ブログの更新

最近、ブログの更新をしていない日があります。
一応、さかのぼって書いているので、毎日書いているようなのですが、この記事も28日の記事として書いています。

つまり、サボっている日がある訳です。
サボっているというと、サボテンいじりしているみたいですね、

違います。

実は、三国志Ⅱをまた始めてしまいました。
始めて、すでに3回は統一したのですが、現在4回目やろうか悩み中です。

三国志Ⅱを始めると、何も手につかなくなるのです。
28日は3回目の統一をしていました。
ということで、28日はサボテンいじりもサボって三国志Ⅱでした。

仕舞い込んでおこうかな〜。

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禁断症状

190年に3国で趙雲、191年に9国で程昱、192年に9国で荀彧、荀攸、郭嘉、典韋、19国で徐庶、193年に10国で張遼、194年に19国で龐統、195年に9国で許褚、10国で司馬懿、諸葛謹、徐晃、196年に16国で諸葛亮・・・


三国志Ⅱ、やりたい。

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まだまだ、三国志Ⅱ

まだやってます。

えー!まだやってるの?
えぇ、まだやってます。

もう何回目かのスタートをしてしまいました。
すでに、ほとんど統一状態です。

残すは、袁紹、劉焉、馬騰です。

今回は珍しく、黄忠が仲間になりました。
ほとんど出会う事はないのですが、実は武力96です。
劉備 五虎将の一人です。

あと、1、2回で統一です。
今度こそ、やめるぞー!

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誰か止めてくれ〜

三国志Ⅱです。

えっ、まだやってたの?
前にやり始めたって書きました。詳しくは「再び三国志Ⅱ」をどうぞ。
ええ、まだやってるんです。でも、1回統一して、また最初から。
そう、とまらないんです。

今回は、捕獲した武将を逃がすというテーマでやってます。
どうなるかというと、戦闘に勝って武将を捕獲しても、また元の君主のところに戻るのです。
すると、また兵を集めて、戦う訳です。
なかなか、ヘビーな戦いです。

といっても、もうすぐ統一なんですけどね。
明日は,馬一族の平定です。

待ってろ,ばちょう~

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再び三国志Ⅱ

最近,家でブログを書く回数が減ってます。

なぜかというと,月曜から三国志Ⅱを始めてしまいました。
どんなんだ?という人のためにこちらをどうぞ。

今回は,大変なんです。
武力チーム(武力90以上メンバー)が曹操を深追いするばかりに,南の地方に行って,軍資金が底をつきました。
軍資金がなくなるということは,各武将にお金が払えない=お給料が少なくなるわけです。お給料が少ないと忠誠度が下がります。
すると,他国から引き抜きがあるのです。
劉備配下の武将では,関羽,張飛,趙雲の3人は忠誠度が下がっても大丈夫だと思っていました。いわば安全パイですね。
すると,趙雲が引き抜かれたのです。ガーン!

やはり,忠誠度は大事ですね。
もちろん,忠誠度を上げるには,馬やお金をあげればいいのです。
これって,ボーナス?

何とか,取り返して昨夜寝る頃には,ほぼ統一の状態になりました。
今日は,馬一族の平定です。

待ってろ,ばちょう~

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三国志Ⅱ日記 3

前回までのあらすじ
189年4国から始めた劉備による統一作業。
190年に3国で趙雲を見みつけて配下にする。
191年に曹操を滅ぼす。
192年には孫策を配下にする。
193年に董卓を倒して10国と領土とする。

193年5月からのスタート。
5月、 9国、10国、19国の武将を確認。
6月、 9国、10国、19国それぞれを特色ある国にする。
9国は知能優先
劉備、荀彧、郭嘉、荀攸、程昱、徐庶、呂布
10国は武力優先
関羽、張飛、趙雲、太史慈、夏侯惇、華雄、張郃、夏侯淵、典韋、甘寧、張遼
19国は呂蒙などその他の武将たち
これで、統一の基礎固めは完成。

