教科「情報」の未来へむけて

 これまで積み上げで2003年度から教科「情報」が立ち上がったんですが,どうもうまくいかないようです。教科「情報」に関わった学会としては,まずは情報処理学会があります。特にコンピュータと教育研究会(通称CE研)ががんばってきました。
 次に,日本教育工学会もがんばってきました。
 最後に,紹介するのは教育システム情報学会です。通称はJSiSE(ジェイサイスまたはジェイサイシー)といいます。
 3者ともいろいろなスタンスですので,教科「情報」を一言では語れません。
 そこで,今回,みんなが連合することになりました。それは日本情報科教育学会
となったんです。今月23日に設立総会が東京であります。

【ブログ内参照】
新しい学習指導要領

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「ドリトル」を講義で扱う

 昨日は京都コンピュータ学院 オブジェクト指向設計プログラミング言語「ドリトル」 – Dolittleを取り上げました。帰宅後あまりにも眠くて,こんな時間に起きました。
 講義では,まずはダウンロードです。
 
ダウンロード – Dolittle

 実はこのなかにtutorial.htmlがあるんです。それを印刷したものを配布しました。その資料を前に出しながら講義しました。なお,すでに他のプログラミングを一応マスターされた方は以下の「命令一覧」をご覧になるといいです。予約語がよくわかります。

命令一覧 – Dolittle

 サンプルプログラムも充実しています。

サンプルプログラム – Dolittle

 そして,これでも物足りない方はドリトル先生の博士論文をご覧ください。

ドリトル先生の博士論文

 実はKCG1回生のMくんは「ドリトルはSmalltalkに似ていますよね」とか「隠しメソッドがありますよね」とかいうのは,この博士論文を読んだからなんです。博士論文を読む学生がKCGにおるんですよ(私は「読め」とはひとことも指導していません)。

ドリトル先生,KCGに来る

 ドリトルでオブジェクト指向を学びたかったら,
「京都コンピュータ学院の設置学科」をご覧ください。12月15日(土)のオープンキャンパスにもぜひお越しください。高等学校の教員も参加可能です。
お急ぎの方はすぐに資料請求を。

京都コンピュータ学院 資料請求

【ブログ内参考】
MDD 空飛ぶカメ太君
オブジMDD報告。ドリトルで車が動く
ドリトルとKCG
ドリトル
MDDの活動

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ゲーム学会参加報告

神戸大からの夜景

図 ゲーム学会懇親会場の神戸大 瀧川記念館館より

 12月8日(土)のゲーム学会全国大会では格調高いディスカッションがなされました。 
 招待講演「人はなぜゲームに没頭するのか~双方向性・触覚性・環境認識」では「なぜ,ゲーム廃人」がうまれるのに,「映画廃人」はいないのかという話がありました。映画を見すぎても映画廃人になる人はいないのです。廃人が生まれるのはゲーム特有の現象ですね。
 パネル討論「ゲームの未来:ファッション,アート,文化との関連」
でも,ゲームに関する多様な価値観を披露していただける内容でした。

ゲーム学会第6回全国大会(2007-12-8)

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ゆとり教育の歴史 その3

 いよいよ第3次ゆとり教育について語ります。
 今回は完全週休2日制を実施することになりました。そのため,またもや時間数が減ります。そのうえ,総合的な学習時間という理念は立派な時間が設定されました。その結果,ますます理数の時間は減りますが,今回はついに国語の時間まで減ることになりました。
 また,高等学校ではいよいよ普通教科「情報」が設定されました。これは画期的なことです。この議論は別の機会にしましょう。
 とにかく,数学・算数と理科の内容の削減はすさまじいです。有名どことろでは小学校で円周率が3.14ではなく3と教えるというものです。これはマスコミがたたきすぎたために,教科書の方では3.14で教えても検定合格になりました。また,中学校の理科ではイオンがなくなったため,高等学校の生物ではイオンという概念を一切用いて説明できないことになりました。 
 結局,2002年(平成14)に小学校で,2002年(平成14)に中学校で,2003年(平成15)に高等学校で第3次ゆとり教育は断行されました。
 1987年(昭和62)年度生まれの方が第3次ゆとり教育の始まりであり,高等学校を卒業2006年までの4年間が第3次ゆとり教育なんです。以下,1988年度生まれの方は第3次ゆとり教育が5年間ですが,1989年度生まれの方は第3次ゆとり教育が7年間になります。この方たちは現在高校3年生です。

