淀,淀川,淀屋橋–日本の地名

 本日は,淀,淀川,淀屋橋の関係を述べましょう。私が高校生の頃,阪急沿線在住の私にとっては京阪沿線は未知の世界でした。阪急神戸線と阪神電車がほぼ同じ場所をはしるのとは全くちがい,京阪電車と阪急京都線は全く別ルートを走っていながら,大阪と京都を結んでいるからです。そこで,沿線地図をみて旅をすることにしました。
 淀屋橋は当然としても,「淀」という駅があるのはビックリです。今の高校生なら,競馬で有名かもしれませんが,当時の高校生は「淀」なんてしりません。
 大学に入って,「淀」がなにかを知りました。桂川,宇治川,木津川の3河川が流れ込むので淀んでいるのです。そして,その淀んでいる場所にはかつては巨椋池(おぐらいけ)という大きな池があったんです。その淀んだ場所から流れ出す川を「淀川」と呼んだんですね。
 さて,豊臣秀吉は巨椋池の南側から攻められるとこまるので,宇治川部分に堤防をつくることにしました。漫然と巨椋池が広がっているとどこからでも攻められるので,巨椋池をある程度うめたてて,宇治川部分に堤防をつくって,橋は一カ所(現在の観月橋)にしたんです。南から敵が攻めてきても,その橋を落とせばよいわけです。
 この堤防工事を請け負ったのが,淀屋常安(じょうあん)という方です。この方は淀屋初代ですので,堤防工事で「淀屋」の姓を与えられたのでしょう。淀屋さんは,その後大坂の陣では徳川方にくみし,中之島の開拓にも力を尽くし,ついに中之島に蔵まで持つにいたるのです。中之島は中州のあるので,蔵へ行くには橋が必要です。そこでそこへ橋をつくったので,その橋を「淀屋橋」と呼んだんですね。
 一見,別々の場所にある地名が関係あるんですね。

【出典】
淀屋の屋敷跡

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