7月、10国の武将を19国に移動させる。10国は空白国に。
8月、19国から17国(君主は董卓の後を継いだ董旻)に攻め込む
孫策、太史慈、華雄、甘寧、張遼
17国は10国に逃げる。
19国から、関羽、張飛、趙雲、典韋、夏侯惇らを21国へ移動させる。
9月、21国かえあ22国へ攻め込む。22国は37国へ逃げる。
17国から10国へ攻め込む。10国は17国へ逃げる。
10国を奪ったので宝物が手に入る。七星の剣、夏侯淵に授けるとなんと武力が9もあがり武力99になる。
10月、10国から17国に攻め込む。17国は10国へ逃げる。
11月、17国から10国へ攻め込む。10国は17国へ逃げる。
10国を奪ったので宝物が手に入る。的盧(馬)、誰かに授ける。馬を授けると、敵に捕まらなくなる。
12月、10国から17国に攻め込む。17国は10国へ逃げる。

194年
1月、19国で武将検索、鳳統(知力98)を発見、登用。
鳳統は、「伏竜・鳳雛のいずれかを得ることができれば天下を安ずることもかなう。」の鳳雛のその人。
これで、一人手に入れた。あとは彼だけ。
ここで、劉表がまたもや動く。こんどは11国から10国に攻め入ったのだ。
10国で宝物を手に入れようとしていた矢先の出来事。劉表許すまじ。
戦闘用武将(17国、22国)を19国に集合させる。
2月、部隊編成:関羽、張飛、趙雲、典韋、夏侯淵
3月、19国から20国(劉表の本国)へ攻め込む。
4月、19国から11国(劉表)へ攻め込む。孫策、太史慈、華雄、甘寧、夏侯惇
6月、19国から10国へ攻め込む。劉表は17国へ逃げる。宝物は首飾り、伊籍の魅力が上がる。
8月、10国から17国に攻め込む。劉表は10国へ逃げる。
9月、11国から10国へ攻め込む。劉表は11国へ逃げる。宝物は青竜の剣、周倉に授けて武力が94に。
10月、10国から11国に攻め込む。劉表は10国へ逃げる。
17国から10国に攻め込む。劉表は17国へ逃げる。宝物は待望の「華佗の医学書」。これで病気や怪我も怖くない。
11月、10国から17国に攻め込む。劉表は10国へ逃げる。
12月、11国から10国へ攻め込む。劉表は11国へ逃げる。宝物は孟徳新書、劉曄に授けて知力が93に。

195年1月、9国で武将検索、許褚(武力98)を登用。
10国で武将検索、諸葛瑾(知力93、魅力92)を登用。
2月は10国で徐晃、3月も10国で司馬懿を登用。
4月、10国から11国に攻め込む。劉表は10国へ逃げる。
17国から10国に攻め込む。劉表は17国へ逃げる。宝物は孫子の兵法書。伊籍の知力が上がる。
5月、16国の陶謙が17国の劉表を滅ぼす。陶謙許すまじ。
6月、陶謙を倒すため、20国の武将主力部隊と周瑜(知力97、孫策を配下に持つと自動的に配下になる)を19国に呼び戻す。11国の部隊も10国に移動させる。
7月、19国から17国へ攻め入る。
8月、9国から10国へ本国を移す。(9国は空白国)
10国から戦闘武将を17国へ移動させる。
9月、17国から16国(君主:陶謙)へ攻め入る。関羽、張飛、趙雲、典韋、夏侯淵
10月、17国から18国へ攻め入る。
195年の残りの月で戦後処理(兵数や武装度をあげる)
196年1月、16国で武将検索。諸葛亮(知力100、魅力98)を配下にする。
諸葛亮:伏竜・鳳雛の伏竜。三顧の礼や天下三分の計などが有名ですね。
この年、陶謙を攻め続け、配下の張昭(知力95)、張紘(知力94)、孫乾(魅力91)を配下にする。
南の37国(孫堅の後を継いだ程普)、27国(劉繇)、26国(陶謙)を降伏させて配下にする。