【過去の学習指導要領】
第三次ゆとり教育(2014年12月22日に閲覧してリンクを修正)
・小学校学習指導要領(平成14年4月施行)
https://www.nier.go.jp/guideline/h10e/index.htm
・中学校学習指導要領(平成14年4月施行)
https://www.nier.go.jp/guideline/h10j/index.htm
・高等学校学習指導要領(平成15年4月施行)
https://www.nier.go.jp/guideline/h10h/index.htm

【ブログ内参考】
ゆとり教育の歴史 その2
ゆとり教育の歴史 その1

【参考】
学習指導要領と生まれた年度の対応

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ゆとり教育の歴史 その2

 1980年代に入ると,コンピュータ教育をどうするかが議論になりました。当時のパソコン業界はNECのPC88やPC98,シャープのMZやX68000,富士通のFM TOWNSなどのPC,東芝のIBM互換機(ダイナブックを含む),アップル社のマッキントッシュなど機種依存性の問題があり,学校教育で扱えそうになかったのです。そこで,高校では数学の中でBASICを選択単元で扱うことになりました。中学校でも技術科の選択単元でコンピュータを扱うというのはこのときに議論されたのです。
 2つめには,学校教員の週休2日制の導入です。1980年代といえば,日本経済は世界一位を謳歌したころで,諸外国からは「働きすぎ」批判を受けたため,まずは公務員から土曜日を休みするように検討されたのです。国立大学などは1990年度から週休二日制になったんですが,小中高はそんな簡単には土曜日を休みにできません。そこで,隔週の土曜日(第2と第4)を休みにすることになったんです。
 3つめには,小学校の低学年で生活科を設定し,中学校では男女問わず技術・家庭科を学び,高等学校でも家庭科を必修にしました。また,高等学校ではそれまでの社会科は地歴科(日本史・世界史・地理)と公民科(政治・経済,倫理,現代社会)に分かれて,世界史の必修化が行われました。
 このような観点からまたもや理数の時間は必然的に減るしかなかったんです。英語(外国語)は1981年以来,時間数は減っていたので,これ以上減ることはなかったようです。

 そこで1992年(平成4)に小学校で,1993年(平成5)に中学校で,1994年(平成6)に高等学校で更なるゆとり教育が実施されました。これを「第2次ゆとり教育」と呼びましょう。
 1978年(昭和53)年度生まれの方が第2次ゆとり教育の始まりであり,高等学校を卒業するのが1997年なんです。このころから,大学生の学力低下問題が議論され始めました。その2年後の1999年には1980年(昭和55)度うまれが大学へ入学するのですが,いよいよ,「学力低下問題」が深刻になるのです。
 ここでもう一度考えましょう。
 1978年(昭和53)年度生まれの方は高等学校を卒業するまでに中3から4年間が第2次ゆとり教育なんです。そして1979年度生まれは中2から5年間ですが,1980年度生まれの方は小6から7年間も第2次ゆとり教育を受けているのです。ですから,学習指導要領が変化した直後の世代よりも,その2年後の世代の方が学力の落ち込みは大きいのです。

【過去の学習指導要領】
第二次ゆとり教育(2014年12月22日に閲覧してリンクを修正)
・小学校学習指導要領(平成4年4月施行)
https://www.nier.go.jp/guideline/h01e/index.htm
・中学校学習指導要領(平成5年4月施行)
https://www.nier.go.jp/guideline/h01j/index.htm
・高等学校学習指導要領(平成6年4月施行)
https://www.nier.go.jp/guideline/h01h/index.htm

【ブログ内参考】
ゆとり教育の歴史 その1

【参考】
学習指導要領と生まれた年度の対応

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速報! 日本語プログラミングコンテスト

 日本語プログラミングコンテストの募集が始まりました。関係者は応募しましょう。

【参考】
2007日本語プログラミングコンテスト – 2007日本語プログラミングコンテスト

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ゆとり教育の歴史 その1

 ゆとり教育が始まったのは1980年(昭和55)に小学校から始まったのです。小学校では算数や理科がとてもたくさんありました。1968年生まれの私は小5から小6になったときに算数の教科書が薄くなったのにびっくりしました。
 私が中学校に入学し1981年に中学校のゆとりが始まりました。英語が週4時間だったのが週3時間になり,英語学力の低下はだれの目にも明らかになりました。このことが補習塾が反映する要因を作ったんです。
 そして,1982年に高等学校もゆとり教育が始まりました。その結果,高等学校卒業までに昭和41年度生まれは中3から4年間のゆとり,昭和42年度生まれは中2から5年間のゆとりですが,昭和43年度うまれは小6から7年間もゆとりなんです。以下,年々,ゆとり教育を受けた年数は増えていきます。そして学力は下がっていきます。
 それでも,昭和49年度生まれまでは第2次ベビーブームでしたので,高校入試や大学入試が厳しく,塾のおかげ(注)で学力低下はそれほど問題にならなかったのです。

