三国志Ⅱ日記 2

今日も三国志Ⅱを1時間する。
今日の目標
1.192年までに孫策を配下にすること。
2.193年には10国をGETすること。

まずは上の地図をご覧ください。
これがゲームのスタート時の地図です。緑が劉備です。
これがないと、なかなか分かりにくですね。

さて、今日は191年8月からです。
191年8月 22国にある我が主力部隊はついに孫策の守る23国に攻め入った。
孫策は20国君主 孫堅の長男で父である孫堅亡き後わずか5年で江東・江南の地を平定し小覇王と言われた武将である。武力は94。
この孫策を守る武将は3人。我が軍は関羽、張飛、趙雲、太史慈、夏侯惇である。これならば勝てる。
そして、孫策を捕まえ配下にする。
これで、目標の1を達成。
しかし、孫策を配下にした直ぐはとにかく孫策の忠誠度をあげないと、すぐ他国に登用されてしまう。
孫策の忠誠度をあげるために3ヶ月。その間に兵数、武装を整える。
一方、9国の本国では、残った武将の忠誠度や兵数、武装度をあげるながら、近隣諸国の動向に目を配る。
192年1月 20国の君主 孫堅が死亡、本来であれば孫策が後を継ぐ所、程普が後を継いで君主に。
君主がかわるとその国の武将の忠誠度が一斉に下がる。
その期をついて攻めるのが得策。ということで、20国に攻め込む。
20国には甘寧がいる。甘寧は武力92の猛将。
しかし、ここはあっさり勝利。20国と甘寧を手に入れる。
23国に残してきた孫策も20国に合流。
一方、9国の本国では192年より魏に仕えた有能な文官が手に入る。
このために9国制圧を急いだわけだ。
在野武将検索でどんどん見つけることができるが、一気に見つけて登用してしまうと忠誠度が低いままになってしまうので、1ヶ月に1人見つけては、忠誠度を上げていく。
1月に荀彧(知力97)
2月に郭嘉(知力97)
3月は次に攻める19国をチェックすると、徐庶(知力95)を発見すぐに登用。
4月になる前に7国の袁紹の後を継いだ袁譚の使者として9国を通りかかった文醜(武力91)を捕まえ配下にする。
5月に典韋(武力97)を登用。
6月に荀攸(武力94)を登用。
これで、魏の基礎を築いた文官を手に入れたことになる。
さて、主力部隊はというと、20国で兵数、武装などを整えて19国(君主:袁術)に攻め入る時がやってくる。192年5月のことである。
19国にはこれといって優秀な武将はおらず、楽勝である。この戦いで君主 袁術は死亡。
袁術もまた名門袁家であった。
7月、ここで20国の劉表が11国の董卓領を攻めるという行動にでる。そして、見事11国を手に入れる事件がおこった。
ちょっと、11国を見てみるとなんと、あの呂布が低い忠誠度でいるではないか。
呂布とは、三国志Ⅱの中で最強の武将である。武力100(MAX)。
史実でも彼は国士無双の強さを誇り、関羽、張飛の二人掛かりでも倒せないほどだった。
しかし、彼はよく裏切る。史実でもゲームでもよく裏切る。実際には戦いに出せないのだ。
見方だと思っていた彼が直ぐ裏切って攻めてくるからだ。強いだけに厄介なのだ。
もちろん、これから攻める国に彼がいたら基本的には攻めない。
だから、彼は劉備の下で飼いごろすのがいいのだ。
迷わず、登用。すぐさま忠誠度100に。これで一安心。
192年はこのあとは武将の忠誠度をあげる事と国を豊かにするために時間を費やす事となる。
そして、193年1月 19国で力を蓄えた主力部隊は目標の10国に攻め入るのである。
10国の君主は董卓である。董卓はかなり悪いイメージでとらえられている。
しかし、武将として彼をとらえた場合、当時では随一の力を誇っていた訳でかなり優秀な武将といえる。
また、10国は当時の首都である洛陽なのだ。史実では董卓が洛陽を焼き払い長安に遷都した事になっている。つまり、10国にはお宝が眠っているのだ。
19国に攻め入った関羽、張飛、趙雲、太史慈、夏侯惇は見事董卓を打ち破り10国を手に入れる。
董卓はこの戦いで捕まり死亡。この戦いで李儒(知力91)を配下にする。
さて、10国を奪うと必ずお宝が手に入る。狙うお宝は2つ。
「玉璽」と「華佗の医学書」だ。他にも剣(武力をあげる)、書(知力をあげる)、装飾品(魅力をあげる)などがランダムでもらえる。
玉璽は君主の信頼度、魅力を100にしてくれる。信頼度が100になれば配下の武将の忠誠度は下がらない。また華佗の医学書は疫病にかかったり、戦いで傷ついたりしても翌月には元気になっているのだ。
そして、今回10国で手に入れたのは、なんと玉璽なのだ!
これで、信頼度100。これまで同盟を結んでいた国とも同盟を破棄する。
万が一同盟国を攻めたりしたら信頼度が下がるからだ。
さて、10国を手に入れたらやる事は武将検索で張遼を探し出し登用することだ。
張遼は武力93。もともと董卓の配下で次に呂布に仕え最後は曹操配下となる武将だ。
今回の目標2は、実はこの張遼を手に入れることにあったのだ。

これで、我が領土は、9国(君主:劉備)、10国(太主:関羽)、19国(太主:孫策)の3国となった。
これからの展開は195年までこの3国体制を維持しつつ、東の16国を目指すことになる。

16国には彼がいるのだ。

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