さて、残すところ、北の袁譚(袁紹の後を継いだ)と公孫瓚、西の董旻(董卓の後を継いだ)、馬騰、劉焉だけだ。
とりあえず、すべての武将を19国(本国)に集結させる。
19国は知能集団。(君主の劉備、武力100の呂布と知力90以上、魅力90以上の武将たち)
11国に武力集団。(武力90以上の武将たち)
20国に呂蒙を太守にするその他集団。
とする。

ここからは、19国からは知能集団による計略作戦がはじまる。
まずは、計略:偽書疑心の計で他国の武将の忠誠度を下げる。
下がった所で、登用するか、登用できない武将(馬騰(武力95)の子の馬超(武力98)や劉焉(魅力91)の子の劉璋(魅力90))は敵中作敵で攻め入った時に寝返らせる。
あとは、武力集団の力でねじ伏せ、降伏させるのである。

最終年月日は198年12月 劉備は中国を統一しました。

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三国志Ⅱ日記 2

今日も三国志Ⅱを1時間する。
今日の目標
1.192年までに孫策を配下にすること。
2.193年には10国をGETすること。

まずは上の地図をご覧ください。
これがゲームのスタート時の地図です。緑が劉備です。
これがないと、なかなか分かりにくですね。

さて、今日は191年8月からです。
191年8月 22国にある我が主力部隊はついに孫策の守る23国に攻め入った。
孫策は20国君主 孫堅の長男で父である孫堅亡き後わずか5年で江東・江南の地を平定し小覇王と言われた武将である。武力は94。
この孫策を守る武将は3人。我が軍は関羽、張飛、趙雲、太史慈、夏侯惇である。これならば勝てる。
そして、孫策を捕まえ配下にする。
これで、目標の1を達成。
しかし、孫策を配下にした直ぐはとにかく孫策の忠誠度をあげないと、すぐ他国に登用されてしまう。
孫策の忠誠度をあげるために3ヶ月。その間に兵数、武装を整える。
一方、9国の本国では、残った武将の忠誠度や兵数、武装度をあげるながら、近隣諸国の動向に目を配る。
192年1月 20国の君主 孫堅が死亡、本来であれば孫策が後を継ぐ所、程普が後を継いで君主に。
君主がかわるとその国の武将の忠誠度が一斉に下がる。
その期をついて攻めるのが得策。ということで、20国に攻め込む。
20国には甘寧がいる。甘寧は武力92の猛将。
しかし、ここはあっさり勝利。20国と甘寧を手に入れる。
23国に残してきた孫策も20国に合流。
一方、9国の本国では192年より魏に仕えた有能な文官が手に入る。
このために9国制圧を急いだわけだ。
在野武将検索でどんどん見つけることができるが、一気に見つけて登用してしまうと忠誠度が低いままになってしまうので、1ヶ月に1人見つけては、忠誠度を上げていく。
1月に荀彧(知力97)
2月に郭嘉(知力97)
3月は次に攻める19国をチェックすると、徐庶(知力95)を発見すぐに登用。
4月になる前に7国の袁紹の後を継いだ袁譚の使者として9国を通りかかった文醜(武力91)を捕まえ配下にする。
5月に典韋(武力97)を登用。
6月に荀攸(武力94)を登用。
これで、魏の基礎を築いた文官を手に入れたことになる。
さて、主力部隊はというと、20国で兵数、武装などを整えて19国(君主:袁術)に攻め入る時がやってくる。192年5月のことである。
19国にはこれといって優秀な武将はおらず、楽勝である。この戦いで君主 袁術は死亡。
袁術もまた名門袁家であった。
7月、ここで20国の劉表が11国の董卓領を攻めるという行動にでる。そして、見事11国を手に入れる事件がおこった。
ちょっと、11国を見てみるとなんと、あの呂布が低い忠誠度でいるではないか。
呂布とは、三国志Ⅱの中で最強の武将である。武力100(MAX)。
史実でも彼は国士無双の強さを誇り、関羽、張飛の二人掛かりでも倒せないほどだった。
しかし、彼はよく裏切る。史実でもゲームでもよく裏切る。実際には戦いに出せないのだ。
見方だと思っていた彼が直ぐ裏切って攻めてくるからだ。強いだけに厄介なのだ。
もちろん、これから攻める国に彼がいたら基本的には攻めない。
だから、彼は劉備の下で飼いごろすのがいいのだ。
迷わず、登用。すぐさま忠誠度100に。これで一安心。
192年はこのあとは武将の忠誠度をあげる事と国を豊かにするために時間を費やす事となる。
そして、193年1月 19国で力を蓄えた主力部隊は目標の10国に攻め入るのである。
10国の君主は董卓である。董卓はかなり悪いイメージでとらえられている。
しかし、武将として彼をとらえた場合、当時では随一の力を誇っていた訳でかなり優秀な武将といえる。
また、10国は当時の首都である洛陽なのだ。史実では董卓が洛陽を焼き払い長安に遷都した事になっている。つまり、10国にはお宝が眠っているのだ。
19国に攻め入った関羽、張飛、趙雲、太史慈、夏侯惇は見事董卓を打ち破り10国を手に入れる。
董卓はこの戦いで捕まり死亡。この戦いで李儒(知力91)を配下にする。
さて、10国を奪うと必ずお宝が手に入る。狙うお宝は2つ。
「玉璽」と「華佗の医学書」だ。他にも剣(武力をあげる)、書(知力をあげる)、装飾品(魅力をあげる)などがランダムでもらえる。
玉璽は君主の信頼度、魅力を100にしてくれる。信頼度が100になれば配下の武将の忠誠度は下がらない。また華佗の医学書は疫病にかかったり、戦いで傷ついたりしても翌月には元気になっているのだ。
そして、今回10国で手に入れたのは、なんと玉璽なのだ!
これで、信頼度100。これまで同盟を結んでいた国とも同盟を破棄する。
万が一同盟国を攻めたりしたら信頼度が下がるからだ。
さて、10国を手に入れたらやる事は武将検索で張遼を探し出し登用することだ。
張遼は武力93。もともと董卓の配下で次に呂布に仕え最後は曹操配下となる武将だ。
今回の目標2は、実はこの張遼を手に入れることにあったのだ。

