中国古代 春秋・戦国時代のお話です。
歴史の教科書には、春秋・戦国時代として登場しますが、
この時代は春秋時代と戦国時代を分けることができます。
↓詳しくは、こちらをご覧ください。
春秋・戦国時代(中国古代史座談会)
戦国時代
この時代を終わらせたのは、秦の始皇帝です。
そして、この始皇帝を帝位につけたのが、呂不韋です。
が、今回は呂不韋の話ではありません。
戦国時代には、この秦を含む大きな国が7つありました。
戦国の七雄です。
「斉」、「楚」、「秦」、「燕」、「韓」、「魏」、「趙」です。
さて、これらの国には長い歴史のなかでそれぞれトピックスがあります。
例えば、斉には春秋一覇の桓公と管仲、楚には、「鳴かず飛ばず」で有名な荘王、秦は始皇帝、燕は楽毅、魏は信陵君、趙は平原君、韓は・・・
といったかんじです。
そして、これらの国にはもちろん王がいます。
王は代々受け継がれていくのですが、「韓」、「魏」、「趙」の国は元々「晋」という国でした。しかし、貴族である韓氏、魏氏、趙氏の力が王を上回り結局この3氏によって分割されました。
だから、韓王、魏王、趙王はもともと王ではなかったのです。
王ではないと言えば、斉の王の姓は途中で変わります。
もともと、斉は太公望呂尚が建てた国で姓を姜(きょう)といいます。
だから、王の姓名は姜◯というわけです。ちなみに、桓公は姜小白といいます。
今回は、そんな斉のお話です。
斉は桓公のときに良く栄えましたが、管仲、桓公が亡くなると世継ぎ争いがおこり、内乱状態になりました。その結果桓公の棺は放置されたままになり虫がわいたそうです。
そして、その内乱によって斉の国力は落ちてしまったのでした。
そして、次に覇者となったのが、「晋の文公」でした。
この時代はまだ晋は分割されず、超大国でした。
斉の桓公も一時亡命生活をしていましたが、この晋の文公も亡命生活をしていました。
亡命生活といえば、斉にも多くの王族・貴族が亡命していたそうです。
自分も亡命経験がある斉の桓公は、そういった亡命者には優しく接したそうです。
晋の文公もそんな桓公にお世話になった亡命公子でした。
そして、斉にとって大きく関わりのある亡命公子がいました。
「陳」という国から亡命してきた「完」という公子です。
陳の姓は嬀(き)ですから元々は嬀完です。
しかし、桓公から斉の貴族にしてもらい、陳氏が誕生しました。
この陳氏はその後幾代にもおよび繁栄を続け、大臣にもなり、国民の心をもつかんでいきました。
そして、最後には王をも殺し、陳氏が王になったのです。
陳と田(でん)は古代には同じ音だったそうで、陳氏は田氏となり、斉は姜斉から田斉にかわりました。
田斉はその後170年くらい、秦が統一するまで続きます。