図 kcg.eduヒーロー号が飛ぶ
ただいま,飛行テスト中。サボテンがありますね。クレーターに着地すればいいのです。続きはまたあとで。
KCG駅前校を18時半にでて205系統の市バスで北野白梅町へ向かいました。北野白梅町19:41発帷子ノ辻行きに乗車しました。帷子ノ辻で嵐電1日フリーきっぷを購入して,駅の線路配置を確認しました。ほどなくやってきた嵐山行きに乗車して20持15分に嵐山に到着。ホームには妖怪電車を待っていると思われる親子ずれが15~16人。20時27分ごろに予定よりも遅れて妖怪電車が到着。怪しい雰囲気満載の電車ですね。
20時32分,予定よりも2分遅れて発車。車内は満席で50人ぐらい乗車していると思われます。「この電車は妖怪電車臨時北野白梅町行きです。四条大宮へお越しの方は帷子ノ辻でお乗り換えください。なお,この電車には妖怪が乗車しております。」とアナウンスがあり,車内は不気味な雰囲気。3人の妖怪が車内をうろつくのですが,子どもの泣き声がすごい。「こわいよ。こわいよ。」と。これはすごいですね。お化け屋敷の比ではありませんよ,この不気味さは。
北野線内の途中の駅で子供が降りていくと,ママたちが子どもの帰りを待ってホームにおられました。そうこうして電車は北野白梅町に到着。
折り返しの表示幕を撮影したのがこの写真です。四条大宮行きではなく,「臨時 帷子ノ辻行き」なんですよ。
私もそのまま,20時51分の「妖怪電車臨時 帷子ノ辻行き」に乗車。妖怪さんたちは北野白梅町で降りたようで,この最終便には乗っていないのです。「次は帷子ノ辻です。この電車は臨時 四条大宮行きになりますので,四条大宮へそのままご乗車ください」とアナウンスがありました。
問題の到着番線。定期便の北野線電車が3番線に停車。妖怪電車は4番線に到着。ここで,約2分停車して,停車中に表示幕が「臨 四条大宮」に変更されました。
電車はこの嵐山方面へ発車して渡り経由で本線嵐山方面へわたって停車。そこで運転士さんは前から後ろへ移動してスィッチバック。そのあと,渡り線をわたって四条大宮行きの線に入り,再び帷子ノ辻の2番線に到着。ドアが開いて下車。
私は妖怪電車臨時四条大宮行きを見送って,北野白梅町行きの電車に乗って帰宅路につきました。
かたれば,長くなることばかり。妖怪電車のすさまじさに放心状態です。
このブログでいろいろと噂でしたが,ついに全貌が明らかに。
まず,妖怪電車の発車時刻は以下のとおりですね。
嵐電妖怪電車
そして東映映画村の企画にあわせたもんなんですね。
みなさん,いろいろと情報をありがとうございました。
【参考ページ】
妖怪電車~ (chappy)
鬼太郎からの手紙 (サスペンダー)
昨日につづいて,大阪の地名。現在の大阪市は平安時代の頃にはまだ海だった部分が多いわけです。淀川の河口付近の浅瀬には小さな島がポツリポツリとうかんでいたようです。その島には中島や柴島(くにじま)などという名前がついて,現在の東淀川区の住居表示になっています。
中島や柴島のすぐ横には淡路という地名があります。淡路島と関係があるのかいえば,そのとおり。菅原道真公が太宰府に島流しにあったときに,このあたりの島にたどり着いて,淡路島と勘違いしたので淡路と呼ばれるようになったのです。え,本当? その証拠に淡路のすぐとなりには「菅原」という地名もあります。
京都から阪急京都線で梅田へ向かうと,淡路をとおって,十三に到着します。十三は淀川に架かる橋で河口から数えて十三番目の橋があったから言われいます。現在では十三番目ではありません。
淀川の鉄橋をわたると,神戸線・宝塚線には中津という駅があります。中津の津(つ)は港という意味ですので,ここがかつて海であったことがわかります。そして,梅田に到着します。
梅田は本当は「埋田」と書いたそうです。河口付近を埋め立てて田にしたそうです。だから,実はこの地盤は軟弱なんです。阪急の現在の梅田駅を1960年代後半(S40年代)から建設を始めたんですが,泥がすさまじかったの,泥を凍らせながら杭をうって建設したそうです。「埋田」では縁起がわるいので,「梅田」と改名したそうです。
ついでながら,大阪の地下鉄御堂筋線が西中島南方や新大阪付近がなぜ地上を走るのかといえば,地盤が軟弱なので当時の土木技術では難工事が予想されたので地下を走らないのです。みなさん,梅田から新大阪付近にかけての地名を一気に解説しましたが,ご理解いただけたでしょうか?