これで、我が領土は、9国(君主:劉備)、10国(太主:関羽)、19国(太主:孫策)の3国となった。
これからの展開は195年までこの3国体制を維持しつつ、東の16国を目指すことになる。

16国には彼がいるのだ。

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三国志Ⅱ日記 1

三国志Ⅱを久々に始めました。

もう、何回、何十回、もしかしたら何百回としているゲームです。
始めての出会いは学生時代、PC98です。
そして、ファミコン、スーパーファミコン、PS、ワンダースワン。
今回やりだしたのは、PSです。

久々なんので、ドキドキ、ワクワク。
今回はどんなドラマが待っているのやら。
そう思いながら、スイッチを入れる。
オープニング!しかしskip
まず、各種設定です。
シナリオは董卓の横暴189年
プレイ人数は1人
君主は劉備
オーソドックスな設定です。

それでは、ゲームスタートです。

ゲームがスタートして最初にする事は、セーブ。
さて、まずは我が国の場所ですが、4国です。(国は数字で表されます)
武将は関羽と張飛。どちらも武力99の猛将です。
君主の劉備は武力こそたいしたことありませんが、魅力が99です。
武将のステータスは、知力、武力、魅力でいずれもMAX100です。

次にする事は、28国(君主:劉繇)の太史慈を登用します。
登用とは他国の武将または自国の在野武将(まだ仕えていない武将)を自分に仕えさす事です。
太史慈は武力95の猛将です。

