塾と学校の授業の違いは,「教師の熱意」だとか言われている。学習者の立場から私の意見を言わせてもらうと,「塾は難しい項目だけを重点的に繰り返し授業してくれるが,学校は教科書のページを均等に一度だけしか授業を行わない」ことにあると思う。
さては1994年から1997年まで京都市の塾・予備校で化学を教えていた。高3生と浪人生のどちらが素直なんだろうか? 高3生は学校の教師のいうことを優先して聞くので授業がやりにくい。その点浪人生は素直である。学校の教師のいうとおり勉強して大学入試を失敗したのであるから,塾(予備校という名称になるが)の教師のいうことを素直に聞くのである。では私の授業はどんなものなんだろうか? もちろん「難しい項目だけを重点的に繰り返し授業する」である。私は同じ話を何度もするので受講生は聞き飽きてくることもある。でも問題演習や小テストをすれば,受講生は「なにも身についていない」を悟るしかないのである。
最後に,KCGはどうなんだろうか? 初代学院長が塾からスタートして専修学校になったので,塾的な雰囲気が多い。私の言う塾的というのは「難しい項目だけを重点的に繰り返し授業してくれる」ということである。学校の授業にそまっている学生さんは
「おなじような話をあちらこちらで何度も聞かされて楽しくない」といっていますが,こういう学生さんは実は授業内容を理解し
ていない。「KCGではおなじような話をあちらこちらで何度も聞かされるので自然に力がつく」という学生さんの方が多い。これはKCGの本質であろう。
(注)普通の大学は塾的ではなく,むしろ学校的であろう。つまり「難しい項目だけを一度しか授業しない」のである。大学の授業が難しいといわれるゆえんである。