【地名シリーズ】
なにわ,なんば–日本の地名
兵庫,武庫,六甲–日本の地名
金沢–日本の地名
十条–京の地名
寺町–京の地名
出町柳–京の地名
御土居(おどい)–京の地名
昨日,報告を忘れていましたが,「キリンNUDA」を売っているところをやっと見つけました。洛北高校前ローソンとそのすぐ南側の自販機です。スーパー5軒,キリン自販機は何でもチェック。それでようやく見つけんたんです。「甘くないからおいしい」,そう見つけるのも甘くなかったなあと。
本日は私の出身地の兵庫県を取り上げます。
現在,兵庫県には兵庫(神戸市兵庫区),武庫,六甲などがありますが,これらはすべて同一語源なんです。
もともとも現在の阪神間は今でこそ大都会ですが,京都からみれば大阪よりも遙かに遠い田舎だったんです。だから,大阪よりもまだ「向こうにある」という意味で,「ムコウ」と呼ばれていたんです。向こうと言われても困るので適当な字をあてることになりました。
武庫(ムコ)
なお,「武」は「つわもの」ですので気分次第では
兵庫(ムコ)現在はヒョウゴ
と書いたようです。更に
六甲(ムコウ)現在はロッコウ
とも書いたようです。現在では兵庫(神戸市兵庫区),武庫(西宮市・宝塚市),六甲(神戸市灘区)という具合に微妙にさす地域が異なります。
県名の兵庫は神戸の港を「兵庫津」と呼んでいたことからつきました。だから,「兵庫」という地名が神戸市の一部なのは当然です。
阪神大震災の時に「兵庫県神戸市兵庫区」とか,「神戸駅の次は兵庫駅」とかに驚いている方がたくさんおられましたが,神戸市民にとっては「ヒョウゴ」は県名ではなく,「一地区名」なんです。だから,他府県の方が「兵庫」という言い方をするのはご遠慮ねがって,「兵庫県」と言ってもらいたいものです。
【参考サイト】
兵庫津の道(ひょうごつのみち)
【地名シリーズ】
金沢–日本の地名
十条–京の地名
寺町–京の地名
出町柳–京の地名
御土居(おどい)–京の地名
京都の地名シリーズはしばらくお休み。理由は調べだすと摩訶不思議なことが多すぎるからです。そこで,今日からは京都市外の地名に目を向けましょう。
第1回は石川県の県都「金沢」です。この地名の由来はネット上ではなかなか見つかりません。兼六園横にある「金城霊沢」という泉には「金洗い沢」として「金沢」の地名の由来が伝えられているとあるものがありますが、これでは納得できませんね。
その昔,イモを掘って丁寧に小さな川(沢)で洗っていた男がおりました。この男はイモを掘っては洗っていたので「イモ掘り藤五郎」と呼ばれておりました。ある日,イモ掘り藤五郎は沢に砂金があることを知ったので,毎日イモを洗いながら砂金を集めたそうです。のちにイモ掘り藤五郎はお金持ちになったのです。そこで,その沢に「金城霊沢」と名付けれらたそうです。これはすごいですね。金(gold)がとれる沢があるから金沢なんです。だから金沢は金箔で有名なんですね。
イモ掘り藤五郎の話はからくり記念館で見たんです。みなさんもからくり記念館に行ってみましょう。ところでイモ掘り藤五郎は伏見寺というお寺にお墓があります。伏見寺は金沢市寺町にあります。「伏見」なんて京都みたいですね。
最新モデル化とシミュレーション (基礎シリーズ)
高等学校の専門教科情報の中に「モデル化とシミュレーション」というものがあります。この本は教科書を市販用に手直ししています。さてこの科目は従来の数学教育とも理科教育ともことなったスタンスの科目です。意気込みはよかったですが,この教科書は難しいんですね。
そこで,この本の著者に本学に来ていただいて,この本をもちいた指導法を高校教員に研修してもらうことを企画しました。JSTというお国の機関に申請すると,企画が採択されました。すばしい。
castorさんの記事もご参考に。
【参考】
SPP
ちなみにモデル化とシミュレーションに興味のある学生さんはサマーコースを受講してください。すばらしい発見があります。
Windows Mobileに関する人気サイトを紹介しましょう。このサイトにはWindows Mobileに関する最新情報が集まっています。
【参考サイト】
Windows CE FAN
大学院の学生が3人そろってw-zeroをもって私のところへ現れます。これまたびっくりです。
【参考サイト】
w-zeroのメーカ