みなさん,こんにちは。
先日,テレビで「中国王朝 英雄たちの伝説「権力者の素顔 史上唯一の女帝・則天武后」」という番組を見ました。
中国4000年の歴史で唯一皇帝になった女性「則天武后」について,最新の発掘などをもとに実像に迫っていくというものでした。
日本では,則天武后といえば,野心家,権力欲,謀略などあまり良いイメージではなかったのではないかと思います。
さて,則天武后についてですが,番組では皇帝になるためには大きな壁があったとのことです。男性社会という壁だったようですが,僕が思うのは儒教という壁だったのではないかと思います。
そこで,以前小説の前書きで読んだ一説を思い出しました。
「中国の歴史を見るとき,儒教の色眼鏡を外してください」
例えば,春秋戦国時代は中国でも有数の黄金時代というべき発展を遂げた時代です。
諸子百家といわれるくらい,思想家が多く出ました。
その中に儒教の祖「孔子」がいました。しかしこの時代は孔子にとっては不遇の時代でもあるのです。ですから春秋戦国時代は儒教から見れば暗黒時代であり,それに続く秦も焚書坑儒など行われた暗黒時代だったのだと思います。
我々が歴史で習う歴史は,ほとんどが儒教の影響を受けているのだと思います。
さて,この儒教は男が表舞台に立ち,女は表舞台に出ないというのが通念でした。
そこで,則天武后は仏教を保護し表舞台に出ました。
儒教にとっては大事件だったと思います。
その結果,後年の儒教者が作った石碑には,佞后(心の曲がった后)としか書かれず,名前も残されていないそうです。
しかし,最近の発掘から女性が活躍できる社会であり,キリスト教や西洋文化もとりいれた自由な社会だったようです。さらに,人材では家柄などを重視せず,科挙合格者で実力のあるものを重臣として登用していったようです。
則天武后の孫である玄宗皇帝を支えた高力士という宦官も元々は則天武后に仕えていたそうです。
僕が思う則天武后は,グローバルで成果主義を重視した人事を行ったのだと思います。
あれ?最近こういうの書きました(フビライ)。
やっぱり歴史に名を残す人は,共通点があるんですね。