄砲製造国
日本の科学技術5 平安京の高層建築
日本の科学技術6 雲太 和二 京三

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またもや大雪

雪

雪かきにしびれる両手を擦りつつ 鄙の苫屋に春まだ遠し

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3連休は大雪で編集作業

今年度は8/11と11/17の2回ほどSPP(サイエンスパートナーシッププロジェクト)研修会を行いました。KCGIから高校の教科情報への支援活動で,2回とも高校の先生約40名の参加で成功裏に終了しました。ただ今,7名の学内外の先生の講演をまとめた集録報告書を編集中です。この3連休は大雪でどこにもいけなくて,校閲校正書類書き・・・・
今年度のテーマは「モデル化とシミュレーション」,「マルチメディアウェブの活用」でしたが,来年度は何にしようか?

KCG/KCGIにも高校にも有効な教育活動・・・高大連携のプロトタイプですから,次回もご協力よろしくお願いします。

参考
2ndSPP-1
2ndSPP-2
2ndSPP-3
2ndSPPその裏で

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スーパーサーズディ

海の向こうの話ではありません。明日はKCGIの最重要行事の日。
今時分まで、みんながんばっていることでしょう。

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閏年処理の間違いって?

閏年処理の間違いってなんやろ?信じがたいことです。暦学は実生活に重要ですヨ。

公衆電話、うるう年で不具合3200台(産経新聞) – Yahoo!ニュース
ほしぞらの閏年

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今日は節分、明日は立春

明日は立春,今日は節分。
太巻きを食べました。でも本来すしとも鬼とも関係ありません。暦学的には地球が太陽の周りを回る途中、春分から315度進んだ日が立春で、その前日が節分です。立春は冬至と春分の中間で、寒が明けてそろそろ春がやってくるという時で、年の始めと考えられていました。したがって節分はいわば大晦日に当たるのです。
なぜ豆をまいて鬼を払うのかって?それは1年の最後の日に厄を除き新年を迎えるということらしい、虎のパンツをはいた鬼は中国から伝ったものでしょうが、豆まきは日本の風習のようですね。さらに太巻きは近年、関西で始まったものでは・・・

参照24節気の求め方

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日本の科学技術6

6)雲太、和二、京三
 平安初期に源為憲(頼朝・義経とは無関係の源氏)という人が書いた『口遊』という公家の子供達の教科書のような書物があります。その中にその大きさの順位を表すゴロ合わせとして「雲太、和二、京三」と書かれているそうです。京三とは京の大極殿で、すでに平安時代に焼失してしまいましたが、今の平安神宮の本殿はそのミニチュア版で、あの約2倍も大きかったそうです。和二とは大和の東大寺大仏殿で、源平争乱時代と戦国時代と2回ほど戦焼しました。現在ものは江戸時代にできたものですが、奈良時代にできたときも高さ十五丈(約45m)で今とほぼ同じです。それよりも大きい雲太とは出雲大社のことで、平安時代には45m以上だったことになります。
 現在の本殿は8丈(およそ24m)で、これも神社としては飛びぬけて大きい(伊勢神宮は9m)ですが、かつての本殿は現在よりもはるかに高く、中古には16丈(48m)、上古には32丈(およそ96m)であったという伝承があるそうです。
 創建は神代、すなわち不明ですから、上古とはいつのことかわかりませんが、奈良時代より前でしょう。2000年の発掘で発見された遺跡から、48mの建物の復元図が作成されました。そのイラストは出雲大社建造の謎を参照。96mは怪しいとしても,平安初期の48mはホントらしく、これは15階建てのビルに匹敵する高さです。出雲には朝廷よりも仏教よりも大切なものがあって,人々はそれを守ってきたのでしょう。でもなぜどうやって造ったのか?

日本の科学技術1 50の手習い 伊能忠敬
日本の科学技術2 自作望遠鏡で観測 国友一貫斎
日本の科学技術3 なにわの精錬所
日本の科学技術4 世界一の鉄砲製造国
日本の科学技術5 平安京の高層建築

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あひみての

昨日食べたピーナッツの袋をよくよく見れば、○○産だった。嗚呼、よけいな物を見てしまった。

逢ひ見てののちの心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり  
百人一首

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日本の科学技術5

平安

5)平安京の高層建築
時代は平安時代に遡り,舞台は当然京都です。赤い四角は平安京のおおよその範囲ですが、東西の中央は千本通、現在に比べ西寄りです。南北の中央は四条通、ちょうど北緯35度です。この都市計画の記録技術は都が落ち着くと忘れられてしまいました。江戸も大坂も○○もほとんど乱開発で、京都の後で計画的に作られたのは札幌(明治)までありません。
 京の都の高層建築といえば、東寺の五重塔(57m)で,約1200年前に建てられました。KCG駅前校から見えますが、ぜひ九条通りに行って眺めてください。

東寺

(九条大宮にて撮影)  
ところが,かつてこれをはるかに凌ぐ塔があったのです。11世紀に動物園あたりに86mの法勝寺九重塔が建てられました。寺というよりあのワンマン白河法皇の別荘です。そのミニチュア模型を京都アスニーで見ました。また14世紀末には足利義満が相国寺に七重大塔を造ったそうで,高さはなんと106m(ホンマかいな?),その記録は昭和になるまで破られませんでした。どちらも落雷戦乱で焼失(地震ではない)してしまい,さすがの秀吉も再建する気はなかったようです。それにしてもこんな大建築の技術もったいないですね!地図の赤矢印は3つの太寺の位置です。

日本の科学技術1 50の手習い 伊能忠敬
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