【過去の学習指導要領】(2014年12月22日に閲覧してリンクを修正)
・小学校学習指導要領(昭和55年4月施行)
https://www.nier.go.jp/guideline/s52e/index.htm
・中学校学習指導要領(昭和56年4月施行)
https://www.nier.go.jp/guideline/s52j/index.htm
・高等学校学習指導要領(昭和57年4月施行)
https://www.nier.go.jp/guideline/s53h/index.htm

(注)「塾のおかげ」というのは,文部省検定済み教科書は易しくなって,読んでも理解できるようなものではなく,練習問題の数も減っています。当然,高校入試の問題も易しくなるんですが,競争が激しかったので,補習塾などでしっかりと勉強していたと思います。
 大学入試では一流大学になると浪人は当たり前でした。また,大学・短大への合格が難しかったというのは,合格率からもわかります。合格率が最も低いのは1990年(平成2年)で,昭和46年度生まれが18歳のときです。

【参考】
文部科学省「戦後教育改革の流れ」
http://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/data/d002.pdf

学習指導要領と生まれた年度の対応 (江見圭司製作)

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新しい学習指導要領

 ゆとり教育が議論されていますが,新しい学習指導要領の途中経過が発表されていると情報を手に入れました。 

新しい学習指導要領 「生きる力」-文部科学省

 以下のPDFを読むといいでしょう。教科「情報」はp113にあります。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/001/07110606/001.pdf

普通教科「情報」は2科目がおかれる予定です。どちらかが選択必修。
 ・社会と情報←現行の「情報C」
 ・情報の科学←現行の「情報B」
 ・情報リテラシー中心の「情報A」は中学校までの履修で充分ということで,なくなります。
 ところで,専門教科「情報」では「モデル化とシミュレーション」は「情報と問題解決」に発展的解消するようです。
 

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那覇市,沖縄市,名護市

オリオンビール

図 オリオンビール@懇親会にて

 ところで,みなさん,那覇市,沖縄市,名護市の区別がつくでしょうか? 私は今回の沖縄訪問までよくわかっていませんでした。沖縄市は県庁所在地などという寝ぼけたことを思っていました。
 那覇市は沖縄県の県庁所在地です。沖縄本島の南の方にあります。

Yahoo!地図情報 – 沖縄県那覇市 県庁所在地の周辺地図

 沖縄市(おきなわし)は北東約20kmに位置し沖縄本島中部にある沖縄県第二の都市です。コザ市と美里村の合併でできた町です。県庁所在地でもないのに,県名と同じ名前を名乗るのは旅人には少しわかりにくいですね。米軍基地で有名な嘉手納町のとなりです。

Yahoo!地図情報 – 沖縄県沖縄市役所の周辺地図

 そして,「なは」とよく似た名前の「なご」。名護市は沖縄本島北部に位置する市です。市役所
の建物はユニークです。この町にはオリオンビールの工場があります。なんと見学ができるんです。

名護工場見学のご案内 – オリオンビール株式会社 – Orion Beer Co.,Ltd

 オリオンビールは沖縄県のビールです。日本のビール大手5社(キリンビール・アサヒビール・サッポロビール・サントリー・オリオンビール)中のシェアは圧倒的最下位ですが,沖縄県に限れば最大のシェアを誇ります。写真はオリオンビールの瓶です。

 ちなみに,オブ脳は沖縄滞在中には曇っていて,オリオン座は見ることができませんでした。かなり南の国にきたので,天頂近くにオリオン座が見えるはずですね。

 

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日本最西端の駅

日本最西端の駅

図 日本最西端の駅(沖縄ユイレール)

 JRで最西端の駅は佐世保駅です。そして,国鉄から松浦鉄道になったたびら平戸駅(国鉄時代は平戸駅)が2002年までは日本最西端の駅でした。平戸は江戸時代の鎖国のころの貿易港です。
 2003年には沖縄県にも駅ができた現在では,日本最西端は那覇空港駅になりました。沖縄都市モノレールの駅で,日本最南端の赤嶺駅の隣の駅なんです。だから,最南端駅最西端駅の両方をわずか数分で訪問できるんです。

【参考】
たびら平戸口駅 – Wikipedia
那覇空港駅 – Wikipedia
沖縄都市モノレール「ゆいレール」

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