「本能寺の変 431年目の真実」で納得

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Facebookやっていると,この本の宣伝がしつこく出てきますので,ついに拾い読みしました。なるほど。著者は明智光秀の子孫です。しかも本職は歴史学者ではなく,システムエンジニア。
 肝は第6章。信長の野望が「中国大陸制圧(唐入り)」で,光秀は中国派遣させられそうになったというわけ。一族全部が異国の地で果てるのは我慢ならないというわけだったんですね。 以下の目次の抜粋を読めば,およその内容はわかりますよね。

【目次抜粋】
プロローグ【問題だらけの本能寺の変の定説】
◆第一部 作り上げられた定説◆
第1章 誰の手で定説は作られたか
秀吉の宣伝の書『惟任退治記』
秀吉伝説を作った『太閤記』
光秀伝説を作った『明智軍記』
定説を固めた高柳光寿神話

第2章 定説とは異なる光秀の経歴
フロイス証言の信憑性
義昭を離れ信長のもとへ

第3章 作られた信長との不仲説
史料が記す親密な関係
矮小化された二人の人物像

◆第二部 謀反を決意した真の動機◆
第4章 土岐氏再興の悲願
愛宕百韻に込めた祈願
土岐氏の栄枯盛衰
なぜ脇句・第三も改竄されたのか

第5章 盟友・長宗我部の危機
利三兄弟と長宗我部の絆
畿内・四国同盟に訪れた危機

第6章 信長が着手した大改革
織田家の長期政権構想
信長の「唐から入り」
信長のコンキスタドール
これが謀反の真の動機

◆第三部 解明された謀反の全貌◆
第7章 本能寺の変はこう仕組まれた
六月二日の未解明の謎
光秀の兵が出した答
家康・順慶呼び出しの謎解き
織田信忠見落としの謎解き
安土城進軍の謎解き
信長の油断の謎解き

第8章 織田信長の企て
家康領の軍事視察
なぜ「家康討ち」なのか
信長の最期の言葉
安土城の密室での証人

第9章 明智光秀の企て
謀反の決意と模索
光秀が奏上した「家康との談合」
談合にいたもう一人の人物
成就するかに見えた謀反
狂いだした歯車

第10章 徳川家康の企て
作られた伊賀越えの苦難
手間取った光秀援軍
安土城放火の真犯人

第11章 羽柴秀吉の企て
早過ぎる中国大返し
準備されていた和睦
秀吉が待望した光秀決起
秀吉の巧みな情報操作
三者による秘密の封印

◆第四部 叶わなかった二つの祈願◆
第12章 祈願「時は今あめが下なる五月かな」
明智氏による土岐氏再興
落ち延びた光秀の子供

第13章 祈願「国々は猶のどかなるとき」
豊臣秀吉の唐入り
千利休切腹の真実
関白秀次切腹の真実

エピローグ【本能寺の変の定説を固めた国策】

謝辞
付録
1本能寺の変「日表」
2光秀「年表」
参考文献

【参考】

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