SEKENという名の宗教

暴走する「世間」で生きのびるためのお作法 (講談社プラスアルファ新書)

 この著者はヨーロッパのキリスト教社会に大変詳しい。著者自身はこの著書内では「仏教徒」と称していますが,本当は仏壇のあるキリスト教徒でなかろうかと思われます。この著書を読めば,日本人は無宗教ではなく,「世間体(せけんてい)」という名の宗教の信者であることが理解できます。以下に,目次と私のコメントを掲載します。日本の社会に適応するのに苦労している人は,是非読みましょう。

第1章 「世間」のオキテを見極めよう―KYとは何か
(コメント)いわゆる「世間」というのは周りの状況をきにすることなんです。

第2章 学校のお作法―「プチ世間」の登場
(コメント)今の学生と10年前の学生を写真で比較すると,今の学生の方が子供っぽく見えます。精神年齢も低いようにたいていの大人は思うでしょう。しかし,それとは逆に,大量消費社会の到来で今の子供には子供らしさがなく,逆に「世間」の論理(プチ世間)に染まっているというのがこの著者の言い分です。なるほどと思います。
 本学にやってくる高校中退で高校認定で入学してくる学生さんの方が高校卒業者よりも礼儀正しかったりします。これは学校に行かなかったので,プチ世間に染まっていないため,礼儀正しさが損なわれなかったのでしょう。

第3章 お仕事のお作法―「お世話になっております」の不思議
(コメント)この意味不明のことばはの謎も「世間」で説明ができるんですね。ちなみに,この著書によると,ヨーロッパにもかつては「世間」が存在したのですが,キリスト教で「世間」を否定して,個人が「世間」に属するのではなく,個人と神の契約によって成り立つようにしたとのことです。このことから,日本には個人も社会も存在しないと解釈しているんです。なるほど,なるほど,「社会にでる」と偉そうにいう大人も実は「会社に入っている」だけですね。

第4章 ケータイのお作法―即レスの圧力
(コメント)これも子供社会の「世間」で説明されるんです。いやな世の中ですね。私なんか今子供だったら,友人なんていませんね。いえいえ,先生と友達になっているのでしょうかね。

第5章 恋愛のお作法―「結婚しなくていいですか」の正論
(コメント)昨今の「婚活」ですよ。そういえば,就職活動を「就活」なんて言い出したのはここ5年以内で,10年前にそんな言葉なかったですね。

第6章 信心のお作法―お盆とクリスマスが同居する謎
(コメント)ある市町村の職員が地鎮祭に参加したことが,憲法の定める「政教分離」の法則に反するという訴訟に対して,裁判所は「地鎮祭には宗教性」という判断です。そもそもヨーロッパでは政教分離はありえないと言うのが基本常識で,日本では地鎮祭に出席しても政教分離していると考えられるのです。なるほど,日本人のいう無宗教や無神論というのは「世間」という宗教が日本人を脅迫している証拠なんでしょうか?

第7章 格差社会のお作法―「妬み」の構造
(コメント)ヨーロッパにも当然,妬み,あるいはルサンチマンとよばれる概念があります。しかし,ヨーロッパには努力しない自由は認め,努力すれば結果が報われるべき,あるいは努力するための機会は平等であるべきと考えられます。同じように努力しても報われない場合に,ルサンチマンは出てくるのでしょう。でも世間の論理は異なります。努力しなくても結果が平等でないと納得できないのですね。
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 以上,「世間」という概念を使えば,日本では技術者や研究者が妬みの対象であり,待遇が改善されないも納得できます。事務作業だけやる文科系が得するのも世間の論理なんです。グローバル化した現代に,日本の未来はあるのでしょうか?

 なお,本書は物議を醸す可能性がありますので,コメント,トラックバックはお受けいたしません。

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