彼を189年4月に登用成功。
次にする事は彼の忠誠度をあげる事です。
忠誠度とは君主に対するもので、MAX100です。
お金や名馬などをあたえる事であがります。
名馬を与えて忠誠度を90に。
そして、さらに今回は董卓から曹操に登用された華雄も登用に成功。
華雄は武力91の猛将です。
しかし、忠誠度をあげる事ができるのは君主または太主だけなので、今回は放置する。
ターン終了。
189年5月には韓馥から公孫瓚に登用された張郃をさらに登用。
張郃は武力90の猛将です。

6月〜11月まで徴兵や訓練などを行う。
12月、戦争ができる軍隊になったので、関羽、張飛、太史慈、華雄、張郃の5人で第3国(君主:公孫瓚)を攻める。他国を攻める時は最大5人でしか攻められないのです。
もちろん、楽勝。
その後に劉備も移動して3国が本国となる。4国は空白国となる。
190年1月 自国(3国)で武将検索の結果、趙雲を発見、即刻登用。
趙雲は武力99の猛将です。
2月、3月に徴兵、訓練をして軍隊を整える。
4月、6国の袁紹を攻める。武将は、関羽、張飛、趙雲、太史慈、華雄。
袁紹は漢の時代に3代にわたって3公を出した名門です。
史実では、200年に曹操と官渡の戦いにやぶれるまで、河北の一大勢力でした。
しかし、今回は3月に劉備にやぶれて首を切られました。
この戦いで袁紹配下の武将顔良(武力90)を配下にしました。
そして、6国が本国に。

5、6、7月と徴兵や訓練、武装度を整え、10月に9国の曹操を攻める。武将は、関羽、張飛、趙雲、太史慈、華雄。
6国と9国では6国の方が豊なのだが、191年から9国では有望な武将が登場するのでそれまでにとっておく必要があるのだ。
曹操はそれまでに8国(君主:孔融)を攻め滅ぼしていたので、8国に逃げました。
正直、曹操は強い。配下の武将も強いし、曹操も強い。しかも曹操は知力、武力、魅力ともに90を超えている三拍子そろった君主なのだ。
そんな強い曹操をこのまま逃がしてしまっては大勢力となるので、191年1月、8国を関羽、張飛、趙雲、太史慈、華雄で攻め滅ぼし、曹操を討取る。
しかし、この戦いは苦戦を強いられた。
戦いの最初に両陣営から強い武将同士が出て一騎打ちが行われる。その一騎打ちを夏侯惇(武力93)が仕掛けてきた。こちらは張飛(武力99)が迎え撃つ。普通なら勝つのだが、なんと張飛が負けて捕まってしまった。これで、こちらの武将は4人となる。しかも、武力が低い武将が勝った場合は負けた武将との差の半分まで武力があがる。つまり勝った夏侯惇は武力が93から96にあがったのだ。強い!
しかし、なんとか勝利し、夏侯惇(武力96)、夏侯淵(武力90)を配下におさめる。

これで、一安心と思ったらなんと、21国の君主孫堅に死の兆候がでている。
孫堅は史実でも早く死ぬ。その後を継ぐのが孫策だ。
孫策が君主になってからでは孫策を配下にできないので、どうしても孫堅が死ぬ192年1月までに孫策を配下にしなくてはいけない。しかし、わが主力部隊は8国。しかも8国で夏侯惇の忠誠度をあげるのに2ヶ月をようする。その間に徴兵、訓練はなんとかなるにしても、8国から21国までは遠い。8国からは9国にいったん引き返し、そこから17国(空白国)に移動し19国の袁術か28国の劉繇を攻める必要がある。
ここは、兵力を温存する意味でも、弱小の28国を攻める。もちろん楽勝。
一国移動するのに1ヶ月かかるので、8→9→17→28で3ヶ月。
その間に孫堅は21国から23国(空白国)に孫策を太主として勢力を拡大している。
20国は28国の隣だが、23国はさらに22国に移動しなくては隣接しない。
結局、22国についたのが7月。

主力部隊が移動している間に本国9国では武将検索により程昱を発見、登用。
程昱は知力90の文官です。

次回は191年8月、23国攻めから始まります。

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